「追われています」
女性の店に来るなり発した、異様で、突然の言葉に、店内に緊張感が走りました。
時、折りしも1月下旬、強力な寒波襲来で、冷たい西風が吹きすさぶ鉛色の寒空の下、
防寒着も無し、着の身、着のままの姿で現れる状況も異様です。
「この近くに駅はありますか?」
切羽詰ったような表情をしていました。
しかし、それに答える間も無く、もうひとりの
女性が入ってきました。
「こんにちは」
こちらに遠慮しながらも、注意は先に入って来た
女性向けられ、
その様子から、その
女性に関係していることは、傍から見ても明白でした。
先に居た
女性も、扉の開く音に振り返り、目を見開き、
更にあわてた様子で、こちらに振り返り、
「交番は、この近くにありませんか?」
後から入って来た
女性は、困惑しきりの顔で、
「すみません」
と、こちらに一言かけた後、
女性の方を向き、
「さあ、帰りましょ」
と、やさしく語り掛けました。
こちらの
女性の方も、オーバーコートなしの姿で、いかにも外を歩くには寒そうな格好でしたが、
それとは別に、少し気になるところがありました。カードを付けた紐を、首に掛けていることです。
あのカードはなんだろう?
そんな疑問をよそに、事態は険悪な方向に向かっていました。
「騙されないわよ。私を連れて行くつもりでしょ。私は行かないわ」
「でも、お店の方に迷惑になるから、外に出ましょ」
「そう言って、また、私を騙すつもりでしょ」
「話を聞きましょう。だから、外に出ましょ」
「いやよ。家で、私を待っている人が居るの。
私は、私の家に帰るの。帰らなければならないの。」
「そうね。わかっていますよ。」
「わかってなんか、いないわよ。
私を無理やり、連れて行かないで」
「無理強いはしません。でも、ここは迷惑になるから、
他の暖かい場所に行って話をしましょう」
女性は
女性の腕を取り、外へ連れ出そうとしたのですが、
「私に、触らないで!」
と言い、腰を引き、力の限りの抵抗をしています。
そうこうするうちに、外に1台のミニバンが到着し、ひとりの男性が降り、
お辞儀をしながら、店の中に入って来ました。
カードの
女性の応援のようで、同じように胸にカードが見えます。
ミニバンは、いわゆる、
女性の言う連行用の車のようです。
「また、大勢で、力ずくで、私を捕まえるつもりね。
いい加減にしなさい。怒るわよ。
とにかく、今日は、絶対に行きませんから。
これ以上、ひどいことをするなら、警察を呼びますよ」
女性は、こちらに顔を向け、言葉を続けました。
「この人たちが悪くはないのは、私も分かっているの。
上の人から指示され、仕方なくやっているの。
悪いのは、この人たちの上の人。
だからと言って、私も言うことを聞く訳にはいかないの。
お願い。警察に連絡して。
家で、孫が待っているの。帰らなければならないの」
更に言葉を続けようとする
女性に
「ゆっくり、話を聞きます。
お願いだから、外に出ましょ」
そう言うと二人は、嫌がる
女性の両脇を固め、外へ連れ出しました。
「たすけて〜」
二人がかりの力の前に、成すがままの
女性は、空しい叫びを繰り返すのが精一杯でした。
外に出た後も、抵抗する
女性を車のそばで説得していたのですが、
それでも、30分後、車は消えました。
昨年から、変わった雰囲気の二人連れを見かけるようになりました。
その大部分が、あまり、仲が良さそうではありません。
主役風の人は、どちらかと言うと、連れを嫌がり、振り切るような急ぎ足で前に突き進む感じです。
もう一人の脇役はと言うと、こちらも、決して楽しい顔はしていません。
それでも、嫌というではなく、どちらかと言うと、必死、真剣、困ったと言った表情で、
付きつ離れつ、道路中央側を背に、カニ歩き風に、もう一人をカバーしています。
そんな二人連れの来訪でした。
1月8日未明、7人の犠牲者を出した火災の長崎県大村市陰平町の「やすらぎの里」は、
新しい形態の介護施設、『グループホーム』です。
(災害自体、防災に問題点もあったようなのですが、その問題は置いておきます)
認知症の高齢者が、その病状が進むのを遅らす意味で、介護を受けながら、
5〜9人で『共同生活』、『地域の中で暮らす』を主眼にしていることが多くの人から支持され、
全国的に見て急増しているようです。
ここ三ケ日でも例外ではなく、ここから歩いて7,8分の所に
2年ほど前、建設され、先ほどの二人連れの出発地点でもあります。
介護保険の制度ができ、高齢になったときの寝たきり、認知症の不安、
そして、それに伴う金銭的不安が、かつてよりは幾分、解消されていることは
認めるのですが、なくなることはありません。
もし、今、施設にお世話になろうと希望するとなると、
かなりの金銭的な負担がのしかかって来ます。
最も重い要介護5で、
月額8万円(個室やグループホームを希望するならば、更に最低月額5万円)、
平均介護期間3年〜4年と言う事で、300〜400万(450〜600万円)と言われるのですが、
あくまでも、平均的なケースで、万全の備えを考えるならば、
それ以上を用意しておく必要があります。
老う苦しみは、病む苦しみとの同時進行、更に、死の苦しみへの接近とも言えます。
老いを認識してからの人生は、今までの人生の問い直しと、死への覚悟を決める期間でもあります。
天寿を全うしようと思えば、誰も避けられない行程ではあるのですが、
それに加えて、世知辛い話ですが、金銭的な覚悟も必要となります。
特に、国民年金に頼る自営業者にとっては、厚生年金や共済年金受給者と比べ、
支給される額が少ない分、備えが重要になってきます。
『地獄の沙汰も金次第』?、いやいや、『老後の沙汰も金次第』と言ったところでしょうか。