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【岩津天満宮(愛知県岡崎市)】 

東名高速道路『岡崎』−『豊田』間を走ると必ず目に付く『岩津天神』の巨大な看板。
通過する度に気にはなっていたのですが、岡崎市に住んだ約15年、
ついぞ行くことのなかった岩津天満宮は山の上にあります。
童謡『とうりゃんせ』に歌われる『天神様』のように、
国道248号線からそこへ向かう道は、車がすれ違うことも出来ない程の『細道』です。
250余年の歴史を持つ岩津天神、お宮自体が崖の途中に建っている状態で、
かつては、まさに細く、急勾配の道を苦労して登り、参拝に訪れたに違いありません。

2年前、初めて、娘の合格祈願に立ち寄り、合格祈願セットなるものを手に入れ、
その甲斐あって?合格したのですが、お札、お守り、絵馬、そして、これで毎日、
三度の食事をすれば合格間違い無しと言いたいのだろうか、箸、
窮めつけは、『必●勝』(●は赤)と大書きされた必勝ハチマキ、
部屋の中で密かに巻いていたのかは定かではないのですが、
さすがに、これを頭に巻いたまま人前に出るには、少しばかり勇気が要ります。

何にしても、天神様は天の神様、没後、藤原一族を見舞った落雷の話も
知らない訳ではありません。お札をそのままにする気など毛頭なく、
天罰の下らないうちに「納めよう、納めよう」と思いつつ時が過ぎ、
やっと、今年3月初日に訪れたのですが、

あれ?雰囲気が違うぞ。

2年前、訪れた時、すぐ近くの岩津高校野球部員がユニフォーム姿で、
石段を含めた、その険しい参道を利用してのマラソントレーニングを
している最中だったのが記憶にありますが、
曇天、夕刻、時期(12月初旬?)のせいか、もう少し古びた印象がありました。

今回は、晴天、昼過ぎ、梅の時期、なぜかピカピカしている。
いや、実際、ピカピカしている。平成14年は道真公没後1100年、それを機に?、
この2年の間に社務所を新しくした?ようで、境内も至るところ、きれいに整備されていました。
なんと言っても、新しい牛が居ます。
空の青、梅の紅白も手伝い、華やいだ雰囲気でいっぱいです。
梅林も花が咲いていなければ気にも止めないのですが時期が時期、目に入ってきました。
この梅林も新しく造られたのだろうか?
それとも、前回は花がないおかげで気付かなかった?
まあ、梅と牛は天満宮のシンボル、きっと、昔からあったに違いありません。

 いまでこそ、本殿すぐ下に駐車場があり、この階段分だけ上れば参拝できますが、
 建立された当時(江戸時代)は山道、そして階段を、この数倍分、登ることが必須条件です。
↓山道は籠や馬にしても、階段は自力が求められたことでしょう。
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↓本殿内部です。
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 天満宮に付き物の牛さんです。
 右が新しい牛ですが、どちらかというと、年季の入った左の方がご利益がありそうです。
 自分の悪いところの部分を撫でると良くなるということで、年数が経てば経つほど、
 像全体の角(かど)は丸くなります。天神様は学問の神様ということで、当然、頭部が集中的に
↓撫でられることになり、古い牛の頭は平たいと言うか、少し陥没気味で、脳味噌、少なそう?
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↓願掛け絵馬(絵牛?)をかける場所が設けられています。
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 その中の一枚、クラスの代表が参拝に来たのか、それとも皆で来たのか、
 はたまた、生徒思いの先生が来たのかも知れません。なんにしても、
 全員の書体がそれぞれ違うところから判断すると、自筆に違いありません。
 受験を間近に全員が一緒に参上と言うのは余りにもおめでたいというか、
 余裕というか、下手をすると、多くが『桜散る』になりかねない。
 代表が参上して、そのために、その代表が悲惨な目に遭うのも残酷、
 と言う事は、学校の教室で書いた物を『生徒思いの先生が持参』説が有力?
 でも、一枚にこれだけの数を書くとなると、一人当たりの御利益は、かなり薄くなりそうで、
↓全員、無事に合格したのか、物凄く心配です。
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 もうひとつの天満宮のシンボルは梅、その梅林です。
 隣接する山の斜面が梅園になっています。
↓眼下、中央に流れるのは矢作川、その左が岡崎市内になります。
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