えびで鯛を釣る

2005/01/11

我が家の菩提寺は、毎年、お盆(旧盆の8月15日前)に宅供養に訪れます。
自分がここへ帰って来てから、二代目の和尚さんになるのですが、
本職(副職?)は中学の先生をしていて、息子(娘も?)が中学で数学を教わり、
親子共々お世話になっています。

ある夏の宅供養が終わったとき、前々から聞いてみたいことがあり、尋ねてみました。

「曹洞宗の本山は永平寺ですよね?」

「ええ、私のお寺も含め、本山は永平寺と言うのが、つとに有名ですが、ただ、

曹洞宗も二派に分かれていまして、横浜市鶴見にある総持寺を本山とする寺もあります」


  曹洞宗(ソウドウシュウ ではなく、ソウトウシュウ)は、
  臨済宗と並ぶ禅宗(大乗仏教の一宗派)の二大宗派のひとつです(他に黄檗宗)。
  インドのヨガを連想させる静のイメージを持つ座禅=禅宗、
  その先行形態はインドに見られると言うのですが、
  六世紀前半、達磨(だるま)が、そのインドから中国へ伝え、発達しました。
  七世紀には六祖慧能の南宗と神秀の北宗とに分かれ、
  主流となった前者から曹洞宗と臨済宗が派生し、
  日本へは西暦1190〜1200年、鎌倉時代の初めに栄西が臨済宗を、
  それより後、1227年、道元が曹洞宗をそれぞれ伝え、
  さらに、江戸時代には隠元が黄檗宗を伝えました。
  座禅を中心に置いた修行によって心の本性が明らかにされ、悟りが得られるとし、

  不立文字(フリュウモンジ)
  教外別伝(キョウゲベツデン)
  直指人心(ジキシニンシン)
  見性成仏(ケンショウジョウブツ)

  要するに
  「悟りとは言葉によって書けるものではない。
  言葉や文字にとらわれることなく、
  直接心から心へと伝えられるものである。
  それには、修行によって表面的な心のあり方を克服し、
  自分に本来備わっている仏の真理を見きわめることが肝要である」

  を唱えよと言います。

  ただ、曹洞宗は、

  只管打坐(シカンタザ)

  「悟りを求めたり想念をはたらかすことなく、ひたすら座禅せよ」

  と無我の境地、『空』を説き、永平寺四世の瑩山紹瑾(けいざんじようきん)のときに
  地方の武士、農民に教勢を伸ばしました。

  その曹洞宗は福井県吉田郡永平寺町の吉祥山永平寺と
  横浜市鶴見区の諸嶽山総持寺を本山としています。

  同じ宗派で二つの本山を持つというのは異例のことですが、それには訳があります。

  1244年、道元は京都深草から永平寺町に移って開山し、
  それ以後、そこを弟子たちとの修行の場とし、当初、大仏寺と称しましたが、
  1246年永平寺と改称しました。

  一方、総持寺は、もともと、石川県櫛比(くしび)村(現門前町)にあった
  密教系の寺だったのですが、1321年、その住職が、前述の永平寺四世、
  瑩山紹瑾に帰依し曹洞宗に改めました。

  以後、長きに渡り、永平寺と本末を争うことになるのですが、徳川時代に入り、
  家康の調停のもと、双方、本山を名乗ることで和解に至りました。
  1898年(明治31)、火災に遭い、明治末に現在の横浜市鶴見区に移建され、
  今に至っています。



「ああ、そうなんですか。

で、先生は、出家するに当って、永平寺で修行されたのですか?」


「いえいえ、永平寺へは行っていません。豊川にある豊川稲荷です」


???
豊川稲荷?って、お寺?だったんだ。
人生、長くやっているけれど、初めて、豊川稲荷がお寺だということを知りました。

何度となく初詣に行っていたけれど、お寺だったのか。
そうそう、豊川稲荷には、大きなな鳥居があったよね。
それに、おきつねさんは、仏の使い?

これは、いったい・・・?
そう言えば、札所に巫女さんが居るのを見たことがない。
境内は白の作務衣(さむえ)を着、頭を丸めた男性ばかり。
あれは、お坊さん?

  実は、これにも異例の訳があるのです。

  伏見稲荷神社(京都府)、祐徳稲荷神社(佐賀県)と並ぶ、
  日本三大稲荷のひとつである豊川稲荷は、
  愛知県豊川市にある曹洞宗円福山豊川閣妙厳寺の俗称で、
  1441年東海義易(とうかいぎえき)禅師が創建した曹洞宗のお寺です。

  開創以来700年以上の歴史を持ち、この地方の武家今川義元、織田信長、
  豊臣秀吉、徳川家康、大岡越前守忠相や、文人画家渡辺崋山なども参拝した
  東三河きっての信仰の拠点でもあり、年間数百万人と言われる多くの参拝者が
  訪れます。

  境内に、咤枳尼天(ダキニテン-狐にまたがったインドの善神、教化される前は
  人の生き肝や心の臓を食らっていたという)を祭った鎮守堂があり、
  正確には、これを豊川稲荷と言います。
  (咤枳尼天、または咤枳尼眞天の咤は当て字、うかんむりは無し)

  商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まり、
  東京赤坂に直轄の豊川稲荷別院があるほか
  大阪、横須賀、福岡、札幌に別院を置き、全国至るところに分霊所があります。

  実は日本では、江戸時代の終わりまで 神仏混淆(神仏習合) が普通でしたが、
  維新を機に、明治政府は、天皇家中心の歴史観に基づき、
  1868年(明治1年)に神仏分離令を出し、神社と寺を強制的に分割し、
  それに合わせて、廃仏毀釈(きしやく)運動、いわゆる仏教弾圧に乗り出しました。
  そのおかげで、各地の寺や神社で、江戸時代末まで行なわれていた伝統ある宗教行事や
  貴重な伝承が失われて行くことになりました。 

  その中にあっても、妙厳寺(豊川稲荷)のダキニテンは、仏法守護の善神であるとされたため、
  分離されることなく、今も神仏混淆が残る貴重な例です。

 
正月も10日過ぎとあっては、今ひとつ、御利益に乏しい感もありますが、
その豊川稲荷へ初詣に行ってきました。

通常、神社の東側に常設(市営?寺営?)の有料駐車場があるのですが、
正月初詣の時期に合わせ、空き地や公園が急造(今は?知りません)の
有料(500円以上?)駐車場になります。
ただ、自分の場合、20年以上前になりますが、豊川稲荷の西側でマンション建設を
していたせいもあり、どこへ、それもただで駐車させるかは心得たもので、
一方通行道路を経由しての稲荷敷地内の駐車場への進入経路も知っているのですが、
今回は、ウォーキングも兼ね、稲荷西隣、稲荷公園西側の路上駐車を選択し、
稲荷裏手から参拝しました。

ただ、到着した時刻は午後4時、10箇所はあろうかと思われる御札受付の窓も一箇所を残し、
更にほとんどの露店も閉じる最中か、閉じた状態でした。

そんな中、一軒の占いの露店、中では、怪しげな女性占い師が退屈そうに
煙草をふかしていました。

そこへ二十歳過ぎの若者二人連れ。どう見ても、悩みなどなさそうだったのですが、
そのうちの一人が、テントの前に来たかと思うと、急に、占い師の方へ体を向け、

「いくらなの?」

占い師に「いくら?」と言えば見料以外にないのですが、よほど、意外だったのでしょう。

「えっ、なに?」

「何って、占い賃」

「ああ、そうね、そうだよね」

占い師、慌てたせいもあり、

「普通、二千円、三千円、いや、五千円ぐらいは・・・、

まあ、場合によっては千円でも・・・」


と、若者の値踏みが出来かねているようで、随分、巾のある返答。
臆することなく、若者、即座に、

「じゃあ、やって」

と、占い師の前の丸椅子に座る。
その、潔い行動が五千円なのか、千円なのか判断の付かない占い師、
じっと、若者の目を見、しばしの沈黙の後、

「で・・・、何を占いましょうか? と言うか、いくら?」

でっ、出ました! 掟(おきて)破りの逆値決め。
さすがの占い師も、その若者の潔さの深意を占うことができなかったようです。
それにしても、占いの良し悪しは見料次第?


ちなみに、今年の初詣の賽銭金額は上からも下からも5番目のお金、
もちろん、幻の2千円札は数に入っていません。
(余談ですが、2000年2千円札発行の莫大な経費=国費の無駄遣いだよね)

まあ、賽銭も単なるパフォーマンス、はなからご利益は期待していません。

で、願い事は、

・・・っと、しまった、商売繁盛だけ祈って、家内安全を忘れていました。

・・・って、期待していないと言って、百円で、随分、欲張り過ぎ!

申し訳ありません。わが深意では、すっかり、えびで鯛を釣るつもりでいました。



---<えびで鯛を釣る>---
わずかな労力や品物で、多くの利益を得ることのたとえ。

---<菩提寺(ぼだいじ)>---
先祖代々の墓をおき、葬式や法事を行う寺。檀那寺。

---<菩提>---
(1)修行を積み、煩悩を断ちきって到達する悟り。一般には仏の悟りをいうが、
声聞(しようもん)・縁覚(えんかく)の悟りをいうこともある。「覚」「智」「道」とも訳す。
(2)死後の冥福のこと。⇒(例)菩提を弔う:死者の冥福を祈って読経などをして供養する。

---<菩提樹>---
(1)シナノキ科の落葉高木。中国原産。寺院などに栽植される。
葉はやや厚く歪んだ卵心形。夏、淡黄色の小花が散房状につき、
花序の基部にへら形の苞がある。
材は器具・パルプ・建材用、樹皮の繊維は布やロープとする。
リンデンバウムは同属の別種。
(2)インドボダイジュの別名。クワ科の常緑高木。インド原産。高さ30メートルにも達し、
熱帯地方では街路樹などとする。幹や枝から太い気根を垂れ下げる。
釈迦がこの木の下で悟りを開いたといわれ、仏教では聖樹とされている。
別名テンジクボダイジュ。
(3)〔原題 (ドイツ) Der Lindenbaum(リンデンバウム)〕シューベルトの歌曲集「冬の旅」の第五曲。

あまり関係ないけれど、言葉が似ていたので、つい・・・
---<布袋(ほてい)>---
中国、唐末・後梁の禅僧。名は契此(かいし)。肥えた腹を露出し、
(百科、大辞林の表現にしては・・・?、ひょっとして、笑いを取ろうと?)
日常生活用具を入れた袋を背負い杖(つえ)を持って市中を歩き、
人の運命や天候を予知したという。
生前から弥勒の化身といわれた。
日本では円満の相が尊ばれ、七福神の一人として信仰されるようになった。
生没年未詳。

さらに、関係なく、単なる親父ギャグですが、
---<ポタージュ [(フランス語) potage] >---
どろっとした濃厚なスープ。