弁護過疎と法律扶助
    
                      
弁護過疎と法律扶助(青年法律家426号,2006)                                      弁護士  溝手 康史
  

1、弁護過疎の実態
 私が開業している広島地裁三次支部は、広島県の北部の山間部や農村地域を管轄しており、管内の人口は約13万人、管内の弁護士は2名であり、「弁護士過疎地」とされている。私がこの地で開業したのは10年前であり、当時は公設事務所というものはまだ日本に存在しなかった。
 現在の仕事の内容は、事務所の内外で扱う相談は年間約500件、そのほとんどがクレサラ事件であり、法律扶助相談は年間約80件、受任する法律扶助事件は約50〜60件、当番弁護士としての出動は年間約30件、国選事件は約20件であり、全国の公設事務所とほぼ同じ傾向にある。
 この地域は「弁護士過疎地」と言っても弁護士が2名おり、広島市から車で1時間の距離にあるし、法律扶助制度や費用の分割払を活用すれば弁護士への依頼が可能なはずである。しかし、私はこの10年間、この地域で弁護士に相談や依頼ができない人がたくさんいるという「弁護過疎」の実態を見てきた。
 この地域で市民が弁護士に相談や依頼ができない最大の理由は、弁護士が少ないという点ではなく経済的な障害にある。すなわち、所得が法律扶助の基準を超えていても「金のない」人が多く、そういう人は弁護士への相談や依頼を断念する。また、法律扶助の基準を満たす人でも、法律扶助費の返還債務という借金をしてまで弁護士に依頼をしない人が少なくない。弁護士費用を分割払いにしたとしても、分割金を払えない人や、法律扶助費を返還できない人は多い。
 もっとも、破産、債務整理事件については、サラ金に追いつめられた結果、「借金をしてでも」弁護士に依頼する人は多いし、親族間の事件や隣人同士の激しい感情を伴う事件については、激情にかられた結果、金がなくても弁護士に依頼をする人は多い。しかし、これら以外の市民の日常的な法的紛争に関しては、自分の「家計を冷静に考えて」弁護士に依頼しない「賢明な人」が多い。「相談のほとんどがクレサラ事件の相談」ということは、逆に言えば、市民の日常的な法的紛争に関する相談が少ないことを意味する。この点は都会でも当てはまることだが、一般に、弁護士は、市民が「弁護士に相談しない理由」を把握するのは難しい。かくして、日本の司法は、「庶民に関する限り」、心理的、経済的によほど追いつめられない限り利用されることが少なく、市民生活における司法の地位は限りなく低い。これが、日本で庶民や零細企業における法の支配の欠如の大きな原因の一つとなっている。
 このように近くに弁護士がいても弁護士に相談や依頼ができない状況は、「都会型弁護過疎」と呼ぶことができ、これは都会でも弁護士のいる田舎でも共通する問題である。(これに対し、弁護士がいない地域の状況は「過疎地型弁護過疎」と呼ぶことができる)。
 なお、「都会型弁護過疎」の原因としては、経済的理由以外に、事件の内容がストーカー事件、DV事件、煩雑な債務整理事件、ヤミ金が相手の事件、相手方から嫌がらせを受ける可能性のある事件、少額事件などのように弁護士が受任を拒否することによって生じる場合がある。

2、「都会型弁護過疎」の社会的背景
 私がこの地域で普段扱っている事件の依頼者や相談者の多くは、すぐに弁護士費用を用意できない階層の人たちである。統計資料によれば、全国で貯蓄残高が〇円の世帯の割合は、1995年には7・9パーセントだったが、2005年には23・8パーセントに拡大している。仮に、多少の貯蓄があっても、ほとんどの世帯が住宅ローンやクレジットなどの債務の返済に追われていることから、弁護士費用の捻出が困難な世帯が多い。そういう世帯ではたとえ5万円であっても一度に捻出することは困難である。クレジットを利用して分割払いで物を購入する階層の人は、弁護士費用をすぐに支払うことが困難な階層だと言ってよい。
「弁護士の敷居が高い」と言われるが、私の経験では、庶民に関する限り、弁護士の敷居は「弁護士に依頼すると金がかかる」という点にある。そして、それは現実には「敷居」ではなく「障壁」になっている。都会でも田舎でも、費用的に弁護士に依頼できない階層の人にとって、弁護士の数がどんなに増えても弁護士に依頼できないことに変わりがない。「都会型弁護過疎」の原因は富の偏在にある。
 この点は、田舎でも都会でも共通する問題であるが、企業や裕福な階層は都会に集中し、それらがこれまでの弁護士の主たる顧客層だったことから、都会ではわかりにくく田舎ではわかりやすいという違いがあるに過ぎない。都会と田舎の所得格差の実態は、都会に住んでいる人にはなかなか実感できないのだが、僅か1、2万円の交渉費用や経費を用意できないために、弁護士への依頼を断念する人が現実にいる。 
 弁護士費用をすぐに用意できる階層の市民は田舎では少なく都会では多いという富の偏在、及び、その地域の経済的活動の規模の違いが、都会に弁護士が集中する大きな要因となっている。最近、弁護士の数が急増しているが、そのほとんどが東京、大阪近辺に集中するのは、富の偏在の結果である。
 自由競争の社会は格差のあることを前提とし、かつては「金がない者が弁護士に依頼できない」ことが当然とされていたが、医療や司法については富による格差があってはならない。憲法が保障する裁判を受ける権利は人権の重要な内容をなし、裕福な階層の市民だけを弁護士の業務の対象とすることは正義に反する。

3、法律扶助の問題
以上のような経済的な障害を解決する制度として、法律扶助制度(今後は、その多くが司法支援センターに承継される)があるが、以下のような問題がある。
@、扶助基準の問題
 「無料で相談をしたいのですが」と言って事務所に何度も電話をかけてきて、法律扶助基準を何度も確認した挙げ句、世帯収入が扶助基準を超えているために法律事務所に来ること自体を断念する「正直な人」が田舎には多い。
依頼者が費用を払えないために「結果的に」無償で相談や交渉をしてしまうことは多いのだが、ボランティアでは弁護士の業務の正常な発展はありえない。
A、法律扶助費の償還という借金
 法律扶助の対象となる破産事件は生活保護と同等レベルの生活水準にある人たちであるにもかかわらず扶助費の償還を命じるという点は、日本の法曹の人権感覚が疑われても仕方がない。長年その状態に慣れてしまえば人権感覚は麻痺する。
 特定調停の申立に法律扶助を利用せず自分で申立をする債務者がほとんどであるが、これは多額の負債に加えて、法律扶助費の償還義務を負うことが重い負担となるからである。 その結果、一部の消費者団体は、「法律扶助を利用すると金がかかる」として、弁護士に依頼せずに自分で破産申立をしたり債務整理をすることを熱心に指導している。法律の専門家でない者が指導しているという重大な問題よりも、「タダ」で指導を受けられるという魅力の方が上回っているが、これは「金のない者は弁護士に依頼することができない日本の現実」があるからであり、「市民の貧困」ではなく「司法の貧困」に原因がある。
B、法律扶助申請手続の問題
 日本の零細企業における労働基準は事実上無法状態にあるので(これらが弁護士に相談されることはほとんどない)、法律扶助の審査のために仕事を休むことができず法律扶助の審査を受けられない人が多い。
C、法律扶助費の額の問題 
 法律扶助費の額が労力に対応していないために、現状では、法律扶助事件は弁護士の「本来業務」になりにくい。

4、権利としての法律扶助
裁判を受ける権利を実現するためには、法律扶助は、平均的な所得層(クレジットを利用して分割払いで物を購入する階層)まで対象とすべきである。そして、低所得層の市民(現在の法律扶助の対象の階層)については、扶助費の償還を免除すべきである。
現在進行中の司法改革が、法律扶助の「具体的な拡充の計画がない」ままに、法曹人口を「具体的に増やす」ことを決定したことは、庶民レベルの弁護過疎を放置したまま、弁護士市場を企業や裕福な階層の買い手市場にすることを意味する。弁護士がこのまま増えて将来弁護士が過剰になったとしても、庶民にとっては弁護過疎が続く。現状では、弁護士の過剰と弁護過疎は矛盾しない。弁護士が増えれば弁護過疎が解消できると考えるのは、都会の部屋の中で考えた机上の理屈でしかない。 
 政治は税金の使い方であるとも言えるが、大企業を中心とした経済界は庶民レベルの弁護過疎に関心がないことが、現在の貧弱な日本の法律扶助制度に反映している。のみならず、弁護士の「業界」の中でも法律扶助事件に対する関心が低いことや、多くの市民も司法との関わりが低いので法律扶助に対する関心が低いことも影響をしている。
 現在の日本の法律扶助制度は「恩恵としての法律扶助」であるが、裁判を受ける権利を実現するためには、「権利としての法律扶助」を実現する必要がある。「権利としての法律扶助」のもとでは、法律扶助事件は「弁護士の本来業務」の一つになるはずである。
 法律扶助制度の今後の動向は、司法改革が大企業や裕福な階層のためのものか、庶民のためのものかという試金石である。