荒れる成人式

2004/01/22

成人式妨害受け伊東市長 「告訴も検討」 【2004年01月13日】
 十一日の伊東市成人式で一部の新成人がステージ上に乱入して進行を再三妨げた問題で、鈴木藤一郎市長が十二日に市役所で会見し、「警察などと相談して式を妨害した者を告訴するかどうかを決める。成人式は来年以降も続ける」という方針を明らかにした。
 鈴木市長は「常識を超えた行為で許されない。人物を特定し、告訴を含む強い態度で臨む」と一罰百戒の考えを示したが、「法的な検討はこれから。相手次第では厳重注意で終わる場合もある」と語った。会見までの時点で同市に名乗り出た者はいないという。
 妨害の中では、式終了時に市民憲章の垂れ幕を引きずり下ろした行為を最も問題視した。酔った者を入場させたことについては、「酔っぱらっているかどうかの区別は難しい。自分が責任を持つと言った同行者もいたという」と振り返った。
 成人式は続けるが、地域代表や実行委員会経験者など市民の意見を聴き、開催形式や迷惑行為防止策など今後の在り方を検討するという。

青年2人、親と謝罪 伊東市の成人式騒ぎ 奉仕で償いも【2004年01月16日】
 十一日の伊東市成人式で騒ぎを起こした若者のうち二人の男性が十五日、父親を伴ってそれぞれ市役所へ謝罪に訪れた。鈴木藤一郎市長の「謝罪は親とともに」という考えを受けたもので、若者の親が訪れたのは初めて。鈴木市長は公務で対応できなかったが、親子は教育委員会幹部に謝罪した。
 若者のうち一人は十四日にも市役所で、騒いだ仲間とともに鈴木市長に謝罪していた。もう一人は初めて謝罪に訪れた。
 教育委員会によると、父親はそれぞれ「自分がしっかり子育てできなくて申し訳ありません」「今後のことを子どもとよく話し合う」などと謝罪したほか、「ほかの若者や親にも謝罪に訪れるよう呼び掛ける」と話した。一人の若者はボランティア活動などで償う意思を示したという。
 この日は夕方までに八十一件のメールが市役所に届き、前日の若者六人による謝罪を受けた内容が大半を占めた。「謝って済むのは子どものうち。きっちり責任を取るのが大人の常識」「本当に反省するために告訴すべき」など、謝罪があっても厳しく処分するよう求める声が多かった。

伊東市の成人式妨害、2人を前夜の傷害事件で逮捕【2004年01月22日】
 静岡県伊東市の成人式で、酒に酔った新成人らが壇上に上がり、市民憲章の張り紙を引きはがすなどして式を妨害した問題で、騒ぎに加わっていたとみられる2人が式の当日未明、知人を殴ってけがをさせていたことがわかり、伊東署は21日、2人を傷害容疑で逮捕した。
 逮捕されたのは、伊東市中央町、建設作業員岩崎勝年(20)と、同市鎌田、無職大村知宏(20)の両容疑者。調べでは、2人は11日午前0時ごろ、同市岡ですれ違った知り合いの建設作業員(19)に「最近連絡がない」などと言いがかりをつけ、顔を殴るなどして1週間のけがを負わせた疑い。2人は容疑を認めているという。
 伊東市の鈴木藤一郎市長は、式を妨害した新成人約10人を刑事告訴する方針を明らかにしている。
(以上、ニュース文面)

ここ数年、成人の日前日の日曜、あるいは当日(過半数の自治体が前者)、
決まって微笑ましい?ハプニングがニュース番組をにぎわす。
そして、ついに今年は、我らが誇る静岡県がヒートアップしてしまった。
ディズニーリゾートのペアチケットなどが当たる抽選会を目玉に
「当選番号を聞き逃さないよう新成人は静かになる」との皮算用が、
見事に外れた伊東市の新成人による式進行妨害、垂れ幕引き剥がし事件
(他にも宮城県古川市の救急車蹴り入れ逮捕事件、沖縄県那覇市の道路交通妨害など)、
なかなか勇ましい限りであった。

ただ、その勇者も、告訴するぞと言われ、大慌てで謝りに行くところは何とも頼りない。
何の主義主張もなく、たぶん目立ちたかっただけであろうが、全国ニュースにも取り上げられ、
その意図した通りになったのであるから、そこは最後まで意地を張り通さないと格好がつかない。
これでは自分の頼りなさを日本全国に知らしめてしまったようなもの。
まあ、ある意味、目立つことに関して言えば、十分、パワーアップされたかも知れないのだが。

 ニュース映像で、壇上に上がって垂れ幕を剥がし、最後にマイクを占拠する場面が
 映し出されていたのであるが、横から来た、ちょうど新成人の母親ぐらいの年齢の市の女性職員が
 「ちょっと、あんた、ダメじゃないの」 何やらお調子者を叱っている風、 
 「どうも、すみません」 お調子者、さすがに、頭に手をやり、誤っている風であった。 
 まさに、かあちゃんには頭が上がらない、いたずら小僧のようである。反省させるには、
 とうちゃんの 『怒り』 より、かあちゃんの 『叱り』 の方が効果絶大である。なぜって、
 『怒り』 は 『相手の感情』 =  であるが、
 『叱り』 は 『相手の感情』 =  。
 更に効果があるのは 『母親の涙』 、かあちゃんに泣かれたら反省するしかありません。


でも、それを遥かに超える勢いで目立ったのは市長。
『告訴するぞ』と脅しをかけ、本人が謝りに来たら、今度は『親同伴で謝罪に来い』、
挙句の果てに、いくら謝っても、『警察と相談して告訴する方針だ』、
それなら、初めから、さっさと告訴したほうが男らしいと思うのだが・・・。
それよりも、お前たちは成人だと言っておきながら、その成人に向かって、
親を連れて来いという矛盾に気付かない市長って・・・・・・・・こ・・・・・・・・ど・・・・・・・・も。

 こどもと言えば、どこかの成人式で、親の出席を認め、促したところ、
 600人の新成人に対し、1200人の同伴者が出席したとか。
 これでは、保育園、幼稚園の入園風景とさして変わらない。
 多くの親も上の市長と似たり寄ったりと言うべきかも知れない。


昨年?は自分の話を聞かずに無駄話をする新成人に
「人の話も聞けない新成人に話すことは何もない」と言って、
挨拶文書を成人側に投げつけ、帰ってしまった長までいた。
自分の話を静かに聞かない新成人は失礼で、人に物を投げつけ、
職務放棄するのは自分の勝手、失礼ではないと言いたいのだろうか。
(この行為も、威力業務妨害並だと思うのだけれど、自分で勝手にやる分にはお咎めなし?)
まあ、こうなると、『目くそ、鼻くそを笑う』で、次元の同じ生き物としか思えない。

そもそも、成人式を挙行するに当たって、主役、主賓は新成人であり、
来賓として出席し、長々、だらだらと紹介される議員さんでもなければ、
成人の自覚を説く自治体の長でもない。どこの世界に、お客を招いておいて、
「俺の話を大人しく聞け」、「聞く態度が悪いのはけしからん」などと言うだろうか。
(まあ、確かに羽目を外しすぎたのは事実であるが)

出席する新成人の目的は様々であるが、最も大きな理由は、
幼馴染たちとの再会の喜びを互いに分かち、近況を話し合うことに他ならない。
要するに、自治体単位で設けられた同窓会的に捉えられている。

一昨年、成人式クラッカー事件の高松市は成人式のあり方を見直し、
申し込み制を実施しているようであるが、今でも市教育長自身は、
「式典は伝えたいことがあるから行う。望んで参加する以上、それなりの態度で臨むのが当たり前。
『同窓会』なら式典後にやればいい」と自治体側の論理をかざす。
成人式は『祝う』のが目的ではなく、『伝える』ことだなどと言うに至っては、まさに、おごりでしかない。
成人式に出席したから成人になるわけでもないし、
出なかったから成人としての義務が免除されるわけでもない。
本当に祝う意思があるのであるならば、考えるべきは自治体のほうではないだろうか。

先進諸国をして正しいなどと言うのもおこがましいのであるが、
式典を以って成人の自覚を云々などと言う話は聞いたことがない。
日本において成人式が発生したのは埼玉県蕨町(現 蕨市)、
その目的は、戦争直後、敗戦で喪失した自信を、次世代を担う新成人を
励まし、祝うことによって取り戻し、明日への希望を育むことが目的だった。
祝日も「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、
よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、
又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける。」という
昭和23年の国民の祝日に関する法律に基ずく。

新成人を『祝う』が、気が付いたら『祝ってやる』に変貌していた。
変貌させたのは、紛れもない主催者側である。
式運営において主賓であるはずの若者の意見を聞くこともなく、
正面壇上バックの『日の丸』を仰ぎ見させ、自覚(国にとって都合のいい事を?)を
促すところに民主主義があるのだろうか。
もし、何の疑いもなく、聞き入る若者ばかりになったら(それが国の望むところ?)、
実に恐ろしいことである。(国民物言わぬロボット化計画?、全員右向け右作戦?)

マスコミも、『荒れる成人式』と銘打ち、ほんの一部のお調子者の行動を、
あまりにも極端にクローズアップさせていないだろうか。
最終記事(22日分)の取り上げ方は、『それ見ろ、こんな奴らだ』を極端に強調しているのだが、
あえて、『この前の奴らだ』と断る必要などどこにもないはずである。
まるで、『成人式壇上乱入者』=『犯罪者』と、無理矢理、結論付けようとしている。
今回の取り扱い方と言い、ここ数年のマスコミの成人式での騒動の取り上げ方は、
視聴者に日本がダメになるのではと思わせ、視聴者の怒りをかきたてる役割を
果たしてしまった。最も冷静にならなければならないマスコミが我を忘れてしまっている。

それは、ある意味、国にとって都合のいいことでもある。
ほんの一部のお調子者が若者の代表であるが如く説き、切迫感を煽り、
「だから国民にとって愛国心が必要である」「国に奉仕する心を育てなければならない」と
愛国心教育を強いる。低年齢での教育の効果は絶大で、白が朱に染まるがごとく、
受けた教育に大きく左右される。かつての軍国日本の如く、子供の10人が10人、
兵隊さんになって手柄をたてる事が夢で、名誉と思うような世の中にも出来る。
20年後、何の疑いもなく、当たり前の如く徴兵制度が法制化されているかもしれない。

国民も自覚すべきである。
本当に悪いこと(刑法に限らず、道義的、政治的にも)をする人間は
テレビカメラの見えないところで、そっとやり、みんなの前ではニコニコしている。
テレビに映る事に何の頓着もない、ただ目立ちたいだけのお調子者、
その映像に、テレビの前で激昂する多くの国民。
その構図を一番喜ぶのは誰なのか、激昂する前に考えるべきであろう。

前述の高松市のクラッカー事件で、警察・検察は出頭してきた五人を逮捕し、
身柄を拘束、長期拘留した。誰にケガを負わせた訳でもない事件での異例勾留は
世間への見せしめを狙った思惑的な処分である。
そんな権力による制裁を容認する風潮を作ったことは、マスコミに責任の一端が
あると同時に、それに踊らされた多くの国民にもある。
そのクラッカー事件の被害者本人でもある高松市長ですら
「戦後五十数年を経た社会の負の遺産、ひずみが火を噴いてきた。
クラッカー事件で終わらせてはならない大きな問題で、
戦後の民主主義、正義、人権といったものを今こそ検証しなければならない」
と警鐘を鳴らす。

問題なのは、目の前に起こる派手なパフォーマンスではなく、
何がそうさせる社会にしたのかである。

そして、最も恐れるのは、かつて森内閣が「荒れる成人式の原因は
愛国心がないからだ」と、いとも簡単に結論付け、小中学校の愛国心教育、
ボランティア活動の義務付け(義務なのに、何でボランティアと言うのか不思議)
を強要したように、こんな茶番劇を、『待ってました』とばかり
政治が利用することである。