2014年


2014年10月26日
登山の法律問題に関する講演(高松市)・香川県勤労者山岳連盟・予定


2014年9月13日
登山の法律問題に関する講演(東京)・日本山岳会・予定


2014年8月20日
広島市
大雨災害・・・危険性が高くないとされていた地域で起きた災害
 
広島市で大雨による災害があり、多数の死者が出た。
 
この日、私が住んでいる安芸高田市でも大雨があった。安芸高田市は、広島市から約1時間の場所にある。
 たまたま、この日、広島市での裁判があったので、その後、広島市の被災地へ行った。
 安佐南区山本の死亡事故のあった家は、私が以前住んでいた家からそれほど遠くない場所にある。事故のあった場所の家の裏の崩落した斜面は、崖というよりも普通の山の斜面である。この程度の斜面が崩落するのであれば、全国のすべての山が崩落してもおかしくない。

 もっとも被害の大きかった安佐南区八木では、多くの家があった場所が川になっていた。すべて泥で覆い尽くされていた。この時点では、救助活動がまったく手つかずの個所が多かった。救助活動現場のそばまで行くことができた。この時は、消防隊員も警察官も人手が足りず、立ち入り規制をする余裕がなかった。マスコミ関係者から、何度も被災者と間違えられ、マイクを向けられた。ひとりであちこちうろついていたら、うっかり腰まで泥に埋没し、あやうく脱出不能になりかけた。


    すべて泥の堆積
住宅街が、川に変わっていた。
      
 百聞は一見に如かず。
 ここは、ごく普通の緩やかな斜面にある住宅街である。新興住宅街ではなく、古くからある閑静な住宅街である。特に危険を感じるような急な斜面ではない。崖の下でもない。山はあるが、ずっと上方であり、住民は山の麓というよりも小高い斜面という意識だろう。このような東向きの緩やかな斜面は、昔から、居住場所として、快適であり、多くの人が、好んで居住してきた。低地は、川が氾濫した場合に水害の恐れがあるので、古くから人々はこの高台に住んできたのではないか。
 マスコミは、「高度経済成長期に山を削って宅地開発したこと」が被害を拡大したとする。しかし、八木地区は、ところどころに、元農家風の家や田畑があり、どちらかといえば、それほど開発が進んでいない。40年前の写真と較べても、八木地区は家の数はそれほど増えていない。江戸時代に建築された築200年の旧家も被災している。そこは、少なくとも200年間は、災害がなかったのだろう。八木地区は、そんな古い地区である。八木地区は、マスコミの言う、「高度経済成長期に山を削って宅地開発した」地域ではない。「高度経済成長期に山を削って宅地開発した」団地は、今回の大雨ではほとんど被災していない。しかし、マスコミは、どうしても、宅地造成=被害の拡大という図式に当てはめて報道したいようだ。
 八木地区は地形的には扇状地のようだが、数百年単位で土石流があるのかもしれない。確かに、八木地区の最上部は、山崩れの危険があったかもしれない。しかし、八木地区の大部分は、他の地域よりも安全だったともいえる。扇状地にできた街は、日本全国にたくさんある。甲府盆地や山形盆地など。扇状地でも、数百年間、災害がなければ、安全とみなされる。
 土壌がまさ土だったことが指摘されているが、それは広島県内の多くの地域がそうであり、一般的な土壌である。まさ土でも、災害のない場所の方が多い。
 八木地区に住んでいる人は、大雨が降れば、「下の方は水害の危険があるが、ここは大丈夫だ」と考えたのだろう。ここよりも、もっと急傾斜地の危険な場所は多い警戒区域に指定されていなかったのも、当然だろう。もっと、危険な区域がいくらでもあるからだ。斜面に作られた神戸の街などは、もっと危険である。

 人間の心理として、災害が起きれば、そこは危険な地域だったと考えやすい。マスコミは、なぜ、もっと早く避難できなかったのか、避難勧告が遅かった、なぜ、警戒区域に指定されていなかったのか、過去の災害の教訓が生かされていない、危険な地域に住む人の心構えなどを
問題にする。しかし、ここは、過去に災害のなかった地域であり、警戒区域に指定されていなかった。「過去の教訓」は、八木地区に関する限り、存在しない。マスコミの言う「過去の教訓」は、八木地区以外の別の地域の話を持ち出している。広島県の土砂災害危険地域に指定されていたが、土砂災害危険地域は、山裾の地域がすべて入り、日本全国至るところにある。これらすべてに砂防ダムを建設するには、100年も200年もかかるし、その前に日本の財政が破綻するかもしれない。土砂災害危険地域は、数が多すぎて、かえって人々の注意を引かない。「注意しろ」と言われても、住民はどうしようもない。もし、本気で個所を指定するのであれば、そこは、宅地造成を禁止するとか、転居させるなどの方法が考えられるが、それは、土砂災害危険地域すべてを対象にできなくなる。
 今回は、土砂災害危険地域を超えて、被災が及んでいるそれは、科学の想定を超える雨が降ったことを意味している。広島市以外の地域に住んでいる人には、広島市全域が危険区域のように見えるようだが、被災した地域は広島市の中でほんの一部である。危険個所は、広島市の至るところにあるが、そのほとんどは被災していない。今回のような雨が降れば、日本のどこでも災害が生じてもおかしくない。

 なぜ、今回の災害が起きたのかといえば、それほど危険ではないとされていた場所で、数百年に一度の大雨が降り、その他の悪条件と不運が重なったからだろう。8月になってずっと雨が降っており、広島の8月は、梅雨のようだった。今回の大雨の前に、既に山が多くの水を含んでいた。それが大きな要因ではないか。梅雨+雷雨の異常気象。
 このように雨が降れば、神戸でも、京都でも東京でも、日本全国どこでも大きな災害が起きるだろう。1時間に200ミリくらいの大雨が降れば、どこでも、斜面や丘陵地は崩壊し、平地では浸水し、造成地は地盤が沈下、崩壊する恐れがある。平地でも、想定以上の大雨が降れば、建物が傾くおそれがある。現実には、運不運が大きく関係する。

 広島市内の他の危険個所ではなく、八木地区に被害が大きかったのは、さまざな偶然が影響したのだろう。たとえば、山の斜面を削って宅地造成の進んだ団地では、コンクリートで固めた結果、水が山に浸透せず、かえって土石流がしないのではないか。八木地区は、宅地造成が進まず、昔風の田畑の残る地域であり、山の斜面がそのまま上部に残っている。もし、そこが、造成によって大規模団地が造られれば、コンクリートで固められて水は地盤に浸透せず、そのまま流れ、土石流が起きにくいのではなかろうか。広島市の山を削って作った大規模団地は、今回の雨ではまったく被災していない。これに対し、八木地区は、山を削って造成しておらず、保水力のある山林が残っていた。その保水力を超える大雨が降ったのだろう。

 八木地区に川がないことが、水の逃げ場のない地形になっていたのではないか。川がないのは、山の保水力があるためだろう。山を削って造成した団地では、土壌に保水力がないので、コンクリートで固めた道が川になり、水の逃げ場になるが、山に保水力があると雨が土壌に浸透し続ける。
 日本のどこにでもあるようなごく普通の住宅街で多くの家が流され、多くの人が亡くなった。「危険を感じたら、早めに避難しましょう」、「この地域は危険だった」、「災害は予測できた」 これらの言葉は、被災現場を見れば、無意味だということがわかる。学者や専門家の発言は、理屈に基づいており、間違いではないが、現場を見ることもなく、無責任な発言が多い。災害が起きた以上、「この地域は危険だった」ことになるが、それを言ってみたところで意味がない。
 日本全国、どこにでも山があり、多くの人々が山麓、高台、斜面に住んでいる。異常な大雨が降れば、どこでも危険である。山麓は土石流の危険があり、高台は地盤が崩落すする危険があり、低地は浸水の危険がある。人工的な造成地は、大雨で地盤が弱化する危険がある。盛り土部分が大雨で崩落する危険がある。滅多に異常な大雨がなかっただけのことなのだ。
 東北の震災場所で、津波を避けるために高台に居住すれば、造成地に住むことになるので、大雨で地盤が崩落する危険がある。高台は、山の斜面を削って作る。そこも、絶対に安全だということではない・・・・・・・


2014年8月17日
モンブランでの子連れ登山

 
ヨーロッパアルプスのモンブランで子連れ登山中の事故があるらしい。どこの国でも、記録マニアがいる。
 これを引用して、富士山での子連れ登山に警鐘を鳴らす人がいる。しかし、モンブランは、氷雪の山であり、クライミング技術が必要であるが、富士山は歩き(hiking)の山であり、まったく危険性が異なる。モンブランに登ることは、積雪期の富士山に登るようなものである
 同じ平面で考えることはできない。


2014年8月9日
川の中州でのキャンプ中の事故について
 8月に神奈川県の川の中州にあるのキャンプ場で母子3人が流されて死亡する事故が起きた。
 中州のキャンプ場の安全管理が問題にされている。
 個々の事故が起きる度にそれだけが問題にされるが、それでは根本的な解決ができない。
 今回の事故は、
 自然の利用の問題→自然の中のキャンプの問題→中州でのキャンプの問題という視点で考えなければならない。

  自然の利用については、山岳、河川、海、空中、地中などで管理がなされているのはほんの一部であって、ほとんどが管理されていない。川の中州もその一部である。したがって、中州だけ管理を問題にしても、川岸、川原、海辺、山岳、原野などでのキャンプの問題が残される。
 すべてを管理しようとすると、税金がいくらあっても足りない。管理はタダではない。その地形を調査し、管理、人員配置などすべて金がかかる。
 キャンプ場が無許可「だから」事故が起きるのではない。許可を受けたキャンプ場でも、増水すれば危険である。事故は、事故者の過失によって起きることが多い。
 キャンプ場をすべて管理したとしても、誰でも、どこでもキャンプできるので、やはり事故は起きる。自然をすべて管理、監督しなければならないことになり、不毛の議論になる。
 すべてのキャンプ場所を許可制にする場合、たとえば、自分の庭に他人にテントを張らせる場合はどうかなどの問題が生じるので、一定規模以上のものを規制するほかない。1張りのテントを張る場合はどうか、テントを張らないビバークはどうか、車の中で寝るのはどうか。登山者は、しばしば駐車場や空き地にテントを張るので、これも規制するのか。冬山でのキャンプはどうか。工事現場でのキャンプ、寝泊まりしない作業小屋はどうか、寝泊まりしないテントはどうか、海水浴客や釣り人が海辺にテントを張るのはどうか。小屋を建てればキャンプとはいえないのか。折りたたみ可能な小屋はどうか。川原で遊ぶだけで、寝泊まりしなければキャンプではないか。川原でのバーベキュー中に突然の雷雨により、川原が増水する場合がある。中州、川原以外の川沿いの低地でも同様の問題がある。増水すれば、民宿、公園などでも危険なことがある。中州、川原でのバーベキュー、釣り、遊泳を全て禁止できるか。
 「キャンプ」、「テント」の定義が難しい。
 
 どのように禁止、規制しても、人間の側に問題があれば、事故が起きる。禁止や規制ではなく、自然の危険を理解して行動できることをめざす方が賢明である。


2014年8月8日
理研笹井氏の自殺は、日本のマスコミ文化がもたらした
 
理研の笹井氏の自殺は、日本のマスコミと世論が原因である。
 小保方氏のスタッフ細胞の論文報道の時に、日本のマスコミの騒ぎ方は異常だった。小保方氏の私生活やファッションまで、持ち上げ、スター扱いする異常さ。このマスコミ報道の過熱ぶりに、私は、ある種の「危うさ」を感じた。
 その後の論文疑惑に対し、日本のマスコミは、一転して、非難とプライバシーの侵害に終始した。これまた異常な報道の過熱ぶり。これでは、自殺者が1人や2人は出てもおかしくない。
 笹井氏の自殺は、日本のマスコミの異常さに責任がある。視聴率さえ稼げればよい、金にさえなればよいというマスコミの体質は、多くの犠牲者をもたらす。犯罪報道なども同じである。佐世保の事件などでも、このまま報道が過熱すれば、犠牲者が出かねない。
 マスコミ報道の根底に日本の世論の「非難の文化」がある。


2014年8月5日
マスコミ報道の偏向
 
朝のテレビ番組で、高校総体での体操競技の報道をしていた。最初から最後まで、白井を取り上げていたが、高校総体では2位だったとのこと。高校総体で優勝した選手についてはまったくテレビはとりあげず、名前さえ報道しない。なぜ、優勝した選手を取り上げないのか。視聴者の関心が、白井にしか向かないからだろうが、それは、なぜなのか。それにしても、2位の選手ばかり取り上げるのは、実に不思議な現象である。
 かつて、サッカーの日本代表監督のオシムは、「日本人は、やたらとスターを作りたがる」と言ったことがある。


2014年8月3日
名越實氏の散骨

 
恐羅漢山
のHAC小屋に前夜泊。遅くまで宴会。翌日は雨のため散骨は延期
今秋、大山でも散骨の予定


2014年7月13日
日本山岳サーチ・アンド・レスキュー研究機構総会(神戸市)
 
参加者が多く、盛況だった。


2014年7月12日
「名越實君を偲ぶ会」
 
今年の正月に北アルプスで遭難した名越實氏を偲ぶ会が、広島市内で開催された。参加者250名。東京などの遠方からの参加者もおられ、故人の顔の広さがうかがわれた。
   

    


2014年6月7日
ブラックバイト対策?
 
最近、労働基準法違反のアルバイトが多く、マスコミが、それをブラックバイトと称して、報道している。
 「問題は労働法無知。北海学園大経済学部の川村雅則准教授(労働経済)のゼミでは2011年度から毎年、アルバイト白書づくりに取り組んでいる。弁護士招き学習会。ホットライン開設。連合北海道は5月30〜31日、「ブラックバイト24時間労働相談ホットライン」を初めて開設した。新入生がアルバイトを始めるこの時期に合わせ実施した。大半の学生が経験するアルバイト。職業体験の貴重な機会であるバイトを正しい条件のもとで行える環境づくりが求められている」と報道している。

 法令違反があった場合に、「すぐに弁護士に相談する」ことをせず、別の対策を考えるところが、興味深い。弁護士という職種は、日本の社会では、どうしても頼りにされないようだ。
 別の社会学の大学教師も、労働問題が起きた時の相談先として、労基署、労働組合、ボランティア団体をあげ、法律事務所をあげていなかった。非常に興味深い現象である。

 日本では、ブラック企業、ブラックバイトのように、言葉を作り、それを流行らせることで、読者の関心を惹く巧妙な情報操作がある。しかし、ブラック企業、ブラックバイトなど言葉に意味があるのではなく、労働基準法が守られているかどうかが重要である。日本では、ほとんどの企業や役所で労働基準法が守られていないという実態がある。マスコミ企業自体が、労働基準法を守っていない。残業ただ働き、有休休暇が取れないという点は、当たり前の現実がある。しかし、法令違反をする企業や役所はブラック企業とは呼ばれない。
 ブラック企業という言葉を使用することは、ブラック企業とそうではない企業の線引きをもたらす意味がある。「うちはブラックではありませんよ」と言うことで、国民に安心感を与える。しかし、そういう企業も、残業ただ働き、有休休暇が取れない、長時間労働などの法令違反が蔓延している。法令違反をする多くの企業や役所がブラック企業ではないとして、法令違法が見逃される点に最大の問題がある。ブラック企業は、法令違反を平気で行う日本の企業の中の氷山の一角に過ぎない。ブラック企業とそれ以外の企業は、程度の違いに過ぎない。日本の企業は、どこでも似たようなことをしている。

 根本の原因は、法の支配の欠如にある。
 法の支配が欠如する日本の社会全体がブラックなのである。
日本の社会は、あらゆる場面で、法律とは関係のないところで、動いている。


2014年6月6日
名越實氏の遺体発見

 今年の正月に横尾尾根で行方不明になっていた名越實さんの遺体が発見された。第3次捜索隊が発見した。発見場所は、横尾尾根の槍沢側斜面、槍沢ロッジ付近の沢ということである。
 槍沢側は、私たちが5月連休に探した場所だが、槍沢ロッジ付近は、いろんな事情からあまり探すことができず、気になっていた。やはり、あのたりだったのかという感じがしている。
 人間は、誰でも、いつかは死ぬのだが、やはり、山での遭難死は、残念なものである。

 葬儀は、生前の彼の意志により家族葬とし、後日の関係者のお別れ会の開催について検討するとのこと。


2014年6月5日
登山道の整備のあり方
 
登山道をどこまで整備すべきかという問題がある。整備すれば、歩きやすくなり、安全になるという考え方がある一方で、登山道の整備は自然破壊であり、初心者登山者が増えて事故が増えるという意見がある。

 この問題に「正解」はない。「登山道をどこまで整備すべきか」は、登山者次第、山域次第である。

 
登山道の整備が自然破壊になるかどうかは、自然の価値に左右される。あまり自然的価値のない低山の藪山では、整備されたハイキング道や遊歩道があってもよい。自然的価値の高い山域では、山の中に人工物を持ち込むべきではない。
 登山道の整備により初心者登山者が増えて事故が増えるかどうかは、山域によるだろう。険しい山域を人工物で整備しても、自然の危険性があるので、初心者の事故が起きやすい。
 登山道を整備すれば
事故が減るかどうかは、登山者による。技術、経験のある登山者にとって、登山道の整備は必要ない。遊歩道でなければ事故を起こす初心者もいる。全国の登山道をすべて遊歩道にすれば、登山でなくなる。

 登山と登山者は多様であり、それに応じて、登山道も多様である。5種類程度の登山道の形態を区別し、それぞれの形態の登山道のあるべき姿を
想定し、それに応じて登山道を整備すべきことになる。


2014年5月28日
講演「登山道のあり方と管理責任」
  
日時 平成26年5月28日午後2時30分〜
  
場所 長野県庁議会棟第1特別会議室(長野市)
  
主催 長野県山岳環境連絡会

  
 
1時間30分、このテーマで話をした。
 登山道の管理については、日本では、山岳関係者の関心は高いが、法律家の関心はゼロに等しく、行政の対応も遅れている。
 長野県では、山岳環境の保全、整備のために山岳環境連絡会を作り、その一環として、登山道の管理に取り組んでいる。多くの関係者が参加し、その関心の大きさがうかがえた。
 この種の取り組みは、一部の山域で有志によって取り組まれているが、行政が積極的に関わっているのはそれほど多くないと思われる。長野県の取り組みが、全国の行政の取り組みの先進的なケースになるだろう。
 今後、登山、アウトドア、自然体験などに対する国民の志向が高まるはずである。市民生活の管理が強まれば強まるほど、人々は自然にあこがれるようになる。日本では、自然体験に対する市民の関心が高いが、現実には、充実した自然体験のできる機会が乏しい。自然の中に都会的な娯楽を持ち込んだ疑似自然体験が多い。従来、自然の中に税金を投入してハコモノを作り、利用者を増やして経済的効果を期待するという経済的利益優先の政策の傾向があった。
 もともと、自然の利用は、最低限の経費で可能であり、経済的効果をそれほど期待できない。かつて、ソローが行ったような自然の中での生活や、ジョン・ミューアのような自然の中での放浪がもたらす経済的効果はゼロに等しい。そもそも、自然の中でテントを張って一晩過ごすことがもたらす経済効果を考えてはいけないのである。これらの自然体験は、経済効果はなくても、利用者に大きな精神的な豊かさをもたらし、重要な価値がある。
 とは言っても、現実には、スイスなどのように、自然の利用とある程度の経済的利益の調和ををめざすことも、必要である。一定の収入を得なければ、人間社会が成り立たないからである。ソローやジョン・ミューアにしても、生涯、自然の中で生活し、放浪したわけではなく、人生の大半は仕事をしながら生活の糧を得ていたのであり、「経済」を無視しては人間の生存は無理である。理想は高く、しかし、現実とのバランスを考えた政策が必要になるだろう。

 今後、
  自然の価値の理解
  自然を利用しやすいシステム(休暇や労働条件を含めて)、法制度
  自然は危険を含んでおり、リスクを受け入れ、リスク管理できる国民のアウトドア文化
 などが、重要だろう。
 
 それにしても、自宅から長野市まで電車利用で7〜8時間かかり、1泊2日の往復に疲れた。
 今月、二度目の長野県行きだった。

(登山道の形態と管理責任の関係)
 下図は、講演会で使用した図表
 あくまで、理念型を定立して、「それに近い現実の登山道」を当てはめたのであり、現実の登山道を分類したものではない。
 従来、日本では、「必要に応じて」、なりゆきまかせで登山道を整備してきた。山小屋の立場では、登山道を整備すればするほど客が増え、都合がよい。しかし、これでは、年々、登山道が遊歩道化して初心者が増え、事故が起きて初めて法的責任問題にあわてることになる。「登山道はどうあるべきか」という理念に基づいて、登山道を整備・管理することが重要である。登山道に関するphilosophyが大切。登山と登山者は多様であり、多様な登山道が理念になる。

 ここでいう管理責任は、損害賠償責任などの法的責任をさしている。
 もし、損害賠償責任を一切負わないようにしたいというのであれば、北鎌尾根のように一切人工的な手を加えないという管理しかない(カナダ・バフィン島のアニュイトゥック国立公園がその例)。遊歩道化して多くの観光客を呼び込みたいと考えれば、重い管理責任を覚悟しなければならない。遊歩道では、管理者が「何もしない」ことも、損害賠償責任の対象になりうる。一切責任を負わずに利益を得たいというのは、「義務を負うことなく、権利だけ得たい」とか、「楽して金儲けをしたい」という発想と大差ない。
 登山道に関する損害賠償責任が生じるのは、極めて稀。心配するほどのことではない。「管理責任が生じるので、街中に道路を作りません」という役所はない。設置者が、「一切責任を負いません」と言う道路は、恐くて通行できないのではないか。管理責任を覚悟のうえで必要なものを作るのが行政である。責任を負うことは行政の仕事の一部。

種別 遊歩道 登山道 道以外のルート
整備されている 整備されていない 整備されている 整備されていない
危険性・小 危険性・中 危険性・高
奥入瀬渓流、尾瀬の木道、立山遊歩道 歩きやすい登山道 奥穂高・槍ヶ岳一般ルート、白馬大雪渓、大杉谷、富士山 槍穂縦走路、剣岳別山尾根、八海山 北鎌尾根、戸隠・蟻の戸渡り、剣岳・長次カ雪渓、鳥取県・大山縦走路、不明瞭な登山道 登攀路(日本にはない)
人工壁
クライミングルート、沢登りなど
管理責任の有無 生じる 可能性あり 可能性あり 可能性・低 生じない 可能性あり 生じない



2014年5月25日
アメリカ・銃の乱射事件
 
アメリカで、また、銃の乱射事件が起きた。
 アメリカでこの種の事件が起きる度に、「銃規制」の問題が起こる。まるで、銃を規制しないことが、この種の事件の原因であるかのようだ。あるいは、銃規制をすれば、無差別殺傷事件がなくなるかのようだ。
 アメリカの銃規制の問題は、アメリカでの銃を使用した犯罪(強盗など。通常日本では報道されない)の多さの問題であって、無差別殺傷事件の時にだけ、思い出したように取り上げるのはおかしい。
 この種の無差別殺傷事件は、日本、中国、ヨーロッパでも起きている。発展途上国で、無差別殺傷事件が起きると、「テロ」と呼ばれることが多い。

 
銃規制をしている国でも、許可を得て銃を入手して、銃を乱射する事件がある。爆弾を爆発させる者もいる。日本でも、無差別殺傷事件を起こす者は、通常、前科がないので、狩猟免許の取得は容易である。日本では、トラックで歩行者の集団に突っ込んだり、学校で刃物を振り回したりする。
 結局、無差別殺傷事件は、銃規制の問題とは関係がない。
無差別殺傷事件を銃規制の問題にすりかえてはならない。
 無差別殺傷事件を防ぐためには、社会がそのような人間を生み出さないための工夫が必要であり、それには何年もかかる制度づくりが必要だろう。ブータンではこの種の事件は起きていない(しかし、ブータンも、10年後、20年後には、日本のようになるかもしれない)。銃や刃物を規制すれば足りるような簡単な問題ではない。


2014年5月15日
名越實氏の北アルプス遭難対策会議
 6月にも北アルプスでの捜索を実施する予定。


2014年5月12日
薪作り
 
 今年も大量の薪を作った。

      
   


畑仕事



2014年5月11日
マスコミ報道の不可解
 ヤフーの記事に
後絶たぬ鉄道自殺 ホームドア設置、巡回強化…「根本策ない」各社苦悩
」というのがあった。
 
この記事のタイトルに大きな違和感を感じる。鉄道の設備を工夫して自殺者数を減らすことが無理なことは小学生でもわかる。鉄道がある限り、鉄道自殺はなくならない。鉄道会社とマスコミは、自殺を防止する設備がありうると本気で考えるのだろうか。もし、それを考えているとすれば、思考と費用の無駄である。例えば、自殺の多い場所に柵をすることは、過失死の防止には役立つが、自殺者は、柵を乗り越えるだろう。駅で自殺がしにくくなれば、駅以外の場所で鉄道自殺するだろう。
 鉄道自殺は、社会全体の自殺者がなくならない限り、なくならないだろう。鉄道会社は、「自殺するのであれば、鉄道でなく、余所でやってくれ」というのが本音だろう。鉄道自殺者の多さを問題にするのであれば、自殺者がなぜ、死に場所として鉄道に惹かれるのかという心理的分析くらいしたらどうか。おそらく、自殺者は、死に場所として鉄道に惹かれるのではなく、どこでもよいのだが、「たまたま、そこに鉄道があったから」というのが理由ではないだうろうか。自殺者は、一瞬で確実に死ねる場所を選択する傾向があり、睡眠薬でもよいが、睡眠薬はすぐに入手できない。
 「根本策」は、日本の自殺者の総数を減らすことだろう。


2014年5月7日
山小屋の山岳遭難捜索活動への非協力
 5月連休に広島山岳会、広島県山岳連盟、その他山岳関係者により、名越実氏の大がかりな捜索がなされた。
 その一貫として、我々は、槍沢側から横尾尾根北面の捜索を担当した。私たち5名が、山小屋付近で捜索を行うために、テントを山小屋の付近に張ることを申し出たが、山小屋の管理人からあっさりと拒否された。前日まで、そこでの幕営を認め、広島山岳会の別のパーティーが幕営したが、「5月3日以降は、山小屋付近での幕営は一切ダメ」と素っ気ない。水場、捜索本部との無線交信(その周辺では携帯電話が通じない、通信手段は無線機しかない。無線交信可能な場所が山小屋付近に限られていた)、捜索の効率の観点からの必要性があった。さらに、その時、山小屋の裏に何張かテントが設営されており(その中に我々の知人がいた)、これらの個人的な登山者の幕営は黙認し、捜索隊の幕営は「拒否」というのは理解不能。我々も、個人的な登山者のように、こっそりと山小屋付近にテントをはることもできたが、一応、警察と連携しながら公的な立場で捜索活動をしているので、それはやめておいた。
 結果的に、時間不足のために、山小屋周辺の横尾尾根北面は十分に捜索できなかった(1か月後に、山小屋の正面にあるルンゼから、名越氏の遺体が発見された)。
 キャンプ場の管理「規則」を持ち出す人がいるかもしれないが、雪山の場合に、「昨日までは幕営可。今日から幕営禁止」などといった「規則」は存在しない。山小屋が「今日から幕営禁止」などと恣意的に運用しているのが現実である。そもそも、積雪期に厳密にキャンプ地を規制するのは無理である。そのうえ、捜索活動にキャンプ地の規制を適用するのは無理である。我々は横尾尾根上にテントを張って捜索したが、横尾尾根にキャンプ指定地は存在しない。タテマとしては、横尾尾根にテントを張ることはできない。しかし、もっとも近いキャンプ指定地は横尾であり、横尾から、毎日往復して横尾の歯付近を捜索するのは不可能である。
 また、我々は、皆、ボランティアで捜索活動をしているのであって、レジャーとしての登山をしているのではない。非常時の幕営、冬山での「キャンプ指定地」以外の場所での幕営、救助活動、登山道や環境整備のための幕営などと同じである。登山道整備のために尾根の稜線でビバークする必要があれば、それは許容されるだろう。
 もともと、「キャンプ指定地」に関する公的な規則は存在しない。「キャンプ指定地」の規制は、明文の規定はなく、法的根拠はあいまいである。山小屋の意向で、「キャンプ指定地」の場所を移すことがあるのは、そのためである。現実には、山小屋の私的な決定が「規則」のように見える。それが、「昨日までは幕営可。今日から幕営禁止」といった状況をもたらしている。

 我々は、趣味やレジャーとしての登山ではなく、ボランティアで捜索活動をしている。山小屋に泊まらず、わざわざ幕営するのは、遭難者の家族の費用負担を少しでも軽くするために過ぎない(かかった費用はすべて遭難者の家族の負担になる)。
 この付近の山小屋グル−プはかなり利益を上げているが、それは、山岳という国民の共通財産がもつロケーションを、たまたま、山小屋が独占しているというだけの理由による。山小屋は、国民の公共財産独占の見返りとして、山岳救助という公的な使命のために活動する者のために、多少の便宜をはかるべきである。山小屋は、利益獲得だけでなく、遭難者の捜索という公的な使命に対するに協力の姿勢が必要である。
 
通常の登山と違って、「捜索・救助活動についてはどこでも幕営可」とすることは、可能である。理屈としては、捜索・救助活動は、通常の登山ではないので、登山に関する規制は及ばない」と考えればたりる。クライミングでは、屏風岩の基部でツェルトビバークしたり、岩小屋に泊まったりし、これが容認されているが、これは通常の登山(歩く登山)ではないので、キャンプ地の規制を及ぼすことが妥当でないからだろう。あるいは、山小屋が借りている賃借地内は、キャンプ地の指定の規制が及ばないと考えることができる。山小屋の地基地内に、山小屋が作業用のタープなどを張ることは問題がない。
 もし、本気でキャンプ地の規制をするのであれば、土地の管理者である国の規則で明文で規定すべきだろう。そして、捜索活動などは、事前に国の許可を得て幕営できるようにすべきだろう。現状は、そのような規定がない。

 
アメリカの国立公園の中には、厳格な環境保護規制をしている地域があるが、そのような場所では営業的な山小屋がない(避難小屋はある)。テントはどこでも自由に張ることができるが、テントの張り方について厳しく規制している。営業的な山小屋を規制するのは、山のオーバーユースを防ぐためである。テントを張る登山者の数は知れており、それが環境に与える影響は小さい。他方、営業小屋の存在は、登山者の増加を意味し、環境への影響が大きい。
 
キャンプ地の規制という手法が有効なのは、もっぱらハイキングの対象地域だけであり、山岳地域では有効ではない。その例が、横尾尾根や北鎌尾根などである。これらを縦走しようとすると、「キャンプ地の規制」という手法では対応できず、現実に、この規制が無視されている。岩登りでのビバークは当たり前であり、ここでもキャンプ地の規制が無視されている(テントを張らないビバークもキャンプに当たる)。ハイキングは、「ああすれば、こうなる」という予定が成り立つ行動形態であり、キャンプ地の規制に従って行動可能である。捜索では、通常の登山と異なり、さまざまな場所での幕営が必要になる

 ババ平は、横尾と無線が通じないため、横尾の本部と連絡をとるためには、槍沢ロッジまで移動しなければならない。たまたま、重要な手がかりの発見がなかったので、本部とつながらなくても支障はなかったが、もし、手がかりを発見していれば、テントと槍沢ロッジ間を何度も往復しなければならなかっただろう。 
 そのうえ、ババ平は水場がなく、幕営のためにはスコップで斜面の堅い雪をかなり掘って整地しなければならなかった。こんなキャンプ場所で、水もないのに、テント設営料1泊3500円(5人)。これは、暴利ではないか。 山小屋は、「水は、雪を溶かせばよい」と言うが、雪を溶かして水を作る冬山登山では、キャンプ料は取れない。ババ平の雪は汚いので、我々は、山小屋まで往復1時間かけて水を汲みに行った。汚いことこのうえないトイレ使用料が、1日3500円ということになる。もし、少しでも競争原理が働けば、汚い簡易トイレを設置しただけで、1泊3500円のキャンプ料は取れない。
 


2014年5月2〜6日
北アルプス・捜索活動(広島山岳会)
 
5月2日夜、広島発(自動車)
 3日、上高地ーババ平(テント泊)
 4日、槍沢大曲付近から赤沢山斜面を登り、横尾尾根の槍沢側を双眼鏡で捜索、斜面をトラバース、ババ平泊、ババ平は本部(横尾)との無線交信不能。槍沢ロッジは無線交信可能
 5日、ババ平ー赤沢ルンゼ(上部は雪壁)を登り、横尾尾根の槍沢側を観察ー横尾で本部と合流し、一緒に下山。
 6日、帰広


             
 
槍沢                                     赤沢(赤沢山のルンゼ)



2014年4月28日
登山道は誰のものか

 
面白いヤフーの記事を見つけた。
高尾山での「トンデモ登山者の実態」として、登山競走のトレーニングの場として利用するアスリートの存在が問題視されている。
 記事は、「あまりの多さに驚いた。登山道を数分おきにジョギングとはいえないスピードで駆け上がっていく。登山客を抜く際に速度を落としたり、声をかけて注意を促すランナーはまれだ。多くが無言のまま駆け抜けていく。中には高齢のハイカーも多く、接触するだけで転倒や滑落の危険もありそうだ。」と述べる。
 かつて、長島茂雄が山ごもりし、山道の階段で走ったり、神社の階段でトレーニングする運動選手は多い。山道でのトレーニングを取り入れている陸上選手など。結局、数の多さが問題であって、トレーニングの場として利用することの問題とは違うのではないか。街中でも、ジョギングをする人の多い歩道は危険である。東京の駅の階段を走るサラリーマンは非常に危険である。

 記事は、「山を走ることは登山道を傷めることにもつながり、山に生育する植生にも影響が出てくる」と述べる。これも登山者の多さと同じ問題。杖やストック、底の堅い靴を使用すれば、歩いても登山道を傷める。大量の登山者自体が登山道を傷めるが、もともとハイキング道は大量の登山者を前提に作っているのではないか。登山道を舗装すれば、歩きやすいので、大量の登山客が来るのは当たり前。神社の階段は参拝客が多ければ傷むが、それが問題なのか。道路は交通量が多ければ傷むが、それが問題なのか。「山に生育する植生の保護」は、必要があれば、そのような法規制すべきだが、トレイルランとは別の問題。
 トレイルラン専用コースを設けるのが望ましいが、それでも、トレイルランナーが多ければ、ランナー同士の衝突などの事故が起きる。いずれにしても、数の多さは危険である。
 
 記事は、「一瞬、目を覆いたくなる光景に出くわした。犬連れのハイカーが散歩のごとく歩いていた。チワワやトイプードルのような小型犬からシバイヌ、ダックスフントまで犬種はいろいろ。」と述べる。観光地や公園のような山にペットを連れていくことに問題があるか。日本の公園は、ペットの持ち込み禁止が多かった。欧米では、人間と動物のふれあいの場として公園を位置づける。欧米では、ペットを持ち込める公共の場が多い。日本では、公共の場からペットを排除する傾向が強い。高尾山のペットの問題は、単にマナーの問題ではなく、人間とペットの関係のあり方の問題である。
 公園は多様である。代々木公園、街中の城址公園、高尾山から北アルプスの公立公園まである。どこに線を引くかが問題である。穂高や槍ヶ岳のような「山岳」ではペットを禁止すべきだが、街中の公園はペットを認めるべきだろう。高尾山は、「山岳」ではなく、近郊の丘の延長のにある。高尾山は、登山ではなくハイキングの対象である。都会の近郊のハイキングでは、人間とペットの共生を重視すべきだろう。

 記事は、「仮に愛犬が登山道の脇におしっこをかければ、山野草の生育に悪影響を及ぼすことぐらいは分別のある大人なら分かる。季節ごとの山野草を楽しむ愛好家が、ペット連れに不快感を覚えるのは当然であろう。」 屎尿という点では、公園や街中の方が被害が多い。それに人間の立ちションベン。高尾山でも、ペットよりも人間の立ちションベンの方が、数としては多いのではないか。もともと、屎尿は、野生動物のものも多いが、どれだけ被害があるかは不明。むしろ、山野草がよく育つのではないか。
 高尾山周辺は「明治の森高尾国定公園」に指定されているとのこと。自然保護を徹底するのであれば、ペットの規制よりも、国定公園から人工物を撤去し、入山者数を規制すべきだろう。人工物の影響、人の多さの影響が環境を破壊する。ペットを人間に準じたものとして扱えば、人間が入るからペットも入るのであり、人間もペットもほ乳類である。その違いは程度の違いでしかない。ペットの規制は人間の規制になる。

 記者は、自分は登山のつもりで登っているのに、観光地や公園のようにペットを連れた人の存在に腹を立てたのかもしれない。高尾山を観光地と考えれば、ペットがいてもおかしくない。高尾山は観光地としての山なのである。日本のどこにでも、マナーの悪い観光客がいる。


2014年4月20日
「世界の果てまでイッテQ」 イモトのエベレスト挑戦

 「世界の果てまでイッテQ」というテレビ番組で、イモトがエベレストに挑戦する。
 
最近は、エベレストでのガイド登山や商業的登山がさかんだが、今まで、日本以外の国でこの種のテレビ企画がなかった。この種のテレビ番組の企画は「世界初」である。それには、理由がある。

 エベレストでのガイド登山は、天候と運がよければ登れるだろう。しかし、通常、ガイド登山であっても、客は登りたいから登りのである。多少のリスクはあっても、登りたいという気持ちが勝るのである。しかし、イモトの場合は、仕事として登っており、自分から登りたいという強い意欲があるようには見えない。イモトは、マスコミに登らされている。同じ商業的登山でも、三浦雄一郎は、自分の意志で登っており、成功しても、失敗しても充実感が生まれる。

 本来、登山は自己責任だが、仕事で行う登山は、そうではない。警察、消防、軍隊、原発での作業などは、仕事として危険な業務に従事するが、強い社会的必要性がある。そのため、事故になれば、労災や公務災害になる。事故が起きれば、上司や組織の責任問題が浮上する。しかし、イモトの場合には、雇用関係がなく、労災にはならない。そのような「危険な業務」をしなければならない社会的要請もまったくない。事故が起きれば、自己責任のような、そうではないような、よくわからない状況になる。この登山を企画したテレビ局に道義的責任があるが、法的責任をとらないだろう。事故が起きない前提の企画は、リスクの少ない内容に限るべきだろう。登山は自由意志に基づいて行われるものである。世界中で、今まで、このような下らない企画がなかったのは、それなりの理由がある。視聴率を稼ぐための登山はやめたほうがよい。

 金さえ出せばエベレスト登山が可能な時代に、多額の資金を使ってガイド登山をしても、あまり意味はない。意味があるのは、どうしても登りたいという願望を達成する点にあるが、イモトの場合は、テレビ局の企画で登っている。イモト自身は、登山があまり好きではないように見える。クライミングもあまり好きではないようだ。
 テレビは、ドラマを求める。事故が起きた方が視聴率は上がる数年も経てば、この番組は忘れられる。視聴者の関心は、すぐに別の番組に移る。その時になって、この登山は果たして何だったのかを考えると、何も残らない。
 まして、イモトがマナスル登山でしたように、6000メートル台から酸素ボンベを当たり前のように使用する姿を見ると(通常、8000メートル以下では、酸素ボンベを使用しない)、「そうまでして登ることに、どれほどの意味があるのだろうか」と考えてしまう。6000メートル台から酸素ボンベを使用すれば、エベレスト登山は雪の穂高に登る程度の登山になってしまう(BCからの標高差は3000メートル)。金、視聴率、スポンサーのために何でもするという日本人的発想はいただけない。

 通常、登山者は、「山に登りたい」という理由から山に登るのだが、この番組の登山を見ていると、何のためにイモトが山に登るのかがわからない(視聴率のためだといってしまえば、それまでだが)。この登山はひどく退屈でつまらないものに見える。
 
 まあ、他人のことだから、どうでもよいことだが。


2014年4月11日
名越實氏の北アルプス遭難対策会議


2014年4月1日
調査捕鯨に関する
国際司法裁判所の判決
 国際司法裁判所が、日本の調査捕鯨を違法と判断した。
 商業捕鯨を調査捕鯨と言いくるめる「詭弁」は、日本では通用しても、国際的には通用しないというだけのこと。
 これは、「日本の常識は世界の非常識」、「日本の法文化のガラパゴス化」の例である。日本には、そんな例が無数にある。この点で、日本は、法的には、先進国の中で孤立している。発展途上国の中では、日本は「普通」のレベルだろう。詭弁の多用という点では、日本は中国や北朝鮮よりまマシだろう。韓国と同レベルか?。


2014年3月31日
白馬岳ガイド登山事故・起訴
 平成26年3月27日、2006年の白馬岳でのガイド登山で4人の客が死亡した事故について、山岳ガイドが起訴された。
 この種の事故で山岳ガイドが起訴されるのは、珍しい。
 業務上過失致死罪の公訴時効が10年に延長されたことが、「今頃になって」起訴できた理由である。
 何人も死傷する重大事故は厳罰に処すべきだという世論が、この起訴を後押している。欧米では、山岳事故について刑事裁判になることはほとんどない(民事裁判も稀)。
 日本では、近年、過失犯の厳罰化の傾向がある。
過失犯の処罰の対象が広がり、自動車事故などで刑罰が重くなりつつある。産科事故の刑事処罰などがその例である。この事故で起訴されたことも、この世論の流れを受けている。

 刑事裁判での争点は、暴風雪をガイドが予見できたかどうかどうかである。この事故は、風速20メートル近い暴風雪によってもたらされた。初対面の者で構成されるパックツアーと異なり、ガイドはこのパーティーのメンバーの力をよく把握していた。メンバーの力を過信し過ぎていたことが、この事故につながった。ガイドは、参加者が初対面であれば、このルートを選択していないだろう。通常程度の悪天候ではこの事故は起きていない、という点は重要である。この点で、想定以上の地震や津波が来て事故が起きた場合の刑事責任に似ている。

 ガイドにはさまざまなミスがあった。結果からいえば、亡くなった4人は力不足であり、参加させるべきではなかった。人選に問題があった。参加者の体力不足。このコースはハード過ぎた。もう1時間早く行動していれば、遭難していなかっただろう。スピード不足。悪天候では、スピードが生死を分ける。雨の場合には行動すべきではなかった。途中で引き返すべきだった。避難小屋に泊まれば良かった。ツェルトを風で飛ばされたことは失敗である。装備に問題あり。テントがあればよかった。冬用ヤッケがあればよかったなど・・・・・。
 しかし、これらはが直ちに刑事上の注意義務になるわけではない。刑事上の注意義務は、登山行動の細部にどこまで国家が介入すべきかという問題である。

 暴風雪を予見できたかどうかは、ほとんど禅問答に近い。過去にこのような暴風雪は何度も起きており、予見がまったく不可能ということではない。しかし、当時は、ガイドは入手できる情報が限られいた。山の中では、携帯電話がどこでもつながるわけではない。いったん山に入れば、入手できる情報が限られる。遭難の前日に暴風雪を予見できただろうか。

 実際には、ガイドは、悪天候を予想して行動を慎重にすることによって、結果的に暴風雪を避けることが多いだろう。つまり、危険性のもっと手前の段階で慎重な行動をとる。しかし、その点は、法的な注意義務にしにくい。暴風雪の有無の調査義務を課せば、その義務違反を問うことは可能かもしれない。しかし、そこまで国家が干渉すべきかどうか。
 このコースはかなりハードな登山であることが一目瞭然であるから、参加者は、事前に体力的なトレーニングをしたり、装備を自分で工夫し(軽量化と装備の充実)、多少の悪天候でも行動可能なコンディションで参加したはずである。参加者は、ほとんどが積雪期の登山の経験者であり、いずれも、かなりの力のある人たちだった。だが、それを超える悪天候に遭遇したのだろう。

 ほとんどの山岳事故は人間のミスによって生じる。人間はどこかでミスを犯すものである。検察は、少しでもミスがあれば処罰すると考える傾向があるが、それでいけば、ほとんどのガイド登山中の事故についてガイドの刑事責任を問うことが可能になる。山岳ガイドは萎縮し、ガイド登山でクライミングや冬山登山などできなくなるのではないか。100パーセント安全なクライミングや冬山登山はありえない。ガイド登山であっても同じである。検察は、「100パーセント安全にできないのであれば、そのような危険なことはすべきでない」と考えるのだろう。

 原発事故や津波被害には、必ず人間の判断ミスが関係している。関係者をすべて刑事処罰すべきだろうか。
 
 どこまで刑事処罰するかは、線引きの問題であり、社会的な価値判断の問題である
 故意犯は、重く処罰すれば犯罪は減る。しかし、過失犯を重く処罰しても、人間のミスが減ることはない。刑罰が重くなれば、人間はより慎重になるが、もともとガイドはすべて慎重に行動している。慎重に行動してもなお起きるのが山岳事故である。それだからこそ、山岳事故は滅多に起きない。ガイドの不注意が一般的なものであれば、ガイド登山の事故が頻繁に起きるはずである。慎重に行動しても山岳事故が起きるのは、もともと登山が危険なものだからである。
 
 過失犯の処罰範囲は、際限なく拡大させることが可能である。過失犯の処罰範囲を限定するとしても、その範囲は国家(捜査機関)が画することになり、捜査機関の裁量が増す。市民は、捜査機関の裁量的判断をおそれて、ビクビクしながら生活しなければならない。なぜなら、あらゆる事故が起きれば、常に、誰かがが刑事責任を問われる恐れがあるからである。
 医療事故でも、刑事処罰の範囲が広がれば、誰も産科医にならなくなるだろう。誰でもミスを犯しやすい。少しでもミスがあれば厳罰に処すという社会は、探求心や創造性が萎縮しやすい。
 過失事故は、必ず、運・不運が関係する。このケースでは、暴風雪の到来が、もう30分遅ければ、このパーティーは遭難していなかっただろう。パーティーのメンバーがもう少し、早く歩いていれば、遭難はしていなかっただろう。風雪が、もう少し弱ければ、遭難していなかっただろう。運・不運ということである。この点が故意犯との違いである。
 冬用ヤッケを持参していれば、遭難しなかっただろう。しかし、10月の北アルプスでは、通常、冬用ヤッケは持っていかないだろう。10月の北アルプスでは冬山装備はしないというのが、登山のスタンダードだろう。非常に慎重な人は持っていくかもしれないが、軽量化に反する。それは、ガイドが指示するようなことではないく、個人の判断に委ねられる。
 テントがあれば、途中でビバークし、助かったかもしれない。しかし、軽量化できず、パーティーのスピードが落ち、体力を消耗し、かえって危険である。
 
 過失事故については、刑事責任を問う範囲を限定すべきである。過失犯の範囲は、際限なく拡大させることが可能である。外国で山岳事故の刑事処罰ほとんどないのは、そのためである。山岳事故の刑事責任は、例えば、ガイドが客を意図的に放置したとか、登山経験の無い者がガイドを詐称したなどの悪質な場合に限るべきだろう。

 事故の遺族は広く処罰することを望むが(それは洋の東西を問わない)、今の日本では、遺族の心情が世論を形成し(それはマスコミの功績である)、それが司法に大きく影響している。人間のミスや失敗は、民事責任で解決すべき問題である。
 

2014年3月27日
林敏彦弁護士の講演
 
広島で、林敏彦弁護士の講演があった(青年法律家協会広島支部主催)。
 林敏彦弁護士は元裁判官であり、裁判官在任中に扱った刑事裁判での無罪判決などについての講演。
 
彼は、私と大学の同級生であり、会うのは15年振りくらいであり、非常に懐かしかった。


2014年3月19日
エベレストの槍ヶ岳化、あるいは、富士山化

 
エベレストの頂上近くにある岩場「ヒラリー・ステップ」に、はしごをかける計画をネパール政府が検討している。
 ネパール観光省は、エベレスト登山者の増加に伴い「4〜6月の登山シーズン、ヒラリー・ステップでは大混雑が常態化している」と指摘し、「登山者の安全のために、はしごを考えざるを得ない」というのがネパール政府の説明である。 
 しかし、大混雑の常態化は、登山者数が多すぎることが原因である。ネパールは高額な登山料を徴収しているが、収入増のために、許可する登山者を増やしてきた結果が、大混雑の常態化をもたらした。
 登山許可数を減らせば、混雑しない。
 登山者数を増やして、安全にしようとすれば、エベレスのあちこちにはしごをかけることになる(既にロープは毎年張りめぐらされる)。
 エベレストの槍ヶ岳化。
 そのうち、ネパール政府が、サウスコルにテント村を設置して使用料を徴収したり、大量の酸素ボンベを荷揚げし、「販売」するなどの商売をするかもしれない。固定ロープの使用料の徴収は既に行われている。



2014年3月17日
ソチオリンピック
で開催されたアイスクライミング
 2014年ソチでのオリンピックで、アイスクライミングが開催されたことを知っている人がどれだけいるだろうか。
 もっとも、これは、オリンピックの正式種目としてではない。単に、ソチの「オリンピック会場でオリンピック期間中に」デモンストレーションとして、アイスクライミング競技が行われたということとである。海外のマスコミはアイスクライミングを取材したが、日本のマスコミは一切報道していない。

 
日本からも選手がソチへ行き、競技に参加した様子が、日本山岳協会の月報に掲載されている。


2014年3月16日
吾妻山・山スキー
 
あまりにも、天気が良かったので、昼頃、出かけて、2時間程度、山スキーで遊んだ





2014年2月25日
アマゾンの書評、「絶望の裁判所」、瀬木比呂志、講談社

 
最近読んだ本。不謹慎だが、たいへん面白かった
 著者の瀬木比呂志氏は、大学の1年先輩であり、私の友人の友人だったので、学生時代に会ったことがある。
 以前、瀬木比呂志氏の著作について、弁護士会の会報に雑文を書いたことがある(
「人間の主体性について」)。


2014年2月20日
ソチオリンピック
の感想
日本のマスコミと世論、どうしてこれほどまでに選手にプレッシャーをかけ続けるのだろうか(マスコミはそれが仕事だからだが)。
プレッシャーから選手に失敗させるためか? 世論が「メダル、メダル」と騒ぐが、そんなに他人のメダルが欲しいのか?
過度のプレッシャーを受ける選手は気の毒である。プレッシャーに負けることなく、「自分を実現する」ことに徹することのできる人は、りっぱである。
なぜ、成功しても失敗しても、特定の選手にだけをマスコミが取り上げるのか。視聴率稼ぎ。実に不思議な現象だ。
オリンピックが終われば、世論の関心は急速に冷める。この関心の冷め方も面白い。本当に、そのスポーツを応援しているとは思えない。普段は、スノーボードをテレビが取り上げることはない。
オリンピックは、不思議な社会現象を多く体験できる貴重な機会である。


2014年2月16日
道後山・山スキー

 
あまりにも天気が良かったので、午後1時頃から、2時間程度、山スキーで遊んできた。これも田舎暮らし。




2014年2月8日
NHKの経営委員の報酬は3000万円以上

NHKの経営委員の発言が物議を呼んでいる。困ったものだ。
最大の問題は、偏った人選にある。もっと、知性のある人を選ぶべきだ。

NHKの経営委員の報酬は年間3000万円以上である。
私が、国や自治体の委員をする時は、報酬は1回4時間くらいの会議で1万円程度である。裁判所の調停委員を15年間くらいしているが、その報酬は年間10万円程度である。政治的な意味のある役職は、高額な報酬をもらっているようだ。それに対し、「公正」のために働く役職は報酬が安い。
これも政治的配慮?
税金の無駄遣い。今の政府の金遣いの荒さは、破産者の浪費と同じである。


2014年1月11日
名越實氏の北アルプス遭難対策会議


2014年1月10日
名越氏の北アルプス遭難の捜索
 
帰広


2014年1月9日

登山研修所専門調査委員会(東京)
 
欠席


2014年1月8日
名越實氏の北アルプス遭難の捜索
 
現地対策本部(松本市)滞在


2014年1月7日
名越實氏の北アルプス遭難の捜索
 
夜、松本市に向けて出発


2014年1月5日
仕事初め
 
日曜日だが、事情により、仕事初めとなった。


2014年1月3日
名越實氏の北アルプス遭難対策会議

高校(広大附属高校)の同窓会