5.スライア
「姫、私に、ついてきてくださりませんか?」
父上を倒した後、アドルが言った。
その手が、私に向けてのばされる。
暖かくて、大きくて、私の大好きな手が。
そして、父と数多の眷属を倒した、見えない血にまみれたその手。
「何を言うの?」
心配げに私の顔をのぞきこんできた。
彼の目を、直視できなかった。
痛いほどに、自分の二の腕を握り締める。
「私を、嫌いなのですか?」
「嫌いではないから、嫌いにはなれないから・・・」
ずっと、ずっと、私は彼のことが好きだった。
おそらく、初めて彼を見たその日から。
「では・・・何故?」
「私は・・そんなには強くない。」
彼の首に抱きつき、唇を重ねる。
「姫!」
驚いて、はねのけようとするが、私は離さなかった。
そして、重ねた唇を通して、彼の中に力をそそぎこむ。
忘却の術を、最初で、最後に触れる唇から。
注ぎ込むと同時に、彼の想いが私の中に入ってくる。
どれほど、彼が私のことを愛してくれているか・・・。
彼の中から、私、スライアに関する記憶を奪った。
もう、アドルは私のことは思い出さないだろう。
思い出しても、それは夢の中の出来事。
もう、彼にとって、私は、現実のものではなくなる。
私への今までの想い、全てを私の中に封印する。
彼を、誰よりも何よりも愛していた。
いや、愛している。
だからこそ、私はしなくてはならない。
私は、父上を、私の父を殺した人間と一緒にいられる程強くはない。
いつか、彼を憎み、この手で殺してしまうかもしれない。
せめて、私がただの人間であればよかった。
ただの人間であれば、彼の妻として、女として短いながらも幸せに一生を送れたかもしれない。
しかし、私は魔物の王族。
父上が死んで、魔王・エルの座は私のものになった。
すべての魔物がひざまづく存在。
アドルは知らないかもしれない。
父上は、エルブライムは死ぬ直前に残る全ての力を私に飛ばしてくれた。
ほんの瞬く間に、山ひとつなぞ簡単に破壊できるほどの力を持つ。
もし、彼と共に生きたとしても、人間として生きていくことなぞ、できるわけがない。
きっと、私の存在は、この力は彼にとって、負担になってしまう。
何よりも、彼の寿命はあとたかが数十年。
しかし、魔族の私は、あと数百、いや、数千年生きる。
このまま、老いも、病も知らずに・・。
私は、それに耐えられるだろうか?
自分はこのまま変わらずに、アドルだけが老いてゆく。
私をひとり置いて、アドルは死んでしまう。
それに耐えるには、私はあまりにも弱すぎた。
だからこそ、彼の記憶を奪い、城の外へと飛ばした。
もう二度と逢えない。逢わない。
ひとしきり涙を流した後、私は魔族の王の証『エル』の名を継いだ。
そして、300年眠りについた。
300年眠っている間に、アドルは死んでいる。
死んで、その血も薄くなっている。
目覚めた時、もう私は勇者アドルの恋人スライアではなかった。
そこにいたのは、魔王エルスライア・・・・。