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【歳暮運搬紀行】 

プレゼントは、感謝や好意の表現と思っていたのですが、プレゼント自体が、下心の象徴に
思えるようになったのは、昨今の政治のおかげとも言えます。

国民一人(年齢に関係なく)当たり、年間250円の政党助成金、その制度ができた時、
「これで、企業と政治の癒着はなくなり、政治はクリーンになる」
と期待したのですが、結局、企業団体献金がなくなることはなく、挙句、汚職が繰り返される。
企業献金は、どう見たって、大きな意味での贈収賄に思えるのですが、そうではないと言い張る。
であるならば、いったい、何のための政党助成金制度だったのでしょう。
「政治は金がかかる」=「政治は欲がからむ」、欲がある限り、その構図は変わることはなく、
だからこそ、企業献金を無くさなくてはならないと思うのですが・・・

そんな政治の世界に感化されているのか、プレゼントをする行為、
それも目上や利益を提供してくれる相手への場合、どこか後ろめたさを覚えるのですが、
歳暮、中元は、そんな考えに対しての緩衝材的役割があり、
贈る側にとっても、受け取る側にとっても罪悪感を薄めているとか、いないとか・・・


自分にとって、丸っきり、利害関係もない、故に罪悪感の存在しない歳暮行為を、
かれこれ、20年近く続けています。
三ケ日がみかんの産地と言うこともあり、妻の分も含め、親戚、友人、
かつての職場の知人など20箇所以上、みかんの箱詰めを送り続けているのですが、ふと、
「いったい、いつまで続けるのだろうか。相手にとって重荷になっていないだろうか。」
と言う思いが頭をよぎるのは、年齢を重ねたせい?

まだまだ、当分の間は続けるつもりではいるのですが・・・


郵送分も多くあるのですが、当初、車にみかんの箱を山積みし、一日かけて、
10ヶ所以上を回ったのですが、今は妻の実家へ行った帰り、実家を含め、
4ヶ所だけにしています。それでも、途中、休憩などをとっていると、
結局、家に着く頃は、真っ暗です。

その一日の風景です。油絵風に加工しています。

三ケ日インターから西に向け走ります。
春日井ジャンクションで中央道に入り、最初のインターチェンジ、小牧東で下り、北へ。
↓その途中、犬山市東岸から入鹿池を望みます。
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↓関市の東の端、周りは田んぼに囲まれた妻の実家からの北方向の風景です。
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↓関を発ったのが、午後1時過ぎ、入鹿池の少し手前の田園風景、構図が気に入りシャッター
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↓かつての棲家、岡崎市本宿の県営住宅です。妻の友人の所へ寄って、
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↓本宿から山越え(新箱根)して、蒲郡へ。日は傾き、山が、西日で、更に赤く染まっていました。
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豊橋市前芝に着いたときは日没過ぎ、まさにトワイライトタイム。
↓豊川にかかる三河大橋の、遠近感を強調した構図には、寂しさが漂います。
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