灯台下暗し

2003/07/30

息子が高校3年、夏休みに入ったある日・・・・

ドン ドン ドン ドン ドン

夜も9時を回った時間、玄関の扉が勢いよく開き、その扉が閉まるが早いか、
階段を景気よく二段ずつ駆け上がっていく大きな足音が聞こえた。
どうやら、昨朝、出かけた息子が帰ってきたようだ。

(どれ、土産話でも聞くか)と、玄関への内扉を開けると同時に、玄関に漂う
ものすごい異臭。まるで、黄白色の霧が立ち込めたかのような錯覚。
どうも、その根源は土間のあっちとこっちにひっくり返っている、濡れて薄汚れた
スニーカーのようである。更に、点々と二階まで続く、目に見えない足跡からも発せられ、
玄関から二階へ線の状態で、一帯がよどんでいる。
まあ、その時すでに、その臭いの親分は風呂の排水口の中へ消えつつある状態ではあった。

息子が突然、

「俺、マーちゃんと一緒に、大学を見に行ってくるわ」

と言い出したのは一昨日、どちらかと言うと
『大学を見てくる』 と言うのは口実で、
『親友と旅行』 が本来の目的なのは自明の理ではあった。

おっかさん

「ええっ! あんた、泊まる所はどうするのよ?」

「橋の下にでも寝る」

計画も何もない、 『思い立ったら吉日』 状態、そして、
どうやら、本当に橋の下に似たようなところで夜を明かしたようである。

季節は夏、おまけに、この二日間、全国的にずっと、ぐずついた空模様。
そんな中、風呂へも入らず、汗はかきっぱなし、靴は履きっ放し、
体は(雨に)濡れっ放し、臭くなるには、十分過ぎる条件である。

人間、不思議なもので、自分の口臭を、人に指摘されないと気付かないのと
一緒で、臭い中にいると、それが臭いと感じなくなる。空気の澄んだ所に
入ったり、風の具合で一瞬、臭さを感知するのだが、すぐにまた、
他人を寄せ付けない強力バリアの中のよどみに順応してしまう。
まさに、 『灯台下(もと)暗し』 である。



大阪で地下鉄に乗ったとき、息子、一瞬、

ぅん? 臭せえ!


いる! 絶対いる、この中に!


どこだ? 浮浪者は?


おかしいなあ。


らしき奴、いないなあ。<下に続く>














でも、実は、その時、電車の中に居合わせた、ほかの皆さん、

臭せえなあ!


こいつら!


若いのに、<下に続く>














どこの浮浪者だあ!






・・・<灯台:(1)航路標識の一。船舶に陸上の特定の位置を示すため、云々・・
       (2)昔の室内照明器具、云々・・by大辞林>・・・

・・・<灯台下(もと)暗し:灯台(2)の真下が暗いように、
   身近なことがかえって気づきにくいことのたとえ by大辞林>・・・

多くの人が、このことわざは、(1)と考えているようですが、
実は、(2)が正解です。

静岡県人にしか分からないと思いますが、静岡新聞のテレビCM、
大手新聞社をして、遠くのことが見えても、身近なこと(県内)が見えにくい、
静岡新聞ならば、遠くのことも、近くのことも、はっきり見えると主張している
のであるが、その中で、大手新聞社を漫画で 『灯台(1)の下』 に例えている。

新聞社が言葉の意味を取り違えていては、失笑の種である。

という事で、  にさせていただきました。


最後に、
文中、『浮浪者』と言う言葉を使いましたが、決して、卑下するつもりはありません。
誰も、なりたくてなった訳もなし、いわば、今の社会のゆがみによって、
否応無に社会の隅へ追いやられてしまったと考えます。
社会的地位が高かったり、経済的に余裕があっても、尊敬に値しない人物は多くいます。
ひがみではなく、そんな人達をうらやましいとは思いませんし、
それよりも、いくら社会的地位が低かろうが、貧乏だろうが、自分なりに、
人間として尊敬できる生き方をするほうがすばらしいと思います。

つい最近、テレビで、城下町を和服で歩く、品の良さそうなご婦人に声をかける場面がありました。
聞いてもいないのに、自分から
「こういった所を ベンツ に乗って通り過ぎるのもなんですから・・・」
・・・・・・ ああ、ベンツが自慢なんだ。
『車』 と言えば、観ているものは要を得るし、本人もその上品さを失わずに済んだものを・・・
心の貧しさをさらけ出したようで、哀れみすら覚えました。

少々、脱線