ドッカ〜〜ン、ドン
真夏の夜10時過ぎ、やっと気温が30度を切る、うだる暑さに感情も鈍っていたのか、
腹の底に響くような重低音と、金属音の高音域の入り混じった、そんな、突然の
大音響にも拘らず、さほどの驚きも感じませんでした。
一瞬、時間が止まったがの如くの静けさの後、女性の甲高い声が聞こえてきました。
「も〜〜、何をやってるのよ!」
その声を合図に、うねるような人声の波が、ざわざわと渦巻き始めました。
三ヶ日にある神明宮の夏祭は、毎年、8月最初の土日を掛け、その最後に花火が
打ち上げられ、幕を閉じます。自分が生まれて気が付いた時(50年程前)には、
すでに恒例行事になっていて、マイカー時代到来の前で、主に国鉄二俣線(今の
天竜浜名湖鉄道)に乗って、周辺地区から多くの人が集まって来ていました。
東名高速道路建設で、一見、何の利便性もなさそうな三ヶ日にインターチェンジが
現われ、時代はまさに高度経済成長期、三ヶ日も思わぬ形でその波に乗ることに
なりました。国民全体が潤い、それに付随するマイカー時代の到来に便乗し、
行政(&商工業者)は観光地三ヶ日を掲げ、ホテル誘致、リゾート誘致と
観光に力を入れ、その一環としての花火大会の規模も、年々、拡大して行くことに
なります。ただ、望む望まぬに拘らず、それを底辺で支えていたのは、神明宮が
抱える6つの地区の住民で、6年に一度、その大役が当番区として回ってきます。
年月が流れ、そして、バブルがはじけ、それに追い討ちをかけるように、
いつの間にか、支える側の高齢化が進んでいました。記憶は曖昧ですが、
三ヶ日町の人口の推移は、20年ほど前、自分が三ヶ日に戻って以来、
劇的な変化はないように思います。長寿社会に移行していることを考えれば、
若年層のパーセンテージが減り続けている(いわゆる若年層の過疎化)と言う現実が
あり、拡大したイベントをそのまま維持しなければならないと言う責任感(見栄?)と、
予算と人手の減少と言う現実とのジレンマの中、当番地区には最盛期と
ほぼ変わらぬ負担が重くのし掛かってきます。
異変は突然起こりました。5,6年ほど前、その年の当番区の区長が、年度初め、
早々と、打ち上げ花火の廃止を宣言したのです。苦渋の決断とは言え、
今まで続いていた事を中止すること自体、自らを非難の的にさらすようなもので
相当、勇気のいる行為に違いありません。ただ、それにより、本人の予想を
超えた事態が発生しました。
時すでに、三ヶ日の花火大会は、その住民(=地区神社)だけの行事では
なくなっていたのです。底辺で支える地区住民の反乱は、行政や観光業、
あるいは、外から三ヶ日の花火を見に来る人々にとっては『寝耳に水』の出来事で、
特に、観光業界には、大きな実害が生じると言うことが分かってきました。
猪鼻湖に面するホテルは、花火大会が終わると同時に翌年の花火大会の日の
宿泊予約を開始し、中には花火見物に来た宿泊客がそのまま予約して帰ることも
多く、予約は、またたくまに埋まります。その年、すでに埋まった宿泊予約を盾に
ホテル業界からの猛反発が起き、それは、商工業者、住民(区内、区外)へと
広がっていきました。
行政に対し、かなりの突き上げがあったと言う噂で、それに抗し切れず、最終的に
町長が、不承不承(ふしょうぶしょう)、その年の花火大会の実行委員長に名乗りを上げ、
結局、時期はずれの9月中旬、異例の花火大会となり、観光業界も、何とか鉾を
納める形が出来たのですが、宿泊客、三ヶ日町民に周知できた異変も、対外的には
十分とは言えず、中止を知らずに例年通りの予定日に訪れた花火見物の人々は
あっ気にとられ、口を開けたまま、帰らざるを得ませんでした。
それでもまだ、中止を察知した人はいいのですが、何となく、例年とは違う雰囲気に
疑問を感じながらも、湖岸に絶好の見物場所を確保し、夢と希望に胸ふくらませ、
輝く瞳で、今か今かと、花火の打ちあがるであろう空を見ている人がいたなんて・・・、
ああ、無情!
翌年から、ひっ迫する予算の管理を、少しでも地区住民から切り離すため、集金の
主体は、最も恩恵をこうむるであろう観光業界が担うことになり、また、観光を名目に
花火大会を推進してきた行政も、町民に対し、積極的に個人の寄付を呼びかけ、
以前に比べ、規模を縮小(時間的にも30分短縮)しながらも続けています。
三ヶ日町のある浜松市の隣、袋井市では、三ヶ日の10倍、3万発とも言われる
花火大会が、三ヶ日の花火大会前日に行われます。年々、影の薄くなっていく、
三ヶ日花火大会もそうですが、たった一年に一日の花火が、中途半端であれば
あるほど、その町の観光に、どれほどの効果をもたらすのか疑問ですが、今年も、
日本各地で、一晩、数時間の火の花を咲かせることで、一大会数千万(億?)円が
煙となって消えていきます。
かつて、最盛期には、店の前の国道362号線は浜松やインターチェンジからの車で、
昼過ぎから渋滞が始まりました。花火が始まっても車列は連なり、悲しいことに、
打ち終わった9時ですら、途絶えることはありませんでした。もちろん、それから始まる
帰りの渋滞も悲惨を極め、深夜2時、3時に、やっと解消されます。
9時になお、行きの渋滞に巻き込まれていた車は、反対車線に次々、押し寄せる車の
波に、先ほどまでのUターンするに十分なスペースと機会を失い、なるがままにしか
ならない自分の身は、行きも地獄、帰りも地獄、
「俺は、いったい、どこへ、何をしに行くんだろう。今までの苦労は何だったのだろう」
自問自答を繰り返しながら、ただ、ただ、空しさだけが・・・、
ああ、無情!
今でこそ、やっと5時ぐらいに行きの渋滞が始まるのですが、それでも、流れが
止まるほどの激しさはありませんし、花火開始の7時半には、その渋滞もほとんど
解消しています。来る車の数が激減したとは言え、それでも、さすがにUターンは、
花火終了時、一斉に始まりますので、今でも、解消するのは深夜12時近くになります。
当日、我が家では、自宅二階から、日曜恒例のカレーを食しながら、その光と音の
時間差に、ほとんど、散り際か、さもなくば、スターマインしか拝むことのない花火を、
窓越し、西の山向こうを、チラッチラッと見、夫唱婦随ならぬ、婦唱夫随、いつの間にか
花火無関心夫婦に成り果てました。
ただ、花火終了と共に、渋滞する車の騒音が始まりますので、いくら花火に
無関心だろうと、国道沿いの皆がそうであるように、その弊害はしっかり被っています。
かつては気になって安眠妨害にもなった騒音、今ではそれほど気にならなくなりました。
車の数に比例した騒音減少傾向に、ピーク時以来の精神的安寧を保っています。
ああ、今年も始まったな
騒音を背に、そんな思いをしながら、就寝までの時間をインターネットゲームに現(うつつ)を
抜かしていると、冒頭での紹介の突然の大音響です。動いたり止まったりのイライラ渋滞に、
いつ発生しても不思議のなかった出来事、そう、単なる追突事故に違いありません。
予想がつく分、さしたる驚きもないし、渋滞中の事故と言うことでスピードも控え目、
大事故が発生しているとも思えません。
しょうがないなあ
誰に対する言葉でもありませんが、そんな気持ちで二階の窓から下の国道を見ると、
乗用車3台が停止した状態で、その3台の道路傍に、それらの車に乗っていた人々、
老若男女入り乱れ、およそ10人前後が車を降り、状況把握とお互いの無事を
確認しあっています。
最後尾の乗用車が2番目の乗用車の後部に激しく追突した感じで、追突した車の
ボンネットはくの字に曲がり撥ね上がり、追突された車の後部も大きく凹んでいます。
更に、その弾みで、2番目の車が、先頭の車に追突したようなのですが、2階からは、
大きな破損の状態は確認できません。
後ろ2台の状態から、かなり激しい衝突だったと思われるのですが、重篤なけが人は
いないようで、「救急車を呼べ!」などと言う切迫した会話も聞こえず、場の緊迫感は
感じられません。とりあえず、損害保険の問題もあり、事故検証をと、誰ともなく
110番通報をしているようです。
管轄の警察署は花火大会当日と言うこともあり、ほとんどが、その交通整理に
駆り出されたようで、事故後、警察車両が到着したのは随分、時間が経過してから
でした。それも、最初に到着したのは、三ヶ日町内では、ふだん、見ることのない
白バイでした。
とりあえず、状況確認をして、
「あ〜、もしもし、(無線を?)拾っちゃってねえ、今、現場にいます。
それからですねえ、ちょっと、怪しい(酒気?)ので、そちらもよろしく」
最後尾の車を運転していた男性に、免許証提示を要求した白バイ隊員は、
その一方、携帯電話で応援を要請しているようです。
ナンバーと人物の顔にはマスク(ボカシ)をかけています
その様子を見ながら、もう一度、どんな具合に衝突したのかと道路を見ると、ちょうど、
我が家の前で最初の衝突が発生したようで、車のガラスやプラスチックの破片が
散乱しています。最後部の車の停止している位置(車のお尻)は、我が家の前から
浜松方面に5、6メートル行った所だったのですが、最初に目撃したとき、すでに
車は道路端に寄っていることから、たぶん事故後、交通の障害にならないようにと、
少し移動させたとようで、そのままの5、6メートルの距離が、事故によって動いた
距離ではないようです。
白バイの応援要請による、2台の警察車両(パトカーとワンボックスカー)の到着後、
一連の事故の後始末が、何事もなく?、粛々と行われました。
追突した人物を立ち合わせての現場検証
その人物のパトカー内での行政処分措置
救急車二台の到着、自力で歩ける程度のけが人二人の搬送
先頭の車の発進(けが人は先頭車の二人だったため、救急車を追尾?)
レッカー車による、後ろ二台の移動(荷台と前輪を持ち上げての牽引で同時に)
レッカー作業の人間により道路に散乱した破片も片付けられ、平穏な状態に戻りました。
いやいや、まだまだ、渋滞は続き、Uターン渋滞に加え、事故渋滞のダブルパンチ、
後続の車にとっては、とんだ花火見物になり、それも、何とも微妙な日曜の花火大会、
明日は月曜日、一週間の仕事が始まるというのに、いつ、自宅に到着できるのか
予想もつかず、イライラと諦めの混じったストレス状態に「もう二度と来るものか」と
言う思いを強くしたに違いありません。これでまた、来年の三ヶ日花火大会への
来訪者減少が確実に進み・・・、
ああ、無情!
高見の見物、野次馬根性そのものなのですが、2階から様子を見ていて・・・
疑問 その1
救急車で運ばれた若い女性は、二人とも最も被害の少なかった
先頭の車に乗っていたこと
車の変形や事故の音で判断すると、よほど大きな事故と思われがちなのですが、
意外と人身に至っていない場合があります。車の設計に当たって、車体は事故の
衝撃を車自体の破損で、その衝撃を吸収し、中にいる人間に衝撃が伝わりにくく
なっています。人が乗る部分の枠は、それなりに強固なのですが、ボンネット部分、
要するにエンジンルームは、そもそも変形しやすくなっています。先頭車の事故の
痕跡が、遠くからでは分からないほどのものであるということは、最初に発生した
事故の衝撃は、後ろの2台で、相当量、吸収されていたものと考えられます。
にも拘らず、けが人は先頭の車。違っているのは、先頭の車だけ、ミニバンタイプ、
後ろ2台はセダンと言うことです。衝撃が大きかったにも拘らず、けがをしなかったのは
セダンタイプの包み込むシート形状によるものなのか、それとも、同乗者の
シートベルトのかけ忘れ?・・・、やはり、後者の可能性が大きそうです。
後部座席を含め、同乗者のシートベルト、絶対に、お忘れなく!
疑問 その2
衝突の前のブレーキ音に気付かなかったこと
通常、追突事故を想像すると、必ず、衝突の前に、『キ〜〜』と言うブレーキ音が
入るはずです。昨夜の衝突音はいきなりでした。破片の散乱状態から、確かに、
衝突現場は我が家の前に違いありません。
翌朝、気なっていた路面を二階の窓から眺めたのですが、その付近の路面に
タイヤ痕が見当たりません。
と言う事は、渋滞の列に出来た、ある程度の距離を走ってきて、ノーブレーキで追突、
あるいは、現場からすぐ先に交通信号機があるのですが、それに気を取られ、
前の車への注意を怠ったが為の発進時の追突、
あるいは、走行接近中、信号が青に変わったが為の、
前車が発進する『だろう』と言う、思い込みによる追突。
いずれにしても、追突した運転手の前方不注意には変わりありませんが・・・
疑問 その3
追突した人物がパトカーでの取調べの後、
そのまま、パトカーに乗ったまま、連行?されてしまったこと
運転していた車のレッカー移動場所まで乗せていってもらった・・・
いやいや、それよりも可能性としては、パトカー内での呼気中アルコール濃度測定に
引っ掛かってしまい、署まで連行と言う筋書きです。レッカー移動場所までならば
レッカー車に同乗するか、牽引される事故車に乗れば済むことで、そもそも、
ブレーキ痕がないと言うのが、最大の疑うに足る状況証拠です。
もし、酒気帯びならば30万円、酒酔いに至っては50万円を限度に罰金刑が
科せられます。今は同乗者も同罪と言うことで、計3人、しめて、最高90万、
酒酔いならば150万円、それに、たとえ、任意保険に加入していたにしても、
飲酒運転中による事故には保険の適用が利かないはずで、修理代、
治療費と・・・、実に、高い花火見物に・・・、
ああ・・・・・・、
ああ、無情!