凛真寮 寮歌
2003/12/27
白帝城の桜花
木曽の流れに色映えて
春を称(たと)うる若人が
久遠の理想 誰か知る
夏は来たりぬ長良川
水面に浮かぶ漁火に
訪(たず)ぬる人の繁くして
栄華を謳う二百年
水無ヶ原に暮れかかる
夕べの色の金華山
塒(ねぐら)に帰る鳥の音に
故郷の秋を忍ぶかな
伊吹おろしの声絶えて
寒月遠く凍る時
高原の冬清くして
千里を望む銀世界
大学移転に伴い20年程前取り壊された大学時代の寮(今現在は岐阜県立各務原西高校)の
第一寮歌で、事ある毎に斉唱しました。第一と言うくらいですから、第二もあったのですが、
こちらのほうは滅多に歌われる事がなかったため、歌い出し(「凛呼真摯の・・・」=寮名:凛真寮)
ぐらいしか覚えがありません。
木曽の流れに色映える白帝城こと犬山城、
そもそも、白帝城は、中国奉節県東、三峡の西口で、四川省に入る戸口、長江の北岸に位置する
地形の非常に険しい場所に建てられ、軍事の要衝として知られています(前漢末期、公孫述が
この地に独立王国を築き、自ら白帝と名乗ったことから命名されました。かの三国志で知られる
劉備が夷陵の戦いに敗れ、引き揚げ、死に際に国事、家事を諸葛孔明に託す場所でもあります)。
岐阜市北東部、岐阜駅よりバスで20分程の所に岐阜公園があり、ちょっとした動物園も兼ねています。
園内には多くの桜の木が植えられ、春には多くの人でにぎわいます。北に長良川(鵜飼場と
ホテル、旅館が密集)、バック(東側)に急斜面の小高い山、金華山を配し、その山頂に戦国時代の
岐阜城、または稲葉山城と呼ばれる山城があります。
その金華山、戦略上、短期篭城するには多少有利なところもあったかもしれませんが、
実際、生活する上で、城山としては高すぎて、必ずしもベストな城山とは言えなかったようです。
鎌倉時代の二階堂氏、守護代の長井氏とも、少数の守備と兵糧を置いたものの、
実際の生活は山麓が主で、本格的に城山としての体を成したのは斎藤道三の時であると
見られています。司馬遼太郎の『国取物語』で知られる、『まむし』こと斎藤道三、
その出生には謎のところが多いようですが、生まれは美濃ではないにしろ、岐阜県で最も有名な
人物のひとりであることに間違いはありません。
北に長良川、そのほとりにそびえる急斜面の金華山山頂に建つ城、実は、その構図から
歌詞の『木曽の流れ』のことなどすっかり無視して、岐阜城=白帝城と勘違いしていました。
本場中国の白帝城の様を見、その立地状態を考慮すれば岐阜城の方が、そう呼ぶにふさわしいと
自分では思うのですが・・・・・・・
大学時代、数限りないほど歌った寮歌に出てくる、白帝城、長良川は理解できるのですが、
金華山を望む水無ヶ原、伊吹おろしの吹き荒ぶ高原がどこなのかは、その歌詞に何を疑うこともなく
卒業してしまったため、今では、もう、知る由もありません。
それにしても、寮が建っていた場所は岐阜市の隣、各務原市であり、
夕日に映える金華山も見えなければ、長良川の鵜の鳴き声も聞こえず、
まして、白帝城は愛知県犬山市、<下に続く>
なんで、これが寮歌なんだ。
と言うより、各務原市自体、見所と言っても木曽川ぐらい、それも、川としての険しさは犬山までで、
風光明媚と言った場所はない、ほぼ平坦な、つまらない、そんな場所(自分がそう思っているだけなのかも?)、
歌にできるものが見当たらないのも事実、ひょっとして、「各務原=水無ヶ原 or 高原」?、
それならば少しは寮歌としては救いがありそうですが・・・
各務原市に対し、かなり辛辣なことを書いてしまいましたが、それでも、木曽川を挟んで
犬山の対岸になる鵜沼から、その木曽川に沿って高山へ向かう国道沿いは、
右に奇岩を配した木曽川、左に迫る荒々しい山肌、かなり、迫力のある風景が楽しめます。