「弁護士過疎地」で18年
                               
                                                   弁護士 溝手康史

「弁護士過疎地」での開業
 私は、広島市内で8年半法律事務所に勤務した後、1996年に三次市で開業した。当時の三次市は人口4万人、広島地方裁判所三次支部があり、支部管内の人口は12万人、支部管内の弁護士は私を含めて2人だった。三次市で開業してからもう18年以上になる。
 私は、広島市内で弁護士をしていた頃、国賠訴訟、不当労働行為、税金訴訟、過労死、日照権、悪徳商法、消費者事件、医療過誤などの事件を扱った。この地域で開業後も、労働事件や国賠事件を何件か扱った。しかし、田舎ではこの種の事件が少ない。労働事件や医療事故は、弁護士に相談をしても、弁護士に委任する人は稀である。労働基準法違反が常態化しているが、法令違反について弁護士に相談しても、弁護士に依頼する人は稀である。警察に対する国賠訴訟の依頼者は、「マスコミ、近隣、勤務先、家族に絶対に知られないように裁判をしてほしい。裁判のことが知られると、この地域に住めなくなる」と言った。この地域で、一時期、毎年、労働110番や教育110番を実施していたことがあるが、相談件数はだいたい0〜1件だった。その数字は、行政訴訟が年間3000件以下という日本の実情からすれば、この地域の人口や経済活動の規模に照らし相応の数字になる。田舎には社会的に重要な事件が少ない。それでも、この地域で弁護士を続けたのは、そこに弁護士が必要だったからである。
 「歴史上の事件として記述されないところに、本当の歴史がある」という言葉がある。事件や事故中心の歴史の記述では、田舎には「記述すべきこと」がほとんどない。しかし、事件や事故の記述のないところに、司法の真の姿がある。日本ではほとんどの労働・行政上の紛争は弁護士に相談されず、事件にならないが、裁判にならないところに、真の司法の実態がある。
 日本の社会の格差のひとつに都会と田舎の格差がある。激しい競争は都会以上に田舎に大きな打撃を与えている。田舎では、経済的貧困と同時に、文化的な貧困が重大な問題である。経済的な貧困は、人間から、モノを考える時間、意欲、そして、考える能力を奪う。田舎の書店には憲法の本は置いてない。この地域で、憲法に関する講演を何度かしたが、関心を持つ人は限られる。「生活費をどうやって稼ぐかで頭が一杯」という人が多い。
 人々は、テレビに登場する人や東京の文化にあこがれ、エライ人の意見に簡単に染まる。この地域では、人々は、テレビのバラエティー番組に登場する弁護士やテレビドラマで真犯人探しをする弁護士に関心を持つが、日常生活のうえで司法への関心は低い。この点は、田舎に限ったことではない。日本の都会は、巨大な田舎社会である。このような状況が、「上からの司法改革」をもたらす。
 この地域では、もともと訴訟が少なく、債務整理、破産、家事事件、訴訟にならない少額紛争、国選事件、当番弁護士、調停委員などが弁護士の仕事の中心である。この地域で、私は、一時期、1年間に事務所の内外で約500件の法律相談を受け、仕事は多忙を極めた。事務所では、朝から晩までサラ金からの電話が鳴り続け、「仕事をするヒマがない」くらい相談者が押し寄せた。事務所に氏名不詳者から「ウンコ」が送りつけられたことや、ストーカーが事務所に居座り、110番通報してパトカーが2台事務所に来たことがある。行政や社会に対する攻撃を1〜2時間一方的にしゃべり続ける相談者。ほぼ毎週、精神疾患のある人が相談に来た。裁判所の中で暴力を振るう者。過度の競争と格差は、人々の精神を狂わせる。格差社会は、法の無視をもたらし、「誰でもよいから攻撃したい」という人間を簡単に作り出す。
 その後、最近数年の間に、三次市内の弁護士が2人から6人に増え、今年、7人になった。今では、この地域は、「弁護士過疎地」ではない。弁護士の数が増えても、地域全体の事件は大幅に減った。これは、この地域の人口減少と都会との経済的格差の拡大が関係している。他方で、東京や広島市内の弁護士、司法書士などがこの地域で無料相談会を開催し、この地域で激しい「事件の取り合い」が生じている。
 弁護士の数が増えても、金のない者は、依然として司法の茅の外である。労働、国賠、行政紛争についても、相変わらず、フツーの市民は司法を利用しない。この地域では、あらゆる場面で貧困と格差の問題が関係し、自由競争がもたらす「見えざる神の手」を相手にしなければならない。
 
米軍機の低空飛行に反対する運動
 三次市で開業して間もない時期に、米軍機の低空飛行に悩んでいた県北の13の自治体が中心になって、「米軍機の低空飛行に反対する県北連絡会」が結成された。当初、他になり手がいなかったので、私が事務局長になった。 
 県北連絡会では、シンポジウム、低空飛行情報の収集、署名集め、小冊子の刊行、国、県、米軍などへの申し入れ、有事法制や憲法の学習会などを行った。全国の米軍機の低空飛行に反対する組織や団体などが集まって、高知県川本町と三次市で全国集会を開催した。米軍機が事故を起こしたイタリアのカバレーゼやアメリカに使節を派遣した。おかげで、一時期、マスコミがこの問題をかなりとりあげるようになった。
 私は、弁護士の肩書でこの運動に関与したが、厳密にいえば、弁護士である必要はなかった。私は、その当時、広島市内に住んでおり、現在に至るまで米軍機の低空飛行を見たことがない。県北連絡会は住民の運動組織であるが、私は、その当時、この地域の住人ではなかった。そのため、事務局長として低空飛行の実態について話をしてくれという依頼に一番困った。
 この運動の中心は自治体と労働組合などの加盟団体であり、住民は自治体に「任せる」意識が強かった。沖縄の基地反対運動などでは、「住民が動けば自治体が動く」ことがよくわかるが、県北連絡会の場合には、自治体の後を住民がついていく傾向が強かった。保守系の自治体の首長の方が住民よりも低空飛行に対する意識が高かった。その後、市町村合併により、県北連絡会の主な担い手だった13の自治体がすべて消滅し、県北連絡会に加入する自治体数がゼロになった。ここでも時代の変化は急激である。県北連絡会は、現在、活動を休止しているが、自治体が中心になって行ったこの活動の歴史的な意義は大きい。

アウトドア関係の活動
 私は、今までに4回の海外登山を行い、3つの7000m峰に登頂し、1つの初登頂、1つの初登攀がある。これらは、いずれも2000年以前のことである(その後は、登山をするヒマがなかった)。2度「世界初」を体験し、世界の登山史の末席にささやかな足跡を残したことは幸運である。
 その後、「本格的登山」が「本書く的登山」に変わった。登山やアウトドアの法律問題などについて本や雑誌に文章を書き、研修会や講演会で話をし、関係団体で活動をしている。私がこれに関わるようになったのは、法律家の立場でその必要性に迫られたからであるが、必ずしも弁護士である必要はない。
 自然と関わる人間行動は、人間の主体性を必要とする。自然は、人間の主体的な働きかけがなければ、意味を持たない。自然の中で自分で考え、判断し、決定する能力が養われる。そのような能力は、民主主義の出発点、人間が人間らしく生きる原点である。数十年年単位で考えれば、人間の主体性や自立性が社会変革につながる。と言うよりも、これを欠く社会変革はうまくいかない。上からの改革は、形を整えることができても、「上」が消えれば、何も残らない。その点を、この18年間に感じることが多かった。
(「たたかう弁護士たち パートX」、自由法曹団広島支部、2015)