〜2007年12月 挨拶履歴



2007/7/2

今日、ふと、思い出しました。6月14日の上郷サービスエリアでの当て逃げ、狸寝入り事件の時、二度あることは三度ある の教訓を口にしたのですが、実は、その2件(当て逃げ、じゃり攻撃)の悲劇の前、既に、もうひとつの不幸(合計すると、きっちり三度)が訪れていたのでは・・・・・

そう、車の中で、自分自身が気付かないうちに、最初の不幸を手にしていたのです。

左手に焼きおにぎり、そして、右手には・・・・・、あの、おいしそうな、

牛肉コロッケ

味は、覚えていません。でも、たぶん、『肉の希望』社の関連?

・・・・・・・・・・・・・

商売に限らず、騙す、騙されるは世の常です。消費者自身にも、責任とまでは言えないにしろ、弱みがあります。牛肉100% が、おいしいと感じたのではなく、心のどこかで、牛肉100%と記載 してあるから満足したと言うことです。裏を返せば、おいしい は、必ずしも、売り手側が謳っていることに忠実ではないと言うことです。

自分自身、食品を売る立場として、使われているものに対して、安全は必須として、必要以上の能書を付け加えて売ることを潔(いさぎよ)しと思っていません。消費者に誤った判断をさせ、ある意味、騙しているようで心苦しいからです。売る側として、道義的と言う感覚も絡み、その判断基準は人それぞれですが、だからこそ、食べる側も おいしい、おいしくない は、過剰な宣伝文句や雰囲気におどらされることなく、正直な感覚で判断すべきと思っています。

イメージ自体が、代償を払うに値すると思う人(あるいは、気にしない人、あるいは、気付かない人?)もいるのかも知れませんが・・・、

やはり、誇大広告に対する嫌悪感は、単に、自分のポリシーの問題なのかも・・・



2007/7/4

健康に

   気をつけくらす

           大切さ
   (作:小5)

学区の小学校から配布されたカレンダー、7月の句(標語)です。

つくづく、身に沁みるのですが・・・、


まるで、 祖父作 のような渋さが・・・




2007/7/6

登場人物
泣き上戸:カズノコ
怒り上戸:矢沢永作
笑い上戸:つんつく

昨夜、モノマネ芸人3人で酒を飲んでいたのであるが、酒に酔った、プロサッカー選手の三浦知良のモノマネで知られる カズノコ 、本名・坪ノ内泰之が、鳴かず飛ばず の芸人生活の厳しさか、突然、「芸人をやめたい」と言い出した。それを、人気ロック歌手矢沢永吉のモノマネで知られる 矢沢永作 本名・三田雅美がたしなめていたのであるが、いつしか、激しい言い争いになってしまった。それまで、陽気に飲んでいた、モーニング娘のプロデュースで知られる、自称、音楽家、総合エンターテインメントプロデューサーのつんく♂のモノマネで知られる つんつく 本名・田中健二が慌てて仲裁に入ったのであるが、あろうことか 矢沢永作 は、その つんつく の右耳たぶをかみちぎってしまったそうな。

かなり、ややこしい話ではあるが、瓢箪から駒と言うべきか、一躍(いちやく)、3人の名前が売れた格好には・・・なった?

う〜ん、一躍というより・・・、どちらかと言うと中途半端?

でも、さすが、お笑い芸人、たとえ転ぼうとも面白く、されど、それゆえに、非常に哀しい話でもある。

面白うて

  やがて哀しき

       鵜舟かな 一発芸





2007/7/9

「すごい、すごい! すごい事になっています」

「こんな状況、今まで見たことがありません。すごい、すごいです!」

テレビは見えないのですが、流れてくる音声(甲高い声で、すごい を連発)から、女性リポーターの異常なテンションの高さが分かります。

「いかがですか?」

現場当事者の状況に対する思慮深さもない、元気いっぱい溌剌(はつらつ)声で、いきなり問いかける遠慮のなさ、そして、その声の高さ。映像を見ることなく、容易に、彼女の興奮状態を察することができます。そこには彼女の喜び(自分がテレビの主役でもあるかのような勘違い?)の感情すら感じ取れます。



とにかく、ものすごく、嫌な気分になりました。

昨日のニュースでの実況(救助隊よりも早く現地入りしての録画?)中継、九州地方を襲っている豪雨被害の様子です。自宅が被害に遭い、救助を待つ、年老いた人々にマイクを向け、『どうですか?』 なんて・・・、空気が読めない上に、常識すら失っています。

そんなに元気ならば、その前にすべきことが・・・




2007/7/13

生まれてからずっと、このスペースの中で暮らしてきたのだろうか?

この縦横高さ40cmの狭い世界で・・・

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車で30〜40分のところに集合型の大型商業施設があります。食品、日用雑貨、園芸、家電、ファーストフード、専門店その他で構成されているのですが、大型雑貨店の一角にペットを販売しているコーナーがあります。通常、ペットと言うと犬猫を連想するのですが、ここは、売り場の一角ということもあり、あまり臭いのしない魚、小型の哺乳動物(モルモットなど)、そして、中型以下の鳥を扱っています(それでも鳥と哺乳動物の場所はガラスの壁で区画され、換気施設完備)。

その雑貨スーパーで買い物をしている最中、妻が、何も言わずに突然、姿を消しました。その直前には自分自身が、妻に内緒で失踪していたのですが、偶然?、いやいや、実は、必然的に失踪場所は同じだったのです。

時間差はあれど、二人がそれぞれ消えた理由は、そのペットコーナーのオカメです。なぜか気になるのです。自分の家以外のオカメが。それも、お互い相手に悟られないように、そっと。

「何を悟られないように?」 ですって?

そりゃあ、お互いの親バカぶり(オカメに対する)です。

じっと観察し、比較し、そして癒され、されど・・・

面白うて

  やがて哀しき

       鵜舟かな オカメかな


その日(7/10)、そこには4羽のオカメインコがいて、ひとつのゲージにオスメスのつがい(らしい?)、そして、あとは1羽ずつ、各個別のゲージに入れられていたのですが、どこか目がうつろで元気がない。呼びかけても、あまり反応がありません。

雛の段階でここに連れられて来て以来、ゲージから出ることもままならず、かわいがられることもなく、飛ぶことさえも許されず、ただ、毎日、人目にさらされ、止まり木に止まって、餌を食べ・・・、その先に待っているのはストレスによる心身症と、運動不足によるメタボリックシンドローム?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぴぃ〜〜〜

わが家のオカメは、今日も元気です。家中に聞こえる口笛(のような声)で、人を呼びつけます。

お前はいいねえ。あのオカメも早く飼い主が・・・




2007/7/15

昨朝、家の裏手から鳥の鳴き声が・・・。それも、雛が親鳥を呼ぶように、何度も何度も繰り返しています。それに反応して、わが家のオカメが、丁寧にも鳴くたびに鳴き返しています。妻の言うには、その前の夜から鳴く声が聞こえたと言います。気になって妻が覗きに言ったのですが、「見当たらない」。念のために自分が、手が空いたところを見計らって行くと、

おいおい、居るじゃねえか!



目立たない色に、妻は気付かなかったようです。
まだ、幼いようです。迷ったのか?、落ちたのか?、観葉植物の枝、高さ1m余りのところに止まっています。

これは、雀? いやいや、くちばしが少し長い? ヒヨドリ?

こちらを警戒しているようなのですが、逃げない(逃げれない?)。台風接近の雨の中、保護も考えたのですが、

野性の親鳥に育てられた雛にとって、目の前の人間は敵、たとえ捕まえたにしろ、餌は受け付けないに違いない。このまま、親鳥が餌を運んでくるのを、そっと見守ったほうが・・・、でも、この状態では、いずれ猫が・・・

思い悩みながら家の中に戻り、それでも聞き耳を立てていると、少し、声が遠退いたような気が・・・、

弱ってきたのだろうか?

心配になり、再び様子をうかがいに行くと、先ほどの場所にも、そのあたりの地上にも姿が見当たりません。でも、足音を忍ばせていたせいもあり、そこから少し離れたところ(木々の葉に遮られ姿は見えない)で鳴き声は続いています。

と言う事は、自力で飛べる? ならば、これ以上、人間の出る幕では・・・

後は自然の摂理、すべては、あの鳥の運命と自分に言い聞かせ、それ以上、探すことはやめにしました。




2007/7/16



ツバメ3兄弟の歓喜の大合唱も力強く、そろそろ、巣立ちの時期のようです。親鳥が餌を運ぶかたわら、時々、餌を与えず、周りを行ったり来たり、 「早く飛べ!」 と、せかします。孵化2週間、盛んに毛づくろいをし、羽ばたきの練習を始めているのですが、まだ、ちょっと・・・

一昨日、夕方、車を走らせていると、台風接近の土砂降り雨の中、車の前をツバメが滑空して行きました。

あれも、親鳥だろうな。
1食ぐらい、抜いても・・・


と思うのですが・・・、本能とは言え、子に対する愛情は献身的です。




2007/7/18

子供のころ、小学校の先生に

「お金を粗末にしてはいけません。たとえアルミ製の1円玉であろうとも、高熱などで溶かしたり、曲げたりしたら罪になりますし、それこそバチが当たります。お金は大事にしましょう」

と諭されました。

・・・・・・・・・・・・・・・

松本市の市制100周年を記念して日本銀行松本支店の職員2人が、古くなった1万円札と5千円札の裁断片を、木で作った骨組みに貼り付け、高さ67pの松本城(実物の70分の1)を作り、今月と来月の各一日ずつ、親子見学会を開く予定なのだそうですが、予定していた50人の倍以上の申し込みがあったそうです。同支店のコメントによりますと「お金の大切さを実感して欲しい」と言うことなのですが・・・、

刑法第百四十八条 【 通貨偽造及び行使等 】、第一項、「行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は三年以上の懲役に処する」

なるほど、行使目的でなければ、お金をどう扱おうと罪に問われることはないようです。小学校の先生の言っていたことは間違いで、硬貨を溶かそうが折り曲げようが、お札をティッシュ代わりに使おうが、法的には何の問題もないようです。最近、スキャナー、カラーコピーを使用した偽札事件(偽造)が報じられることがあるのですが、それも使わなければOK?

でも、お札をちぎって、貼り付けて、「お金の大切さを!」と言われても・・・、あまりピンと来ません。逆にお金を粗末にしているようで、それこそ、




バチが当たるぞ!

・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、偽造(にせ物をつくること)は分かるのですが、変造(刑法上、通貨に変更を加え、価値の異なる別の真正なものに似せること)は・・・、例えば、千円札の『1000』の後ろに『0』を書いて、1万円として使用したり、1円玉を溶かして五百円玉を作ったり?・・・、

そう言えば昔、1万円札をある程度用意し、切断する位置をずらしながら縦に細く切り取って、その一片ずつを貼り合わせて、1万円を1枚余分に作って使おうとし、お縄を頂戴した、典型的な変造の話を聞いたことがあります。

でも、細かく縦にセロテープで貼り合わされた1万円札は異様な雰囲気をかもし出していて、苦労した割には、すぐ見破られそうな気が・・・、それに、犠牲になった多くの1万円札も、そのまま繋げば寸足らず、他の紙で繋いだにしても不自然で、いずれにしても、警戒されるのは分かり切っていると思うのですが、本人にすれば、かなりの名案だったのでしょう。




2007/8/4

公共用地取得をめぐる汚職事件の背任と加重収賄の罪(要するに知人と結託して、知人所有の二束三文の土地を高値で市に買い取らせ、儲けを山分け)で起訴されている奈良県生駒市の前市長・中本幸一被告が、起訴事実とは別に新たに着服をしていた事実を、生駒市が発表しました。

平成12年、市が財団法人都市緑化基金などが主催した「緑のデザイン賞」で受賞した「第11回緑化大賞」の副賞賞金1千万円を着服する目的で、秘書課職員に命じて架空の団体「花のまちづくり協議会 中本幸一会長」名義の口座へ入金させ、印鑑と通帳の管理をさせたというものです。

今年2月ごろ、市の内部調査で発覚したのですが、7月末、利子を含めた約1330万円を中本被告が弁済(と言うことは本人自身が罪を認めている)しているという理由で、市としては刑事告訴をしない方針と言います。

賞自体、『生駒市立真弓小学校地域住民による花のまちづくりの拠点の緑化』に対するもので、欲深さの上に、子供、住民の活動を踏みにじる、何とも恥ずべき行為なのですが、生駒市というところは、非常に寛大なお役所のようです。普通、世間では泥棒をしたら、その時点で立派な犯罪、なのに、『ごめんね』と返せば、ニコニコ、『どうもありがとう』だなんて・・・、もし、その事実が発覚しなかったならば・・・・、とんだお人好し?

いやいや、今回の対応は、多少なりとも加担していた?(少なくとも秘書課)と言うべきか、見て見ぬ振りをしていた?と言うべきか、はたまた、お役人ならではの所業?と言うべきか、とにかく、お役所自体が市民をバカにしているようで、『さすが、お役人』と言うしかありません。

それにしても、財団法人都市緑化基金て・・・、個人、企業からの募金の利子による緑化支援を目的にしている・・・、ふんふん、なるほど・・・、でも、数十万円ならともかく、1千万円もの賞金をポンと出したら・・・、悪代官も目がくらんでしまうに違いない。そもそも、都市緑化基金自体、出した賞金の使途の、きちんとした報告を求めないとしたならば、その存在意義はないし、寄付した者に対して無責任極まりありません。まあ、寄付金(の利子)ですら、へっちゃらで使い込んでしまう神経が突拍子もないのですが・・・、いくら寄付金から成り立つにしろ、基金の存在自体も、かなり、グレーなものを感ぜずにはいられません。




2007/8/11

「あっ! すみません。スリッパは脱いで、お上がりください」

秋野不矩美術館(浜松市二俣町)では今、平山郁夫素描自選展〜シルクロードに思いを馳せて2007〜が開催されています。入館するとすぐ、スリッパが用意されます。スリッパを履かされ、これで万全と思う間もなく、今度は1階展示室入り口には、スリッパを脱ぐ旨の注意書きがあります。初めての来館者にとって意表を突かれる指示だけに、多くの人が気付かないようで、逐一、職員が声を掛けます。

部屋の床には籐の敷物が敷かれ、その上を裸足で・・・、展示もシルクロードで、何となく、アジアンな雰囲気(秋野不矩のイメージのひとつ?)がマッチしています。部屋は細長く、くの字に曲がっていて、後で知ったのですが、その曲がりの先も展示スペースになっています。曲がる部分が、ちょうど、くびれるように狭くなっていて(職員が陣取っていたため、そのように感じた?)、その部分に見張り役がいます。おまけに、床の敷物も、その部分手前で途切れ、上履きを脱いでいる以上、何となくUターンしなければと思わされてしまいます。その上、当日、展示の絵の番号は、

14、15・・・、えぇっと・・・

振り向くと、反対側の壁に、

あったあった、16、17・・・

と、入り口へと戻っていきます。

2階展示室はスリッパのまま入れるのですが、見張り役が、かなり不自然な位置にいます。展示してある絵と絵の間に、さも、展示物のひとつと言った状態で椅子に鎮座しているため、絵を順番に見ていくと、嫌が上にも拝顔せざるを得ません。

はっきり言って、非常に目障りで、落ちついて鑑賞する気分にはなれませんでした。展示形態上(ケースの中ではなく、壁に掛けられている)、見張りも必要なのかもしれませんが、監視カメラ等の活用で、極力、来館者の落ち着いた鑑賞に配慮したほうが・・・

その日、1階、2階とも展示室にいたのは、その見張り役以外、自分たち夫婦だけと言う状況は、ゆったり、二人だけの落ち着いた雰囲気と言うよりも、なぜか、職員と対決しているようで、そんな、固唾を呑む雰囲気に根負けし、

「こ・・・、こんにちは」

「えっ、あっ、いえっ、こんにちは」

思わず挨拶をしてしまいました。

それにしても、1階、くの字の曲がりの先、そこにある展示物を見損ねてしまったのですが、いくら静寂がモットーであろうが、そこにいる職員が、明らかに障害物の役割を果たしている以上、引き返す来館者に一言、「こちらへも、どうぞ!」ぐらいは言って欲しかった。

今回の展示は素描(スケッチ)です。確かに、人より優れたスケッチの腕前は認めますし、そのスケッチにサッと水彩を施しただけで、雰囲気を出すセンスもたいしたものだと思います。ただ、自分に美術的センスがないのか、正直な気持ち、それほどの感動はありませんでした。「それほど一人前の口を利くならば、お前が描いてみろ!」と言われても、とても描くことなど出来ませんし、と言うより、その才能は皆無なのですが・・・

芸術作品を前に、さも、分かったような顔をしている人間は、実は多くが、分かったような顔をしているに過ぎないか、分かったと思い込んでいるかのどちらかではないか。そもそも、作品は、まさに作者の主観的な感性の具現に過ぎず、それを他人が分かろうとすること自体、無理がある。それぞれの人間が、『ああ、これ、何となくいい!』と思ったことが、正直、いいのであって、理屈など、それほど必要ではない。感性は人それぞれで違っているのが自然であるし、芸術と言うものは、それぞれの、その違った感性で捉えればいい。

と、いうようなことを、誰かが言っていたような、いなかったような・・・

平山郁夫のスケッチを、「たいしたものだ!」と思ったこと自体、それが確固たる芸術作品のゆえんなのかも知れませんが、スケッチに水彩をササッと施して、額に入れて・・・、何となく、手抜きのようにも・・・

妻は感動したと言います。いったい、何に感動したのかと聞くと、

「平山郁夫が描いたと言うことがすごいじゃない!」

それって、絵に感動したのではなく、平山郁夫が描いたということに感激した?
まあ、その感激も、一つの芸術鑑賞なのかも知れませんが・・・

ところで、秋野不矩(1908年7月25日〜2001年10月11日)の不矩は本名・ふくの当て字なのですが、矩(かね=直角)にあらずです。作品を見て、納得します。

何となく、いい!

あくまでも、自分個人の感性としてです。




2007/9/5

家を出ようとしたその時、その玄関では壮絶なバトルが繰り広げられていました。相手は倍以上という、圧倒的な体格の違いも何するものぞと向かっていく姿には、並外れた根性が見て取れます。片や、その勢いに押される形で後ずさりするも、自分の圧倒的有利な立場を再認識し飛び掛りました。しかし、そのガードは思ったより固く、一旦は離れざるを得ません。反撃するでもなし、ガードをしっかり固め、ただ、ただ向かってくるだけの小さな相手を前に、じりじりと後ずさりを余儀なくされる自分を、何とも不甲斐ないと思っているに違いありません。それでも、気を取り直したかのように飛び掛り、しかし、先ほどと変わらぬ策に成す術(すべ)もなく、再び、離れ・・・


(胡麻粒ほどの甲虫を相手に戦いを挑むハエトリグモ・・・、ズーム↓)

(組んでは離れ・・・)

(離れては組み・・・)

繰り返すこと数知れず、いつまで経っても埒(らち)が明きません。

しかたなく、その争いを尻目に出掛けることにしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、10分後、帰宅し、玄関に戻ったとき、すっかり、あのバトルのことを忘れていました。




プチッ

何かを踏んづけたような・・・、

ひょっとして・・・、喧嘩両成敗?

南無阿弥陀仏




2007/9/21

3年前、紅葉の阿寺を訪れたのは12月初旬だったのですが、ここ数年(数十年?)の暖冬傾向に、遅すぎると思った紅葉は真っ盛り、駐車場から最初の滝の落差分を登る険しい坂を過ぎると阿寺七滝まで、沢に沿ってなだらかな坂が遊歩道として整備されています。右に岩肌、左は沢を挟んで急勾配の山の斜面、鬱蒼と茂る木々の間を抜けていきます。

夏の盛りに来たら、きっと、気持ちいいだろうなあ

そんな思いで再び訪れた初秋、今年の異常な猛暑に、今まさに夏本番、阿寺は絶好の避暑スポットと思ったのですが・・・、なぜか爽快感が・・・、

う〜ん、なぜだろう?





遊歩道に沿う流れは、まさに『沢』であり、水はきれいで淀みもないのですが、水量がありません。両サイドを塞がれている圧迫感と地形的なものなのか、沢を上る風も抜けていく感じがなく、どちらかと言うと苔生す感じで、ムッとする雰囲気です。底の部分だからこそ、日が当たらず、倒木、枯葉が集積し、だからこそ『沢』なのかもしれませんが・・・、見晴らしや、視界が開けない分、そこに待ち受けるものが期待した以上のものでないと・・・

 3年前の12月

 今年の9月

滝自体、日本の滝百選ということなのですが・・・、う〜ん・・・、微妙です。マイナスイオンも発生しないほどの規模で、はっきり言って、しょぼい? 前回、訪れたのが12月ということで、実は、水量が増えていることを想像したのですが、実際には、それ以上に少ない状態で、水量が豊富ならば雰囲気も違うのかも知れませんが、夏の阿寺はお勧めではありません。自分自身、あまりの期待はずれに、これでもう、再び、訪れることはないように思います。水はきれいなのですが・・・




       空飛ぶ(宙に浮く?)魚ではありません!!!
公営なのかどうかわかりませんが、駐車場わきの売店には従業員の影すら見当たらず、売店前の小さな橋の渡り口に設置された自己申告制の駐車料金投入箱が・・・、やけに寂しい。




2007/9/24

9月18日午前2時ごろ、高知市内の某飲食店で、客として来ていた男女4人のグループが「注文が遅い」などと言って、皿を割るなどしたため、従業員が警察に通報したそうです。4人のおまわりさんの到着に腹を立てたグループの女性客が、突然、「あんたが警察呼ぶからや」と言って、女性従業員に飛びかかり、平手打ちをしたそうです。警察官のいる前での出来事、当然の成り行きとして、暴行の現行犯でその女性が逮捕される?と思いきや、おまわりさんはたじたじで、調子に乗った客側は、さらに従業員に土下座を迫るなどし、2時間もの間、難癖を付け続けました。

機を逸したおまわりさんの対応は、客のしつこさと勢いに押される形で、「土下座すれば納得してもらえるのですかね」と、明らかに非のある、客側のいちゃもんを受け入れ、店側に土下座を促しました。納得行かない店側でしたが、助けてくれるはずの警察官にさえ見放された格好で、しぶしぶ、店長ら従業員3人が土下座をしたそうです。さらに、グループが酔っていたため、車は署員が代わりに運転し、全員を自宅まで送ったと言います。

店側にすれば、皿を割られ、ひっぱたかれ、2時間もの間、営業を邪魔され、おまけに、土下座???、どうにも納得行かない店は、頼りにならない警察に愛想を尽かし、マスコミに助けを求めました。円満解決と解釈し、すっかり、事件のことなど忘れていた警察署はニュースになっていることに、びっくり。ようやく、24日になって、店への謝罪に至りました。

はっきり言って罪人(暴行、器物損壊、営業妨害、飲酒運転未遂?)に対して、代行運転まですると言う、何とも至れり尽くせりの警察署の署長は「土下座を促すような不適切な言動や対応があったことは謝罪する」とし、店側への謝罪が遅れたことについては「店側の都合(?)で24日になった」と説明しているのですが、これは、明らかに問題になったからに他なりません。おまけに、客側から事情を聴かなかった理由を「妊婦だったため控えた」と釈明していますが、妊婦であることが免罪符になるとは・・・、


いやはや、恐れ入りました!

・・・・・・、 妊婦が飛びかかって、平手打ち って言うことも・・・




2007/10/13

午後2時を過ぎ、ちょうど客足が途絶えがちになる時間帯、とある小さな郵便局。局内には女性局員が二人、黙々と事務をこなしていました。その時、突然、ヘルメットを被った男が一人、入り口から現われ、一人の女性局員の方に一直線に向かってきます。彼女は、その異様な姿と雰囲気に警戒し、身構えようとしていると、カウンターを挟んだ彼女の前に来た男は、いきなり、何も言わずに右腕を前に伸ばし、その手にしていたスプレーを、あたり一面に噴霧し始めました。

驚いた女性局員が、それでも気丈に

「ちょっ、ちょっと! なにをするのよ!」

と一括すると、男は少しひるみ、それでも、

「えっ? いや、あ、あの〜、金が欲しいんだけど」

と、弱々しく、済まなさそうに、やっとのことで、彼の要求を口にしました。

犯行直前、女性しかいないことを確認して押し入ったようなのですが、凶器?は、そのスプレー缶のみで、刃物などは手にしていません。男はヘルメットとタオルで顔を隠してはいるものの、姿勢や歩く姿から、かなりの年齢のようで、その上、おどおどした様子です。スプレー缶を掴んだ腕が微妙に震えています。腰は引け、膝がガクガクしているのも分かります。強盗に入っては見たものの、大それたことをしてしまったことを半分後悔しているようで、一刻も早く逃げ出したい雰囲気が伝わってきます。

その様子を冷静に見ていた局員は、はっきりとした口調で

「ここに、お金は置いてないわ!」

と、無情?にも男に告げました。
一瞬、男は言われた意味が理解できなかったようで、うわ言のように

ええっ? そ、そんなバカな!

と、つぶやいた後、口から出た言葉は

「そうか、わかった」

ものすごく聞き分けのいい返事です。男にとって、この予期せぬ出来事への対応を考えていなかった上、心理的に苦しい状況から抜け出したい気持ちが強すぎ、思わず、本音が口から出てしまったようです。

男にとって、もう、その場にいる必要はなくなりました。カウンターに背を向け、今来た入り口へ向って歩き始めました。ところが、入り口の手前で思い直したかのように振り向き、しばらく、考え、

「これは、訓練だと思ってくれ」

そう言い残し、外に出ると、エンジンをかけたまま置いてあったバイクにまたがり、よろけるように走り出しました。

女性局員は、男が去ったのをしっかり確認し、そして110番をと受話器を持ち上げようとしました。なぜか、ベトッとしています。

さっき、男が噴霧したスプレー?

どうも、潤滑油のような、食用油のような、でも、揮発性はないようです。

なんで、こんなもの? へんな強盗!

・・・・・(以上、想像を加えています)・・・・・

静岡県沼津市の中心部から直線距離で北西5kmにある郵便局、愛鷹郵便局は、かつての国道1号線沿いにあり、その愛鷹(アシタカ)は富士山の南山麓にある九つの峰からなる愛鷹連峰(1500〜1200m)を指し、その麓(ふもと)ということで付けられた名称です。

10月12日、そこで起きた強盗未遂事件は、事件後、ヘルメットや衣類を捨てながら走る不審なバイクを、たまたま、巡回飛行中の県警航空隊のヘリコプターが発見、追跡したことにより、約40分後、富士市の路上で男の身柄を確保し、解決に至りました。69歳、建設業者による、借金に困っての犯行でした。

あまりにも間が抜けていて、思わず笑ってしまったけれど・・・、

なぜか、空しい

なんで、六十九になってまで・・・、





2007/10/14

けたたましい鳥の鳴き声に、思わず窓の外を見ると、裏の家のアンテナに、見覚えのある姿を発見しました。あれは、紛れもなく、7月の台風前日、迷子になっていたヒヨドリです。あれから3ヶ月、かなり大きくなったようですが、まだまだ幼さが残っています。

勝手な思い込みですって?
いやいや、似ています。間違いありません。
確証はありませんけれど・・・、

それにしても、無事でよかった。
けたたましい鳴き声は、きっと、お礼の挨拶でしょう。
お礼を言われるようなことは、何もしていないじゃないかですって?
・・・、確かに



7月15日はこんなでした↓。どことなく似ている・・・かな?


あの時、妻が言いました。

「めちゃくちゃ、カッワイイ! 保護して、クウ(わが家のオカメ)と一緒にすれば?」

台風が迫り、風雨が強まる中、その心配も分からない訳ではなかったのですが、でも、

「一旦、親鳥に懐いたものを保護しても、結局、餌を受け付けず、死なせることになる。それならば、このまま事態を見守るしかない」

と、保護を断念した経緯があります。

結果論ですが、

よかった! (保護しなかったことが)
   ・・・すっかり、同一の鳥だと思い込んでの話ですが・・・


と言うより、鳴き声からして、かなり気性が荒らそうで、もし、無事に育っていたにせよ、肩身の狭くなったクウを見て、妻はきっと・・・、言うと思う。

「そろそろ、自然に帰したら?」

推論ですが、

よかった! (保護しなくて)




2007/10/24

独立行政法人農林水産消費技術センター、 消費者情報部交流技術課の説明によると、

既存添加物284 トレハロース
担子菌(Aguricus等)、細菌(Arthrobacter,Brevibacterium, Pimelobacter, Pseudomonas,Thermus等)又は酵母(Saccharomyces等)の培養ろ液又は菌体より、水若しくはアルコールで抽出して得られたもの、これを酵素によるでん粉の糖化液より分離して得られたもの、又はマルトースを酵素処理して得られたものである。成分はトレハロースである。製造用剤Trehalose

赤福事件で指摘された問題の一つに、JAS法で定められている使用材料記述部分にトレハロースの記載がない旨の指導を、県から受けたとの報道がされました。赤福の謳い文句、『添加物を一切使用しない』に疑義が生じる結果になったのですが、これは、自分を含め、多くの菓子屋が勘違いしている、あるいは、勘違いしていた事の一つです。

メーカーの説明カタログには、澱粉に酵素を作用させて作られる澱粉糖で、糖質としての分類は二糖類(その他にショ糖、麦芽糖、乳糖などがある)になるとの説明です。この説明からすれば、単純に砂糖の一種であると考えるのが、ごく普通で、その結果、使用材料欄へは『砂糖』とだけ記載している場合も、かなりあると考えられます。たぶん、赤福もそう解釈し、何の悪意もなく『無添加』としたと思われます。

実際、『添加物』と言う言葉からは『身体に悪影響を及ぼす』と言うイメージが連想されるのですが、トレハロースに限っては、つい最近のテレビ、新聞コマーシャルの影響か、添加物にも拘らず、かなり、好印象を持たれるようになり、皆がイメージする『添加物』とは少し趣が違う物質です。その意味で、この件に関しては、赤福にとって、少しばかり酷な面もありますが、他の行為があまりにもひどく、すべてが疑いの目で見られるようになってしまった感が否めません。

はっきり言って、トレハロースは単に『砂糖』の一種で、生物にとっての弊害例はありません。それどころか、多くの利点が報告されています。ただ、それも、メーカーのカタログの内容を鵜呑みにしての話ですが・・・

餅の上にベタッと餡を乗せただけの菓子、35年ほど前、伊勢神宮の前で食べた記憶があります。正直言って、それ以来、再び、食べたいとも、土産にとも・・・




2007/10/29

鳩山法相の、講演での最初の発言です。

「私の友人の友人がアルカイダだ。バリ島中心部の爆破事件に絡んでおり、私は中心部は爆破するから近づかないようにとアドバイスを受けていた」

爆破計画を知っていたのかと言う指摘を受けての、講演後の発言です。

「友人に聞いた話で、私が発生前に爆破計画を知っていたということではない。話を聞いたのは事件の3、4カ月後のことだ」

・・・・・・・・・・・・

よく分からないんだけれど、事件の3、4カ月後に聞いて、近づかないように・・・って、
爆破するから近づかないようにアドバイスを受けていたんだけれど、爆破計画を知っていた訳ではない・・・って、

時系列にしても、論理にしても、かなり、矛盾・・・、していない?

友人の話であるから、信用できないってことかな?

どちらかと言うと、そんな、信用できない友人の話を、平気で講演でするあなたが、信用できないんだけれど・・・、まあ、死刑の順番を乱数表で決めようとするぐらいの人だから・・・、分かろうとすること自体が無理かな?




2007/11/16

先日、奥浜名湖の紹介の一部として『みそまん(12店)』が採り上げられることになり、わが店にもテレビ取材(ローカル)がありました。「ほんの5分ほどで終わりますから」という言葉に、これが編集されたら、いったい、どれだけの短さになるのだろうかと期待?したのですが、それは期待以上でした。まさにそれは瞬間的な短さで、『取材5分(実際には15分ほど)は放映1〜2秒と心得るべし』です。

その番組の中で、いかに新鮮な魚を提供しているかという、ある食堂の取材場面がありました。店のすぐ裏が浜名湖になっていて、そこには店専用の桟橋があり、店主の案内でリポーター二人(局アナウンサーとゲスト女優)が案内され、そこに縛り付け、水中に置いた竹の篭を引き上げ、中を見せるというものです。そこには、今から調理される魚たちがピチピチと跳ねているといった具合なのですが、確かに跳ねるほど元気なのは分かるのですが・・・

かつて(40年以上前)の浜名湖は水が澄み、見るからにきれいだったのですが、生活の向上と共に生活排水の量が増え、次第に水はにごり、入り江など水が淀む場所は、水がぬるむと同時に青藻が発生し、悪臭を放つようになります。桟橋ということは岸辺に近く、さらに、そこからすぐ北へ行ったところは、川が流れ込む入り江部分、見渡した感じ、お世辞にも清潔そうには見えません。

人間というものは、自分が置かれた環境に慣れ親しむと、その環境に対する客観的な見方が出来なくなります。臭いもなく、汚れも目立たないテレビ画像では何でもない水際なのですが、実際に、それも初めて浜名湖の岸辺近くの湖面を目にした人間は、場所によっては、その汚れと臭いに、少々、顔をしかめるに違いありません。しかし、今まで長年、違和感もなく、そこで過ごしてきた人間には、その気持ちを察することが困難となります。そこで暮らす人間には、臭いもさることながら、目にする汚れも、あまり、気にならなくなっているのです。

さて、そんな気持ち(少々汚いと思う気持ち)があったのか、なかったのか、女優さんが料理を口にした後のアクションは、笑ってばかりでコメントがありません。美味しすぎて言葉にならないのか、魚が置かれていた環境が頭をよぎったか、何とも微妙で複雑な笑いでした。

あの場面を目にしていなかったならば・・・、
せめて、水槽の魚ぐらいだったならば、もっと・・・

話は戻りますが、『みそまん』の紹介は、旧引佐3町の各4店舗ずつの外観をまとめて1コマの1秒、12店(局アナが口に入れる場面)まとめて1コマの1秒、要するに4分割、更に12分割の各1秒、何が何やら分からぬ素早さだったのですが、12店まとめて移った場面を見て感心しました。いくら甘党とは言え、ひとりで12店の饅頭を頬張る(各店、予備用を含め、3個を用意)とは、アナウンサーも命懸けの商売です。




2007/12/3

菓子屋に限らず、商品をPRする場合、いかに消費者に対し好印象を与えようかと腐心します。そんな意図的な、半分、怪しげな文句に、賢い(疑り深い?)人間ならば首をかしげそうなものですが、多くの人が、まるで催眠にかかったようになってしまうようです。同じ食べ物を口にしているのに、ウンチクがあるだけで、『さすがにうまい!』と唸ったりします。裏を返せば、人間の舌という物は、それほど、鈍感なものだという証なのかも知れません。

そんなPRの文句に、やたらと 熟成 と言う言葉が使われます。
そもそも、 成熟 とは

(1)果実などが十分に熟した状態になること。

(2)〔化学〕 物質を適当な温度・条件の下で長時間放置して、ゆっくりと化学変化を行わせたり、生成するコロイド粒子の大きさを調整したりすること。また、溶液内化学反応の終了後、反応溶液をそのまま静かに放置し、生成した極微細な沈殿・結晶を大きな沈殿・結晶にすること。

(3)発酵したものが熟すること。特に味噌や酒、醤油などの味にうまみがでること。なれ。

最近、ローカルの番組で、おいしい栗蒸ようかんの店の紹介がありました。その店の謳い文句なのですが

蒸し上げたあと、じっくり一晩、扇風機に当て、表面の水分を飛ばし、 熟成 させます。翌日、カットして出来上がりではありません。更に扇風機を当て、カットした部分の水分を飛ばします。こうして、十分、 熟成 させるからこそ、おいしくなるのです。

確かに、表面部分の乾いた(水分が飛んだ)部分の糖度が増し、甘くなるのは分かるのですが、それを 熟成 と言って良いものか・・・、(上の 熟成 説明(2)での化学変化・・・のつもり?)

それより、いくら糖分に殺菌作用があるにしろ、常温下に長時間放置して、それこそ、雑菌を吸い寄せているようで・・・、とても、真似はできそうもありません(普通は、粗熱が取れたところで箱などに入れ、外気に触れないようにして冷蔵し、カットした後は脱酸素包装し、滅菌する)。

さらに、それを、「うまい、うまい」と口に入れる感覚も、自分には・・・




2007/12/26

今年の10月に、kg単位ではなく、100g(0.1kg)まで測れる体重計を購入しました。その理由はダイエット(健康管理)です。別に食べ物に特段注意する訳ではなく、毎日、決まった時間に体重計の上に乗るだけのダイエットです。多くの人が思うに違いありません。

「体重計に乗るだけでダイエットだってぇ、そんなバカな!」

自分も半信半疑だったのですが、朝日新聞2面の『人』コーナー(体重計ダイエット)での紹介で、その気になってしまいました。NHK『試してガッテン』の番組プロデューサー?を採り上げての記事だったのですが、何と言っても、『楽して痩せられる(られた)』との謳い文句が気に入りました。高価な薬を飲み続けたり、苦しい思いをする必要もないのです。たとえダメでも、体重計がなくなる訳でもなし、とりあえず、始めることにしました。

5年前、高血圧、高血糖を改善しようと始めたダイエットで、74kgあった体重も、一時65kg台まで行ったものの、馴れと油断からか67〜68kgに戻り、ジワジワと上昇傾向にありました。さて、ダイエットスタートなのですが、そこで、もう一つの要点があります。「そーら、きた!」と思うかもしれませんが、毎日測った体重をグラフに付け、それを眺めるだけのことで、痛くも痒くもありません。

最初、50日、時々66kg台に落ちたりもしましたが、68kgを突破する日もあり、総じて、67〜68kgで落ち着いていました。「な〜んだ、こんなものか」と期待はずれの面持ちだったのですが、50日を過ぎ、ついに66kg台に突入し、安定してきました。そして今、70日を過ぎ65kg台が連続3日・・・、

これは、いったい?

まだ、1年も経っていない時点での結論は出すつもりもありませんが、原因はどこにあるのだろうかと考えてみました。

勝手な想像なのですが、おそらく、無意識にダイエットをしてしまっているに違いありません。毎日、グラフで自分の状態を見て(見せられて?)、『さあ、ダイエットだぞ!』と声を掛けられている状態、いわゆる、催眠状態に置かれていると考えられます。実際、2つ食べるところを1つにしたり、今日は我慢しようと言う心理が働くことは確かです。自分の勝手な思い込み?で我慢しているのですから、辛いという認識もありません。

これは、ひょっとして・・・

喜ぶのは、まだ、早いですって。確かに、それは言えます。これから正月が待ち構えていますし、1年後、すっかり、体重計のことなど忘れていたりして・・・、果たして、糠喜びに終わるのか・・・、

乞う!ご期待!


リバウンド状態を!