2025年 溝手康史
2025年4月19日
ロマンス詐欺
フェイスブックの利用者に対する詐欺があるようだ。
男性には美人の女性、女性にはハンサムな男性からの友達リクエストが来る。外国の整形外科医、実業家などを名乗るケースが多いようだ。SNSで親しくなり、最後は、必ず、金の話が出る。
SNSでは、写真、氏名、経歴の偽装が簡単にできる。フェイスブックに多くの写真(盗用した写真)が掲載されていても、投稿の中身がなければ怪しい。例えば、自称整形外科医なのに医学的な投稿がまったくないなど。
以前、私は、多くの人に、「いくら騙されても、金さえ渡さなければよい」と話していたが、それではダメだということがわかった。最初に少しでも騙されると、それが簡単にエスカレートするのだ。
少しでも怪しい場合には、他人に相談することが必要だが、騙されて金を送金した後に初めて他人に相談する人が多い。不安、動揺、あせり、自分の失敗を人に知られたくない心理、恋愛感情などの人間の心理が他人への相談を妨げる。その手口の巧妙さは感心するほどだ。
国家が国民を騙すこともある。ヒトラーは「わが闘争」という本の中で、「国民は小さな嘘には騙されにくいが、想像を超える大きな嘘には簡単に騙される」という趣旨のことを書いた。国家レベルの詐欺は珍しくない。国民は、まさか国や大統領が国民を騙すとは夢にも思わないのだ。
日本は資格大国であり、役に立たない民間資格や国家資格が多い。資格を乱発することで国民に金を使わせ、もうけることができる。これは一種の資格商法であり、詐欺的だ。
クラウドファンディングも問題がある。キリマンジャロに登ることを「冒険」と称して、その費用をクラウドファンディングで集めたケース(これは冒険ではない)、ヒマラヤ登山の費用をクラウドファンディングで集めたケースなどは、あまりにも安易な金集めだ。昔から、ヒマラヤ登山などで限られた範囲の企業や個人からカンパをもらっていたが、クラウドファンディングは面識のない大衆から金を集めるので、トラブルが生じやすい。故栗城史多氏のクラウドファンディングでも、「騙された」、「金を返せ」などの苦情が生じた。クラウドファンディングを利用した明らかな詐欺事件もある。クラウドファンディングでは、理念、使途、資金管理、会計報告、明朗性が重要だ。
ハイキングと登山の違い
登山とハイキングの違い
ハイキングと登山はどう違うのですかという質問を受けることが多い。
日本語のハイキングという言葉の意味はあいまいだ。裁判所の判決文の中で、川原での子供会の水遊びをハイキングと書いた裁判官がいる。奥多摩や丹沢での山歩きを「ハイキング」と記載するガイドブックがあるが、奥多摩や丹沢の登山道には危険個所があり、転落や道迷い遭難が多い。
一般に、ハイキングは安全で誰でもできるというイメージを与えるが、そのようなコースでも危険個所があることが多い。2018年に新潟県の五頭山で親子が遭難したケースでは、遭難したコースは、地元の観光パンフレットにハイキングコースとして紹介されていた。そのパンフレットを見て、小さな子供連れでも登れると考えた可能性がある。
自治体や観光協会は、利用者を増やそうとして、パンフレットなどに「ハイキングコース」と記載する。しかし、観光は経済効果をもたらすが、登山がもたらすものは、経済効果ではなく事故のリスクである。登山に経済効果を期待することが、環境破壊や自然のオーバーユース、事故の増加などの多くの問題をもたらしている。
ハイキングという言葉の濫用は事故につながりやすい。この点を自治体、観光協会、出版社などは自覚する必要がある。ハイキングの言葉は、事故の危険性の低い山歩きに限って使用すべきだ。尾瀬の木道歩きはハイキングだが、奥多摩や丹沢での山歩きはハイキングではない。上高地では、バスターミナルから横尾までがハイキングの対象だ。1980年に吊り橋事故が起きた大杉谷の歩道について、裁判所は判決文にハイキングコースと書いたが、断崖や鎖場を登ることはハイキングではない。日本の多くの山は山頂付近が急峻であり、これはハイキングの対象ではない。山頂をめざすことなく山麓を歩く場合はハイキングの対象になる。
事故を減らすうえで、ハイキングという言葉の使用範囲を限定することが必要だ。
コンプライアンス
最近、会社、役所、団体などで、やたらとコンプライアンスという言葉が使われる。
コンプライアンス(法令遵守)は、本来、先進国では当たり前のことだが、日本の社会は、法律ではなく、世論と役所の指導(行政指導)で動くことが多い。日本のコロナ対策は、基本的に法律ではなく、世論と役所の行政指導で行われた。日本では法律と無関係のルール遵守だったのだ。
会社、役所、団体などでコンプライアンスが叫ばれるのは、日本の社会が法律で動いていないからだ。
他方で、夫婦、家族、近隣、学校などでは、コンプライアンスを言うと、たいてい嫌われる。「家庭に法律はいらない」、「教育の場に法律を持ち込むことは、教育の失敗だ」と言う人がいる。しかし、もともと、夫婦、家庭、学校は法律に基づいて成り立っている。
登山の世界でも、法律の介入を嫌う人が多い。法律が登山の邪魔をするというイメージがあるからだ。歴史的には、法律がそのような役割を果たしたことは事実だ。今でも、日本では、法律は登山を制限することが多い。
しかし、もともと憲法や法律がなければ登山はできないのであり、江戸時代はそうだった。現在も、登山は法律的にあいまいであり、その結果、世論から叩かれると登山ができなくなることが多い。役所の拘束力のない指導にもさからいにくい。法律で、できることとできないことを明確にすることが必要だ。
もともと、法律が規律する領域は限られる。法律は、個人の自由の領域には介入できないが、日本では個人の「私的領域」があいまいなため、コンプライアンスの重視が管理の強化につながりやすい。
学校、大学、会社、役所などで管理が強化され、役人や管理職が無駄な管理業務に追われ、その分、生産性が悪くなる。これはコンプライアンスの無理解と責任回避傾向に原因がある。
紛争の多くが人間関係から生じるが、法律は人間関係に介入できない。それは個人の「私的領域」だからだ。しかし、最近、人間関係を法律で解決しようとする人が多い。法律の力で夫婦関係が円満になるはずがない。
会社でも、夫婦でも、登山でも、法律が規律する領域と個人の自由の領域の区別が明確であることが、コンプライアンスの前提になる。
落雷事故
奈良市で中学校の部活動中にグラウンドに落雷があり、2人が重体になっている。
1996年に高槻市で高校の部活動としてのサッカーの試合中に起きた落雷事故では、裁判で学校等の損害賠償責任が認められた。最高裁は、雷雲や雷鳴があれば、落雷事故の具体的予見が可能だと述べている。雷雲や雷鳴があったとしても落雷の確率は低く、さらに、特定の場所にいる特定人が被雷する確率は限りなく低い。しかし、それでも、最高裁が落雷事故の予見可能性を認めたのは、最高裁が、「学校の活動は安全でなければならない」という法的な価値判断をしたからだ。
近年、甲子園の野球大会では、試合中に雷雲等があれば、試合を中断している。
今回の事故では、落雷事故の予見可能性の有無はわからない。
実際には、漠然と落雷の危険性を感じることはあっても、現実に落雷事故が起きることを予測することは難しい。それでも学校の活動では、あと知恵の理屈で重い注意義務が課されることが多い。
1967年に西穂高岳付近で高校の学校登山中に生徒ら11人が亡くなった事故が有名だが、これは裁判になっていない。これは55人の集団登山だったので、明らかにまずかった。
夏の高山ではほぼ毎日落雷注意報が出る。高山では落雷のリスクが常にあるので、ある程度のリスクを承認しなければ登山ができない。熱中症のリスクも同じだ。それを学校の保護者が受け入れるかどうか。
JMSCA役員選考委員会
JMSCA(日本山岳スポーツクライミング協会)の役員選考委会があり、東京を往復した。その他に、私は、JMSCAのガバナンス委員会、UIAA委員会などにも属している。
JMSCAでは、若干名の有給職員を除き、ほとんどの関係者が、ボランティア活動、または、若干の費用が支給されるボランティア的活動をしている。JMSCAはオリンピックのクライミング競技を運営しており、日本のオリンピックへの参加や各種のスポーツイベントは、基本的にボランティアが支えている。
私は、国立登山研修所の専門調査委員もしているが、これは日当が支給されるので、ボランティア活動ではない。しかし、報酬額が低いので「ボランティア的」な活動である。国立登山研修所の活動に多くの山岳ガイドが関与しているが、報酬額が低く、「ボランティア的」な仕事になっている。
専門家の活動では、仕事とボランティア活動の区別が重要だ。JMSCAなどでボランティア的活動が多いのは、団体に金がないからである。多くのスポーツ団体に金がないので、関係者のボランティアが支えている。
他方、国や自治体などは、金がないわけではないので、これに関与する専門家に相応の報酬支払が可能、必要だ。しかし、実態は、国や自治体は、専門家のボランティア的な協力を活用し、支出を抑えようとする。その典型が、学校の部活動の顧問であり、教師の残業タダ働きを利用して支出を抑えている。これはボランティア活動の「悪用」に他ならない。これでは教師のなり手が少ないのも当然だ。
弁護士についても、国や自治体は、「ボランティア的な仕事」として報酬を低く抑え、時には、「これはボランティアでやってください」などと、露骨に無報酬での仕事を要求することもある。
学校の登山部の指導を外部指導者に委託しようとしても、報酬が安ければ山岳ガイドは簡単には引き受けられない。生活と責任がかかっているからだ。学校の部活動の指導は学校の業務の一部であってボランティア活動の対象ではない。仕事では、相応の報酬支払が必要だ。
非営利の山岳活動に関わる医師、看護師、山岳ガイド、教師などの専門家は多いが、その中に弁護士は少ない。多くの団体でコンプライアンスが問題になっており、法律家の需要が大きいのだが、弁護士の営利的傾向がそれを妨げる。特に、最近は、弁護士の数が増えて競争が激しいので、弁護士の業界に、「(金のある)顧客獲得につながらないことはしない」傾向が強い。
雑誌「日経トレンディ」2025年5月号
雑誌「日経トレンディ」2025年5月号に、「親切すぎる登山 最新入門」という特集記事がある。その中の山岳捜索・救助費用について、少し前に記者から電話で簡単な取材があり、私の説明も少し引用されている。
この記事は、登山に関するさまざまな情報が記述されているが、「知識なし 体力なし 専用ギアなしでも明日から行けるように!」との見出しや、登山アプリを使えば、「地図いらず、で登れる」などと記載し、気軽に登山ができることを強調している。これは「安易な登山」になりかねない。
記事の後半は、一転して、遭難すると高額な捜索救助費用がかかることを強調し、1日に最大200万円かかると書いてある。しかし、通常はそんなにはかからないだろう(公的救助費用は、埼玉県を除き、無料)。
記事の中に、道迷いや疲労で動けなくなった場合は、山岳保険から支払いがないケースがほとんどだとの記述がある。問題になるのは「救援者費用保障特約」の適用範囲だが、山岳遭難の中で道迷いがもっとも多いので、これを対象外とする保険は山岳保険と呼べないだろう。JMSCAの山岳共済も、山岳保険の支給対象となる遭難は、「生死に関わる危険に遭遇し、自力での帰還が不可能になった状態」とされ、これは道迷い等を含む。
登山道のグレーディング
登山道のグレーディングの指標として、技術度、難易度、体力度などがあげられることが多い。
しかし、体力度は、荷物の重量や1日の歩行時間によって変わるので、客観性がない。荷物の重量や、1日の歩行時間を4時間とするか10時間とするかで体力度が異なる。スイスやニュージーランドなどの登山道の分類では、体力度を表示することはない。体力度の表示は、コースタイムと同じく、日帰り、小屋泊の登山者向けの情報だが、登山道の分類とは別の事柄だ。
アメリカで長年、ロングトレイルを歩いた経験のある勝俣隆氏(トレイルブレイズハイキング研究所専務理事)の説明では、アメリカのトレイルはだいたい7種類あるが、体力度は分類の指標になっていない。同氏らのユーチューブ配信あり。雲ノ平山荘でのトークセッション:「アメリカで体験した0歳のハイキングトレイルと100歳のハイキングトレイル」& Outdoor Ethic(2023)。
また、アメリカやスイスなどでは、危険度が登山道分類の指標になっているが、日本では登山道の危険度の表示をしない傾向がある。難易度と危険度は異なる。「安全性=危険性の程度」であり、事故を防止する観点から、登山道の危険度の表示は重要だ。
登山道などに自己責任の記載のある看板がけっこうあり、山岳事故が起きる度に、ネット上に自己責任の言葉が飛び交う。
しかし、欧米では、自己責任という言葉はあまり使われない。
自己責任は、自由が保障され、自律的に行動することが前提だが、同調圧力が強く、義務的行動を重視する日本では、もともと自己責任の前提が稀薄だ。
日本では、自己責任は、他人の行動を非難する場合に使われることが多い。山岳事故はその典型だ。
また、自己責任は、責任回避の手段や、事故を防止するためにも使われる。「自己責任なので、事故を起こさないように注意してください。事故が起きても管理者は責任を負いません」という意味で使用される。
日本では「責任」という言葉に非難の意味が強く、この意味では、「責任」が嫌われ、「無責任」が安心をもたらしやすい。
しかし、「責任ある行動」という時、そこでいう責任は、注意義務、倫理、道徳などを含み、非難の意味はない。この意味の責任を自覚することは大切なことだ。
日本の社会は、法律ではなく世論で動く傾向が強く、「世論からの非難」に対する不安が強いので、行動が世論に左右されやすい。これは「責任ある行動」にはほど遠い。
日本と欧米のリーダー像の違い
「タテ社会の人間関係」(中根千枝、講談社、1967)の中に、日本の組織ではリーダーの役割は参加者の和を維持する点が指摘されている。他方、欧米では、リーダーシップを発揮するリーダー像だと述べられている。この点は、現在でも変わらないとのこと(「タテ社会と現代日本」、中根千枝、講談社、2019)。
登山で言えば、日本山岳スポーツクライミング協会(JMSCA)が、夏山リーダー資格を国際山岳連盟(UIAA)の資格に準拠させようとした時、日本と欧米のリーダー像の違いが問題になった。
UIAAのリーダー資格では、リーダーがリーダーシップを発揮し、リーダーが参加者の安全を守る。そのためリーダーに簡単なロープ技術を要求する。
しかし、従前の日本の夏山リーダー資格は取りまとめ型のリーダーであり、ロープ技術を含まなかった。そのため、JMSCAは、UIAAに準拠して、新たに上級夏山リーダー資格を作り、簡単なロープ技術が必要な資格にした。
政治、経済の場面でも、日本では、取りまとめ型、調整型のリーダーが多い。
このリーダー像の違いは、興味深い。中根氏は、日本と欧米の社会構造の違いを指摘している。日本では個人間のヨコの関係が希薄なので、リーダーが個人間の人間関係に介入して調整する。雇用主や役所が個人の私的な領域にまで干渉するのも同じか。
法的な注意義務は、法律の要件に基づくので、欧米型のリーダーが法的責任が生じやすいということではない。山岳会などでは原則としてリーダーは参加者の法的な安全確保義務を負わない(ただし、道義的には、リーダーは初心者の安全に配慮すべきだろう)。
二子山でのクライミング事故裁判について
2022年に二子山(1166m、埼玉県)の岩場でボルトが抜けてクライマーが滑落し、骨折する事故が起きた。
2023年9月に、事故の被害者が、地元のクライミング協会(社団法人)と自治体を相手に165万円の損害賠償請求をする裁判を起こした。2024年11月に裁判が結審したとの情報があるが、詳細は不明。裁判が起された時、マスコミの取材を受けてコメントした記憶があるが、その内容は忘れた。
一般論としては、自然の岩場の利用は自己責任が原則であり、欧米ではこのような裁判はないだろう。この裁判の背景に、自治体の関わり方の問題や感情的な問題もあるようだ。
自治体が公の施設として岩場や支点を安全管理していたのかどうかが問題になるが、もともと自然の中でのクライミングは危険なものであり、「町おこし」の対象になるようなものではない。人工壁とは異なる。
請求額も少ないので、裁判所が話し合いによる解決を図る「和解」を勧める可能性もある。
2019年に起きた富士山での落石死亡事故について、2024年に、国、県、神社を被告とする損害賠償請求訴訟が起こされた(現在、訴訟中)。
これは、山梨県が登山道の一部を有料化する前の事故だが、有料化を含めて登山道の安全管理を強化すれば、「安全な登山道」のイメージが生じ、事故が起きると紛争が生じやすくなる。安全化すれば、「事故が起きるのはおかしい」と考えやすい。登山道は、登山道にふさわしい管理、利用者が危険性を了解しやすい管理が必要だ。それが遊歩道との違い。
事故を防ぐために至れり尽くせりのサービスをすると、かえって初心者が増えて事故が増える面がある。
また、渋滞すれば落石事故が起きやすい。富士山や穂高などでのの渋滞をなくするには、入山者数の制限をする必要がある。
2025年4月9日
「大雪山国立公園愛別岳滑落事故訴訟について」
国立公園832号、自然公園財団、2025年4月号
この裁判では、一般の登山道とバリエーションルートとの分岐点に設置された標識の不備などに関して、登山道の管理責任が争われたが、責任が否定された。判例集未搭載。裁判所の考え方がよくわかる判決文。
2025年4月4日
日経トレンディ、2025年5月号、「親切すぎる登山」
「親切すぎる登山」という特集がくまれ、その中で、山岳遭難の捜索、救助費用に関して取材を受けた内容が記載されている。
しかし、電話での取材であり、私が話した内容の一部が引用され、趣旨が十分に記事に反映されているわけではない。
また、山岳保健では、道迷いの捜索、救助費用が出ない場合が多いといの記述があるが、疑問がある。少なくとも、日本山岳スポーツクライミング協会の山岳共済保険では、急激・偶然の事故以外に、「緊急な捜索・救助活動を要する状態」になった場合が支給対象になっており、道迷いにより行動不能となり、警察に救助要請をした場合は支給対象になる。
2025年3月日
フェイスブック
フェイスブックを始めた。
世の中にこういう便利なものがあることを初めて知った。他の人よりも20年くらい遅れているのかも。
2025年3月20日
リーダーの法的責任
日本山岳スポーツクライミング協会、夏山上級リーダー講習会、オンライン
2025年3月7日
日本山岳・スポーツクライミング協会、ガバナンス委員会
日本山岳スポーツクライミング協会(JMSCA)のガバナンス委員会が、21時から開催される。
私はオンラインで参加する。
夜の開催となったのは、その時間帯しか関係者の都合がつかなかったからである。
私は、JMSCAの夏山リーダー講習専門委員、役員選考委員、ガバナンス委員になっている。
日本では、あらゆる団体で会議と報告書が多い。JMSCAも会議が多い。役員の中にはほぼ毎日会議をしている人もいるようだ。
JMSCAは公益社団法人であり、一部の専従職員を除き、役員は無報酬であり、これらはボランティア活動ないしボランティア活動的な活動だ。
ただし、交通費などの実費が支給されるので、有償である。無報酬、有償ということ。
JMSCA主催の講習会の講師には、低額の謝礼が出るので、これは報酬である。
JMSCAに限らず、ほとんどのスポーツ関連団体の役員は、ボランティア活動ないしボランティア活動的な活動をしている。
全国的な組織は、役員に交通費などの経費の支払をするが、地方の組織は経費の支払いはなく、たいてい手弁当である。
このようなボランティア活動で、国体、スポーツイベント、オリンピックなどが実施されている。
これらのボランティア活動は、義務ではないので、「嫌ならしない」が原則だが、国体やオリンピックなどを実施しないわけにいかないので、これらの世話をすることは、義務的ボランティア活動になる。ボランティア活動が義務的になる場合は、社会奉仕活動と呼んだ方がよい。
弁護士会の委員会は、無報酬だが、交通費が出るので、有償、無報酬の活動だ。
これも、義務的な傾向がある。
私は、5つくらいの弁護士会の委員会に所属しているはずだが、時間がないので、何もしていない。
自治体や国が設置する第三者委員会の委員、情報公開審査会委員などの各種委員、自治体での相談、講演などは、弁護士の仕事であって、ボランティア活動ではない。
しかし、自治体や国は、これらを弁護士にボランティアとして依頼する傾向がある。その方が安上がりだからである。.
自治体関係の各種委員仕事の報酬額は1日1万円程度であり、ボランティア的な仕事になっている。
自治体は「金がない」というのが口癖で、無意味な事業を実施して多額の無駄遣いをするので、弁護士の報酬をケチる。
自治体主催の講習会でも、遠方に1泊2日で講師をしても、講習時間が4時間程度あれば、報酬は2万円程度である。これもボランティア的仕事と言ってよい。
国までも、自治体にならって、弁護士に支払う報酬をケチることが多い。
ボランティア活動と仕事の区別がなければ、弁護士の職業が成り立たない。
しばしば、第三者委員会の活動が世論から叩かれ、第三者委員会の委員が多額の報酬を税金からもらっていると思い込む人が多いが、ネットで誹謗中傷するのは、自分ではボランティア活動をすることがない人たちであり、「他人は多額の金を得ている」と思い込みやすい。しかし、世の中には、善意に基づいて金にならない活動をする人は多い。
以前、私は、30くらいの団体の役員や委員をしていたことがある。それらはすべてボランティア活動ないしボランティア活動的活動である。
それらを整理し、かなり減らした。
「〇〇した方がよい」と考えれば、ボランティア的な組織や活動、会議が際限なく増える。
弁護士会は、「〇〇した方がよい」と考えて委員会を増やしたので、日弁連には50くらいの委員会があり、毎日、多くの会議を実施している。
それらは必要性に基づいて行われているが、その経費を捻出するために、弁護士会の会費はどこでも月額5万円以上になっている(各地の弁護士会によって異なる)。日本の弁護士会費は世界一高額だ。それが、弁護士会の多くの活動を経費的に支えているが、同時に、弁護士のボランティア活動の大きな障害になっている。弁護士の仕事をほとんどしない「ボランティア弁護士」にとって、高額な弁護士会費は、弁護士登録することの妨げになる。
義務的ボランティア活動をしていると、それだけで人生の時間が終わりかねない。また、ボランティア活動で過労死しかねない。
それをライフワークと考える人はそれが本望かもしれないが、そうではない人は、ボランティア活動に優先順位をつけること、トリアージが必要だ。
「〇〇した方がよい」ではなく、「何をすべきか」が重要なのだ。そのためには、「〇〇した方がよい」ことであっても、「それをしない」ことが必要になる。
2025年3月3日
「登山道の法律Q&A 登山道に関して生じる法律問題の解説」
デザインエッグ発行
82頁
1210円
2025年3月3日発行
登山道があるのが当たり前だと思っている人が多いが、登山道について知らないことが多い。登山道は誰が設置、管理、整備しているのか。登山道の欠陥のために事故が起きた場合に誰に責任が生じるのか。登山道以外の場所を歩いてもよいのか。犬連れ登山ができるのか。登山道に関する要望は誰に言えばよいのか。本書は、登山道に関して生じるさまざまな疑問について、登山の法律問題に詳しい弁護士が33の質問と回答形式で書いている。

2025年1月
安芸高田市に対する国家賠償請求訴訟
2023年に安芸高田市に対し、国家賠償請求の裁判を起こした。
これは、安芸高田市に戸籍謄本等の請求を行ったところ、交付請求書記載のものと異なる謄本が交付されたことについて、市の窓口担当者の義務違反を理由とする損害賠償請求である。
当時は石丸市長だった。
私は市に「対し、なぜこのような書類の交付になったのかという説明を求めたが、市はまともに回答しなかった。
そのため、やむを得ず、提訴した。
当初、三次簡易裁判所に提訴したが、職権で、広島地裁三次支部に移送され、さらにそこから、広島地裁本庁に移送され合議事件に付された。
裁判所から見れば、3人の裁判官が担当しなければならない大事件だったようだ。
裁判の中で、安芸高田市の戸籍の窓口業務を民間委託し、民間人が戸籍謄本の交付事務を行っていることが判明し、驚いた。
戸籍という住民のプライバシーに関わる業務を民間人が行っていることを、ほとんどの市民は知らない。この是非を議論すべきだ。
2025年1月に、裁判所の勧告に基づいて和解した。和解内容は、市は、今後、適切に事務処理を行うといった趣旨の内容だ。
2025年1月22日
霧島山の自然の保護と利用に関するセミナー・ワークショップ
主催 環境省九州地方環境事務所、霧島錦江湾国立公園管理事務所
場所 えびの市
「登山道の管理と事故の責任」について講演した。
