【2004/04/20 瀬戸地区から礫島を望む】 
左遠方に浜名湖大橋がかすんで見えます。

 拡大

昔、ここの地区の小学校は高学年になると、夏休み前、体育の授業で
島までの泳いで往復(片道?)する試練があったらしい。<確か?、中学の時の同級生の談>
(今は、そんな無謀な?ことはしていません。と言うか、学校側としては出来ない?)

溺れて沈んだら、一巻の終りと言うことはありません(手漕ぎ船?が横につく)でしたが
半分、度胸を付ける意味合いもあったような、なかったような・・・

自分の小学校でも、5,6年生になると、同じようにある海水浴場から
一旦、沖に出て、隣の海水浴場まで泳ぐ遠泳の授業がありました。

足のつかない、波の立つ海(湖)の沖を泳ぐと言うのは、横に船がいるにしても、
もし、一斉に、みんながギブアップしたら、果たして、そのすべてを助けることが
出来るのだろうかと言う心配もあり、それなりの勇気がいったことが記憶にあります。

案の定、5年の時、一人がギブアップして手を上げた際、群集心理と言うか、
回りのみんなの不安を増幅させ、次から次へと手を上げる始末(自分もその一人)、
たぶん、先生の方も必死だったと思います。

しかし、あの時、まだ頑張れたのに、どうして、ギブアップしてしまったのだろうかと
言う悔しさと共に、自分の意気地なさに後ろめたさも感じたものでした。

それが糧となり、翌年、6年では泳ぎ切ることが出来たのですが、
快い疲れの中に、充実した達成感と自分に対する小さな誇りがありました。

・・・・・<一巻の終わり>・・・・・
〔物語が完了する意から〕すべてが終わること。
結末がついていて、もはや手遅れであること。万事休す。

少し、ズームした画像です。浜名湖大橋も、確認できるほどの大きさになっています。

 拡大