気持ちとは裏腹
2005/10/18
死と生の境界線とも言える戦場の最前線、戦闘開始をじっと待つ、
そんな究極の緊張状態の中、睡魔に陥った兵士の体験談を聞くと、
人間の精神構造というものの不思議を感じます。
人に限らず、動物は眠らなければ生きていけない。
それが、生と死を左右する場面でも機能してしまう。
と言う事は、日常生活の中の居眠りは、人間が生きていくための、
無意識の成せる業(わざ)に相違ありません。
「ぅ ぐぅ」
「ムニャムニャ」
「ぅ ぐ、ぅ ぐ、ぅ ぐぁ〜」
「・・・・・・・」
「ぐっ、ぐっ、ぐぁ〜〜〜」
まどろみ状態での、雅楽の演奏、神主による祭祀(さいし)は、
必死に現(うつつ)に存在しようと抵抗する気持ちを削ぐ、
まさに催眠状態へ入る時の術士の単調な問い掛け
「あなたは、だんだん、眠くな〜る」 そのものです。
微妙に揺れ動く篳篥(ひちりき)、笙(しょう)の音色は夢先案内人、
そろりそろり、夢の世界へ誘(いざな)います。
映画館ではありません。ましてや、結婚式場でもありません。
何を隠そう、あろうことか、ここは、とある葬儀会場、
そこで、隣に座った人物が、祭祀の奏上に合わせるかのように
舟を漕ぎ出したかと思いきや、雅楽の開始に合わせるように、
いびきを奏上し始めてしまいました。
不謹慎と言われようが、人間は生ある限り、
意識、無意識を超え、生きる努力(今回は居眠り)を続けます。
たとえ、それが、葬儀の場であろうと例外ではありません。
ただ、それを、自分のすぐ隣で試みられると、
他人事とは言え、心穏やかでは居られません。
はて? 困った?
どうしたものか?
いつしか、亡き者への冥福の気持ちをよそに、
いかに、この場を対処すべきかで、頭がいっぱいになっていました。
しかし、いびきは、その場に居る全員の耳に達している筈、
向こう隣も、後ろも、前も、斜めも、そればかりか、神主さえも。
それなのに、誰一人として咎める風はありません。
そうだ、そもそも、自分が責任を感ずることではない。
眠りたい者は、眠らせて置け!
無理矢理、自分を納得させ、冥福の気持ちに集中しようと、
いびきの音を頭から消し去ろうと試みました。
気合だ!
気合だ!
気合だ!
そうこうしていると、自分の前の席の女子中学生(たぶん一年生)が、
何やら落ち着かない様子で、何度も、斜め後ろを振り返り始めました。
最初の「何事か!」と言う、びっくり顔は次第に緩み、口に手を当て、
くっ、くっ、くっ
しきりに笑いをこらえています。
『箸が転がっても、おかしい』 歳頃の娘っ子、
果たして、このシチュエーションを耐え切るのだろうか?
そんなことに思いを馳せ、自然と、頬が緩んでいる自分に気づきました。
はっ!
いかん、いかん!
今は葬儀の最中だ!
ええ〜い!
気合だ!
気合だ!
気合だ!
もう、冥福どころではありません。
夢の世界ならぬ、気合の世界に突入してしまいました。