2021年  溝手康史

 
            
2021年12月29日
氷ノ山での遭難
氷ノ山でキャンプをした人が遭難した。4人は救助されたが、1人は生死不明。
林道を車でかなり入った場所でキャンプをしたようだ。
大雪が降り、車が動かなくなり、歩いて下山中に遭難したのではないか。
冬のキャンプは初めて、軽装だったようだ。
映像で見ると、救助された人は長靴をはいていた。これではダメだ。長靴は雪が入り、凍傷になる。ワカンがなければ歩けない。
山頂からこの林道を2度山スキーで下ったことがある。平坦で長い林道だ。冬は雪があるが、雪がなければ車が入る。
この林道では、基本的に携帯電話がつながらないが、場所によって携帯電話がつながる場所がある。
林道で動かず、テントでじっとしていれば、100パーセント無事に救助されたはずだ。下手に動いたことがまずかった。
無謀な登山というよりも、無謀なキャンプだ。当たり前のことだが、雪のある場所でのキャンプでは冬山登山のノウハウがいる。

            
2021年12月28日
突然の電話
友人から、突然、電話がかかってきた。
声の様子がおかしい。まるで見知らぬ別人のようだ。
「検査で膵臓癌がわかった。すでに肝臓に転移している。余命3か月」
別れの挨拶だった。
突然の電話に声を失った。
まだ60歳ではないか。
30代の頃、彼を無理やり誘って岩登りをしたことがあるが、彼はそれに懲りたのか、それ以降、二度と岩登りをしなかった。
その後、彼は、岩登りどころか登山もしなかったが、堅実に仕事をし、順風満帆の人生を送った。

大阪の山岳ガイドのK氏は、62歳くらいの時に大腸癌になったが、手術をして回復した。K氏の大阪の家で会ったK氏の奧さんは元気だったが、その後、奥さんが癌になり、あっという間に亡くなった。その数年後、K氏は、65歳で遭難氏したN氏のお別れの会に参列していたが、間もなく、K氏は67歳で亡くなった。
高校、大学の同級生で旧自治省に入った友人は51歳で自殺した。団体理事、研究室長、大学の客員教授などをしていた。
自殺した知人の弁護士が何人もいる。
誰でも寿命がある。長いか短いかの違いしかない。
誰でもいつかは死ぬが、自分がいつ死ぬかわからないことが多い。
自分が死ぬ時期がわからないことで、日常生活を送ることができる。
自分が死ぬ時期がわかれば、日常生活が消える。
死が待ち構えている場合にどのように生きればよいのか。
山で遭難死する人は、人生の残りの時間を考えることなく死ぬので幸福だ。病死の方が残酷だ。
その時にならなければわからないが、おそらく、その時になっても、わからないだろう。永遠に解決されることがないだろう。
おそらく、なるようにしかならない。誰でもそのように死んでいく。死の前では誰でも平等だ。
しかし、人間は、と言うよりも、生物は、最後まで生きる希望を持つことで、生き続けることができるのだろう。
生きる希望を失えば、もはや生きることができないのではないか。
人間は生きることを信じることが必要だ。

            
2021年12月4、5、11日
日本山岳スポーツクライミング協会・上級夏山リーダー講習会
神戸市  神戸セミナーハウス
座学・実技
リーダーの法的責任について話した。
この講習は、UIAAに準拠した夏山リーダ資格を付与する講習制度を作る作業の一環として実施された。

屋内でのセルフレスキュー講習 2021.12.5
         
山の中でのナビ講習 2021.12.

 藪の中のルートファインディング 2021.12.5

 山の中での夜間講習 2021.12.5


            
2021年12月3日
登山の法律・講演
主催:日本山岳会
オンライン


2021年11月3日
上級夏山リーダー講習会テキストとその指導用教本
 日本山岳スポーツクライミング協会が夏山リーダー上級の講習会を企画しており、これはUIAAの夏山リーダー資格に準拠した資格である。そのテキストはすでに完成し、その指導用の教本を現在作成中である。
 私もテキストと教本の一部の執筆に関与した。

 この資格を取得すればUIAAの夏山リーダー資格として認定されることが予定されており、そのために、UIAAの責任者のスティーブ・ロングが来日して講習会を視察し、UIAAによる認定が必要である。しかし、新型コロナのためにスティーブ・ロングの来日が遅れている。来日は来年になりそうだ。


2021年11月2日
岸田総理・・・・雑感
 岸田総理とは縁もゆかりもないが、岸田総理の奥さんの父親はよく知っている。
 私の事務所の隣の部屋が自民党の後援会事務所になっており、岸田総理のポスターが張ってあるため、時々、私の事務所を自民党の後援会事務所と勘違いして来る人がいる。   

               
2021年9月26日
ある山岳事故
 私が関係している山岳団体の会員が沢登り中に事故に遭い、亡くなった。
 会ったことはないが、社会のために今後の活躍が期待されていた人だった。
 大学山岳部出身者であり、沢登りの経験もある程度あった。
 事故の内容は間接的に聞いただけで、事故現場を見たわけでもない。
 事故の後で関係者が、どうすれば事故を防ぐことができたかを検証した。
 それらはすべてもっともな意見であり、それらを実行すれば、事故を防ぐことができただろう。
 しかし、それらを実行したとしても、それらとは関係ないところで事故が起きるかもしれない。
 つまり、完璧な安全対策は存在しないということだ。絶対に人間がミスをしない方法はない。人間はどこかでミスを冒す。それは確率の問題であり、ほとんどの場合はミスを冒しても事故にならないが、300回に1回くらいは致命的なミスになる。
 完璧な登山計画を立て、登山の現場で臨機応変に対処できる能力があれば、事故は起きない。が、それができないのだ。人間はスーパーマンではない。

 引率登山では、登山の内容をリスクの低いものにすることが事故のリスクと法的責任のリスクを下げることになる。完璧な登山計画を立て、登山の現場で臨機応変に対処することよりも、登山の内容をリスクの低いものにする方がよほどやさしく確実である。 

 登山は危険性が高ければ高いほど、それを終えた後の達成感が大きい。登山はリスクがあるからこそ、登山なのだ。
  誰でも、登山で内容を欲張る傾向がある。登山を充実したものにし、大きな達成感を得ようとすると、事故のリスクが高くなる。しかし、引率登山では登山の内容をリスクの低いものにすることが必要である。そのため、引率登山で全力を出し切る登山はできない。
 自主登山は、常にリスクと相談しながら行動する。
 しかし、どこまでリスクを冒すかの線引きが難しい。
 リスクを冒すことが当たり前になりやすい。リスク感覚が麻痺するのだ。
 それを繰り返していれば、いつかは事故が起きる可能性がある。それは確率の問題だ。
 「危険な登山を繰り返していれば、誰でもいつかは山で死ぬ」と言った有名な登山家がいたが、その人は山で遭難死することはなかった。
 数年前に亡くなったN氏も、ヒマラヤのバリエーションルートの登山や冬の単独登山を繰り返していたので、遭難するリスクが高かった。
 51歳で亡くなった高見氏も大胆な人であり、危険性の感覚が常人と異なっていた。

 登山では、臆病さが大切だ。
 自分の力を過信した時が危ない。
 登山では生と死は紙一重だ。
 他のスポーツでは、自信を持ち、絶好調の時によい記録がでるが、登山は、どんな山でも登れるという自信を持ち、絶好調の時がもっとも危ない。
 自然の前では、人間の力は微々たるものだという謙虚さや自信を持たないことが登山では必要だ。
 登山中のちょっとした不安が死を回避させることがある。
 「登山中のちょっとした不安」・・・・これを言葉で説明するのは難しい。動物的な勘のようなものだ。
 不安を感じる基準は人によって違う。不安ばかり感じていれば大した登山はできないが、趣味の登山ではそれでよい。


       
2021年9月18日〜19日
上級リスクマネジメント講習会
神戸市
日本スポーツ振興センター、登山研修所
緊急事態宣言下での開催にとまどったが、主催者がどうしても実施したいという意向だった。過去2年間、新型コロナのために中止になっていた。
それなりに感染対策は行われていたが、関係者に感染者がいれば、感染のリスクを完全になくすることはできない。それは運、不運だ。

内容
・安全登山の仕組み
・指導者のためのリスクマネジメント
・法律から学ぶ登山のリスクマネジメント・・・・・これについて2時間30分話をした。
・安全で効果的な登山講習会の立案


2021年8月10日
上級夏山リーダー講習会テキスト(上級編、日本山岳スポーツクライミング協会)
 これはUIAAの夏山リーダー資格に準拠した講習会のテキストである。
 私もこれに関わった。
 今後、この資格を取得すればUIAAの夏山リーダー資格として認定されることが予定されている(現在、準備中)。


                       
   


     
2021年7月15日
富士山の登山道は県道
 これは毎日新聞甲府支局から聞いたことだが、富士山の登山道は、静岡県側も山梨県側も、県道になっているらしい。
県道に指定された経緯は、県の説明では、「不明」ということらしいが、それもおかしい。
 これは、登山道が道路法上の道路ということである。
 道路は車道とは限らない。理屈上は、道路は登山道であってもよい。
 しかし、全国にこのような登山道は他にないだろう。
 県道の敷地は県有地なのか?
 富士山は国有地と神社所有地であり、長年、国と神社が裁判で土地所有権を争っていた。
 簡単に県道に指定できるわけではなく、実に奇妙だ。
 県道にしなくても、県が登山道の管理者になることは可能だ。県は、土地所有者の了解を得れば、登山道の管理者になることができる。
 それを、なぜ、わざわざ県道に指定したのか。不思議だ。

 しかし、富士山の登山道の管理者が県であることは明確だ。
 ただし、登山道で落石などが起きても、落石は登山の固有の危険性に含まれ、管理責任が生じることは稀だろう。


2021年7月5日
日本スポーツ・クライミング協会の夏山リーダー(基礎編)の講習テキスト(改訂版)
 夏山リーダー(基礎編)の改訂定版ができた。今後は、上級編のテキストもできる予定だ。
 基礎編と上級編の講習を修了すると、UIAA(世界山岳連盟)の基準を満たす夏山リーダーの資格が与えられる予定である。
 従来、日本では各団体がバラバラにリーダーの資格認定をしていたが、今回、これを世界基準に合わせたものがこの資格制度である。
 私もこのテキスト作成に若干関わっている。

2021年6月20日
「登山と法律」
福山山岳会安全登山講習会

主催:福山山岳会
オンライン
参加者 40人


2021年5月15日〜21日
「登山の法律問題」(1時間)
日本登山医学会夏山座学研修会、オンライン講座


 山岳事故の責任
 ツアー登山の引率者、講習会インストラクター、教師などの責任
 救助活動従事者の責任、ボランティア活動従事者の責任、医療関係者の責任
など

 パワーポイントにナレーションを吹き込み録音するのだが、パソコンに向かって1時間独り言を言い続けなければならない。


                
2021年5月6日
「高みへのステップ」の改訂版
 「高みへのステップ」(文部省、1985年)の改訂版の作成作業がこれから始まる。「高みへのステップ」はあまりにも古い。改訂と言うよりも、新版と言った方がよい。私は、法的責任に関する部分を担当する。これから原稿を書かねば・・・・・・・
発行は、日本スポーツ振興センター、登山研修所。


2021年4月25日
裏山尾根歩き

 自宅から車で10分、そこから約40分登ると標高約600メートルの気持ちのよい尾根に出る。高原状のなだらかな尾根だ。道はないが、ところどころに人が歩いた形跡がある。山仕事をする人が歩いたのだろう。登山者は、まず、来ない。
 地図と磁石を使って、約2時間の高原漫歩をした。その間、誰にも出会わなかった。
 コロナ禍の中でも金を使わずに楽しむことができる。

 こうのような山歩きは、当然、山の所有者の許可を得ていない。山の所有者を法務局で調べるのは大変だ。法務局に行くだけで何時間もかかる地域もある。それを調べても、山の所有者の住所、連絡先がすぐにわかるわけではない。弁護士の仕事上の経験で言えば、明治時代に100人の共有者の登記のなされている山がある(入会地だったということ)。土地の貸借は処分行為であり、共有者全員からの許可が必要だ。
 土地の相続人の一人が昭和の初期にブラジルに移民し、ブラジルの領事館に照会し、生死不明、連絡先不明だったことがある。ブラジルの領事館に登録されている住所宛てに訴状を送ったが、訴状はすべてポルトガル語に翻訳しなければならない。添付する登記簿謄本や戸籍謄本にはすべてローマ字でフリガナをふった。翻訳料に約10万円かかった。裁判所が指定した第一回裁判期日は1年後の日時だった。訴状は被告に届かず、公示送達をし、1年後に欠席判決が出た。
 裁判所による不在者の財産管理人の選任が必要なケースもある。
 山歩きをするには、このような法的な手続きが必要だというのはバカげたことだ。

 山の所有者の許可を得ない山歩きが不法進入になるのかどうか。
 一般的には、山を歩くことは山の所有者が黙認していると考えられる。
 明治になって近代的土地所有権の観念がヨーロッパから日本へ移入される以前から、人々が山菜取りや狩猟のために山の中を歩き、野宿をすることが認められていたのであり、明治以降の土地所有権(公有、または、私的所有に分化した)もそれを黙認していると考えられる。山歩きの慣行は土地所有権が成立する前からあったのであり、民法を制定すればそれらができなくなるというのはおかしい。
 多くの入会地では住民が芝刈りや薪の採取をしており、明治になってそれらが国有林になり、国が雑木の伐採を禁止しための紛争が全国で多発した。紛争化したのは木の伐採であり、山菜取りや狩猟のために山の中を歩き、野宿をすることは黙認された。
 そのような慣行をヨーロッパでは法的な権利として法律で認めている国が少なくない。ドイツでは、連邦や州の森林法で、公有、私有を問わず、誰でも森林を自由に利用できることを認めている。果の採取もできる。さすが、アウトドア大国だ。
 しかし、日本ではそれがないので、アウトドア活動をしにくい。

                 


2021年4月24日
「登山者のための法律入門」に関する読者の疑問
 「登山者のための法律入門」(山と渓谷社)に関して、読者から、「日本で登山が無法状態にあるとして、それに対してどうすべきかという回答がない」という読者からの疑問が寄せられる。
 私は、この本では、「土地所有者の意思を推測して行動する」、「マナーを守る」ことが必要だと書いた。これでは納得できないのだろう。
 日本ではアウトドア活動は目立つと叩かれやすいので、目立たないように行動することが必要だ。また、法律でアウトドア活動を保障する必要がある。これは本に書いていないが、言外に読み取れるはずだ。そのような世論形成のためにこの本を書いた。

 「どうしたらよいか」という質問に対し、「法律が必要である」と回答すると、それを「回答」と感じない人が多い。
 質問者は、「どうやったらうまくいくか」と考えており、それに対し、「法律が必要である」と回答することは、「できない」というのと同じであり、それは「回答がない」と感じる。回答=解答なのだ。
 自然へのアクセスは法律によって解決すべき問題だ。それまでは、「目立たないように行動する」ことしかない。言いかえれば、こっそりと行動するということ。

 
2021年4月20日
「山岳地帯へのアクセスの制限の問題」、日本山岳文化学会論集19号、2022年3月
日本山岳文化学会の論集の原稿を送った。いわゆる「アクセス問題」を扱った。クライミングだけでなく、山歩きやアウトドア活動のアクセス問題。
まだ、査読がなされていないが、今までrejectされたことはない。これが論集に掲載されるのは、来年の3月頃だろう。

                  
2021年3月31日
「登山道の管理は誰が行うのか」、日本山岳文化学会論集18号、2021年3月

(概要)
 登山道の整備内容が登山を変える。登山道の整備内容を決定するのは登山道の管理者であるが、日本では登山道の管理者が不明なことが多い。登山道の整備に要する費用と登山道で起きた事故の管理責任に対する不安が、登山道の管理者になることを避ける傾向をもたらしている。しかし、登山道の管理者を明確にしたうえで、管理者が登山道の理念に基づいて管理する必要がある。多様な形態の登山道を認めるならば、整備しない登山道では管理費用はそれほどかからない。その代わりに登山道の危険表示が重要な意味を持つ。また、登山道の管理者が負う管理責任の範囲は、登山道の形態に応じて異なる。登山道の管理者が負う管理責任は重いものではない。

                  
2021年3月29日
「森林の利用と責任」、勉強会講師、芦生もりびと協会
京都府南丹市美山町
京都市からかなり離れているので、車で行った。自宅から車で約6時間かかる。

京都府美山町に京都大学芦生研究林がある。
100年くらい前からの研究林なので、自然が維持されている。
最近、ハイカーが増えて、事故が多いらしい。
その管理やツアーガイドの責任問題について話をした。
午後、研究林の職員に芦生の森を案内してもらった。
森の自然が保護されていることに価値があるが、それだけでなくこの山域は急峻な谷、渓谷美、複雑な尾根、湿原などの魅力がある。しかし、一般のハイカーが入れるのは、この森の限られた区域だけであり、他は、許可を得たガイドツアーでなければ入れない。


 芦生の森

 
2021年3月15日
乗鞍岳雪崩事故
 乗鞍岳で登山者が雪崩事故に遭った。
 以前、乗鞍岳でバックカントリースキーをしたことがある。
 乗鞍岳はなだらかな地形で、山全体がどこでも滑降できる。しかし、逆に言えば、尾根でも雪崩の危険がある。

 1月、2月は雪崩やすいだろう。
 3月は雪が安定しているが、新雪直後は雪崩れやすい。
 「3月は大丈夫」という思い込みがあったのだろう。
 慣れと思い込み・・・・・これが危ない。数年前の那須雪崩事故も思い込みから起きたものだ。

 今回の事故は登山者の事故だが、スキーは斜面を滑降するので、雪崩のリスクはさらに高い。


2021年3月8日
講演「登山道の管理と責任について」
大雪山国立公園連絡協議会、大雪山国立公園フォーラム「登山道の管理と責任について」での講演
オンライン方式
、参加者は40数名
オンラインでの講演はパソコンに向かって独り言をしゃべり続けるような感じがして、やりにくい。


2021年2月22日
八甲田山でのバックカントリースキ―中の雪崩事故
八甲田山には、
@、圧雪されたスキーコース
A、管理されたバックカントリースキーのコース
B、管理されていないバックカントリーのコース
がある。
Bは自己責任だという八甲田山ルールがある。
今回の雪崩死亡事故はBでの事故だ。
八甲田山はバックカントリースキーを禁止していていない。

 A、Bは道迷いや雪崩などの危険のあるコースだが、日本では、危険か安全かという2分法で考える人が多いので、このようなスキー場は世論の非難を受けやすい。
 しかし、欧米ではスキーにリスクがあることが比較的理解されている。
 Bで事故が起きても、スキー場の管理責任は生じない。
 しかし、Aで事故が起きると、スキー場の管理責任が問われる可能性がある。もともと、バックカントリーは管理されず、自然であることに特徴があるが、それを管理すれば、「安全管理されている」と勘違いしやすいからだ。過去にAでも雪崩事故が起きている。標識が完備されているわけではないので、ルートを迷いやすい。
 リスクを承認したうえでアウトドア活動を行うという考え方が日本では、国民の間でも裁判官の間で受け入れられにくい。そのため、リスクを伴うアウトドア活動が発展しにくい。
 この点は、新型コロナのワクチン承認が、日本では欧米よりも遅れた理由になっている。リスクを伴う行動では、日本は常に欧米よりも遅れる。さいわい日本では、新型コロナのワクチン承認が遅れている間に、感染者の爆発的増加がなかったので、運がよかった。
 多少のリスクがあっても、それを早くすべきことがある。地震、火災、津波、洪水、戦争、疾患などの回避では、日本では迅速な対処ができにくい。日本では大胆な挑戦や冒険ができにくい。日本では思い切った改革ができにくい。日本では誰もが失敗のリスクを恐れる。それが裁判所の判断に反映する。

                           


2021年2月7日
バックカントリースキーでの遭難は多いのか
最近、バックカントリースキーでの遭難の報道が多い。

令和元年中の山岳遭難のうち、スキー登山が占める割合は、2.4パーセントであり、多くない。
しかし、山岳遭難はほとんど必ずマスメディアが大きく報道するので、視聴者は「多い」と感じる。
登山をしない人の中に、「自分にとって山岳遭難は、たとえ1件しかなかったとしても、自分にとって多いのだ」と言う人がいる。
この発言は問題の核心をついている。その人は、他人が危険なことをすることが許せないのだ。しかし、そのような人も、自損事故を起こした自動車運転者を非難することはない。たとえ、その人がどんなに無謀な運転をして自損事故を起こしたとしても。

山岳遭難に対する日本特有の非難
日本では山岳遭難は世論から非難される。これは日本特有の現象だ。
釣りや海水浴での事故は非難されない。これは釣りや海水浴をする人の数が多く、これらは危険ではないというイメージがあるからだろう。しかし、釣りや海水浴で事故に遭う人は危険なことをした結果として事故に遭う。
ヨットでの事故も非難されない。かつてヨットで太平洋を単独で横断しようとした堀江堀江健一は世論から激しい非難を受けたが、現在は、ヨットでの太平洋横断は非難されない。これは日本の世論がヨットに慣れたからだろう。
日本では、多くの者がしないことをして事故を起こすと自己責任であるとして非難される。

登山者が遭難すれば税金から救助費用が支出される点を問題にする人が多い。しかし、その点はその人と直接の関わりがない。救助費用の支出がなされなければ自分が恩恵を受けるという関係にはない。また、救助費用は、海難事故や自動車事故、列車事故などでも税金から支出されており、山岳事故だけを特別扱いしている。山岳遭難に支出される救助費用は海難事故で支出される費用に較べれば少ない。

山岳遭難を非難する人は、他者の行動との関係の中で生きている人だ。自分の行動を他人との比較や他人からの評価で位置付ける人が多いのではなかろうか。自分の行動を他人からの評価で決める人は、他人の行動も自分が評価したがる。自分が行わない登山を他人がすることが気に入らないのだ。
海水浴や釣りなどは多くの人が行うので、海水浴や釣りの事故を許せるのだろう。

ハイキングは多くの人が行うので許せるが、冬山登山やバックカントリースキーは限られた者しか行わないので、許せないのだろう。
ハイキングでもバックカントリースキーでも道迷いをして遭難をすれば同じことだが、前者は非難しないが、後者は非難するという人が少なくない。そこでは、それを行う人が多いか少ないかという違いがある。
登山者人口は800万人と言われ、決して少なくないのだが、冬山登山やバックカントリースキーをする人は多くない。それで叩かれるのだ。
少数者は叩かれる。出る杭は打たれる。これは、日本が画一的な横並び社会だからだ。

その国の文化度を測るメルクマールとして、社会的少数派の行動が尊重されるかどうかという点がある。日本は、社会的少数派の行動が尊重されにくい国だ。

日本には、常に他人の行動を監視し、自分と比較する人が多い。最近、「自粛警察」、「職布マスク警察」が現れていることも、関係があるだろう。営業自粛は行政指導であって強制力がないので、それを強要することはできない。そこで、嫌がらせをすることで強要するのだが、それは違法である。

他方、欧米では山岳遭難は同情の対象であり、非難されることが少ない。その点では、自動車の自損事故と同じである。欧米では、「事故に遭った不幸な人を、なぜ非難するのか」と、逆に質問を受けそうだ。
他人が危険な登山をしたとしても、それはその人がしたかったからだろう。行動する前であれば、その人に意見を言うことがあるが、起きてしまったことは仕方がない。「自分が他人の行動を支配できるわけではない。その人の行動を支配するのはその人だけだ」というJ・S・ミルの自己決定の考え方があるのではなかろうか。

バックカントリースキーを禁止できるか
バックカントリースキーは法的には禁止されていない。
「バックカントリースキーを法律で禁止しろ」という人がいるが、特定のエリアを限ってそのような条例を制定することは可能だが、一般的に禁止するのは無理である。剣岳や谷川岳の登山条例のように、エリアを限って制限することは可能だ(憲法違反だという意見はあるが)。

救助費用の有料化
「バックカントリースキーの遭難者の救助活動を有料にしろ」という意見がある。一定のエリアを限って有料にできないことはない。埼玉県の相貌ヘリの有料化のように。ただし、この条例は問題が多い。山岳遭難者の救助活動をすべて有料にするのは無理だ。街中の救助活動が無料であり、山岳とそうではない地域の区別が難しいからだ。