トラックvs人魂

2003/08/09

大学の寮生活時代、ある夏の熱帯夜、ムッとした熱気に眠ることもできず、涼みを
目的に仲間5人で、深夜のドライブに出かけました。岐阜市から関市へ通じる国道
156号線を、関市街にあと数キロ、名鉄美濃町線と並走する手前で右に折れると、
関カントリーを右手、百年公園を左手と、両側を丘で挟まれる細い道。

今でこそ、東海北陸自動車道ができ、それに伴い連絡道として道幅も拡張され、
国道(バイパスとしての248号線)に格上げされたようですが、当時は、道幅も狭く、
路面状態も芳しくはない道でした。道路沿いには民家は一切なく、家灯りは
もちろん、街灯さえもありません。深夜、それも新月の頃となると、車にしろ、
ひとりで通るには、少々、心細くなるような道です。

でも、いくら深夜であろうが、仲間が5人もいれば、そんな気分になることすら
ありません。右手にゴルフ場が見え始めた辺りで、車をとめ、ライトを消すと、
まさに、 『草木も眠る丑三つ時』 、物音ひとつしない漆黒の闇、通行する車も、
民家もなし、心置きなく、皆で 『立ちション』『連れション』 タイム。

用を済ましたところで、さあ、出発だと車に乗ろうとした時、ひとりが
「なんだろう?」とゴルフ場を見ている。みんな一斉に向けた視線の先に、
灯りがひとつ、少し揺れながら、坂になったグリーン上を、こちらに向かって
下ってくる。

深夜にグリーンの点検と言うことは考えられないし、警備員の見回りの懐中電灯
だろうか? それにしても、深夜2時、警備員がグリーンを見回るだろうか?
と、その瞬間、突如、灯りは、かなりの勢いで、人の2倍ほどの高さに上昇したと思ったら、
今度は下降に転じ、そこで、ふうっと、消えてなくなった。

突然の出来事に、全員、状況が飲み込めず、言葉を失い、凍りついたように
動かない。しばらくして、全員、我に帰るが早いか、大慌てで車に乗り込みました。




ひえ〜


人魂だ。



日本も、つい最近まで多くの地方で土葬が習慣でした。関市も例外ではありません。
おっかさん(妻)のお袋さんのお袋さん、自分からすれば義理の祖母?なのですが、
約20年前に亡くなった時、墓堀人がきっちり寸法どおりに掘った穴に棺桶を静かに
落とし、列席者がそれぞれ少しずつ土をかけた記憶があります。長良川、小瀬鵜飼で
有名な関市小瀬です。そんな土地柄、人骨の燐が 人魂 の原因とするのならば、
ゆらゆら、揺らめいたにしても、それほど不思議なことではないのかも知れません。


自分が今住んでいる地区も、国道の信号からすぐ北へ行ったところに住んでいた
お年寄りの話によると、かつて、お盆の時期になると、その交差点を南北、東西に
 人魂 が行ったり来たりしたと言います。


でも、今、出てきたら、大変。


何でかって?


そりゃあ、かなり危険だからです。


おまけに、信号は押しボタン。



これは、 人魂 には、少しばかり不親切。


不景気が続く今、トラック業界も高速代を節約する為、信号の少ないここの国道を
大型トラックが、深夜、地響きを立てながら、ぶっ飛ばしていきます。それも、5分にも
満たない間隔です。

当然、 人魂 は押しボタンは押せないので、相当の勇気を持って、赤信号を無視する
しかありません。(その勇気、他人から見れば、いかにも、もったいぶったように、
ゆ〜ら、ゆ〜ら、マイペースで渡っているようにしか見えませんが・・・
まあ、いくら可能だとしても、大急ぎで渡ったら、それこそ、 人魂 としての
信頼は失ってしまうわけで、結局、 人魂 らしく、ゆ〜ら、ゆ〜ら、
渡るしかありませんが・・・)



結局、いくら、勇気があろうが、


『赤信号 皆で渡れば 怖くない』とばかり、


いくら、仲間を連れて来ようが、


所詮、脇役、役不足


大型トラックに、かなう訳はありません。



ぶつかる前にトラックの風圧で、軽く、 一括消去 ・・・


されちゃいますよね。