弁護士の増加と司法支援制度 
                         
                           「自由法曹団通信」1255号、20007

                                        弁護士 溝手康史

1、弁護士に対する需要の実情
 最近、弁護士の数が急増しているが、@弁護士の需要をどのように考えるべきか、A弁護士の数と司法支援(法律扶助)制度の関係について述べたい。
 私は、広島市内で約9年間、山間部にある人口4万人の三次市(現在は合併して人口6万人)で約11年間弁護士をしてきたが(2007年現在)、以下はあくまでその経験に基づくものである。
 弁護士に対する需要は大きく、弁護士の数は圧倒的に不足しているという意見があるが、潜在的なものを含めて弁護士に対する需要があったとしても、現実に市民が弁護士に依頼できるわけではない。市民が弁護士に依頼できるかどうかは、そのようなシステムがあるかどうかに左右される。
 例えば、零細企業では、労働者が休暇を申し出ると、雇主から「それなら明日から会社に来なくてよい」と言われたり、残業代の未払は日常茶飯事だが、これらが弁護士に相談されることは稀である。毎年、この地域で実施される労働110番などに私も協力しているが、残念ながら相談者はほとんどいない。田舎では「お上」に対する依存心が強いために行政との間の紛争は多いが、弁護士への相談は少なく、弁護士に依頼されることはほとんどない。役所が生活保護の申請の受理を拒否したり、年金の支給額に関する紛争があっても、ほとんど弁護士に相談されない。近隣とのゴミ、汚水、騒音、日照などに関する些細な環境事件や通路や境界などをめぐる近隣トラブルは無数にあるが、ほとんど弁護士に依頼されない。訴額の小さい些細な医療ミスや国賠紛争もあるが、弁護士に依頼されることはほとんどない。消費者関係の紛争では、破産と過払金請求を除き、弁護士費用や裁判費用がネックになって裁判を断念する人は多い。土地の紛争は多いが(田舎では公図や登記簿の地番と現況が違っている地域や境界が不明になっている山林が無数にある)、紛争の解決のために弁護士に相談がなされることは少なく、弁護士に依頼がなされることはもっと少ない。田舎では、会社でも、地域でも、家庭でもおよそ法の支配とは無縁であり、市民もその点をよく理解しているので、最初から弁護士への相談を諦める人が多い。
 他方で、この地域では借金に関する事件は非常に多く、毎日、破産と債務整理事件、過払金請求などの処理に追われている。破産事件などの多さとそれ以外の市民的事件の少なさというアンバランスは異常である。
 以上のように、労働事件、行政事件、医療過誤事件、過労死事件、国賠事件、環境事件などに関する潜在的な弁護士の需要が現実化しない点は、田舎でも都会でも基本的には同じであって、田舎ではその地域の司法の状況が見えやすいが、都会では見えにくいという違いがあるに過ぎない。都会では労働事件や行政事件などがないわけではないが、都会ではこれらの紛争の中の「ほんの一部」が弁護士に依頼されて事件になり、田舎では人口が少ないためにそれがゼロに近くなるのである(日本は同一人口当たりの行政事件の訴訟件数がドイツの700分の一だという事実を見れば、日本の司法の「異常さ」がよくわかる。「人間の尊厳と司法権」316頁、木佐茂男、日本評論社)。
 田舎でも都会でも、弁護士に依頼する市民は、紛争関係者のほんの一部でしかないという厳然たる事実を直視する必要がある。そして、ほとんどの場合、弁護士に依頼しない理由は、「弁護士が足りないから」ではなく、弁護士が近くにいても依頼しない人の方が多いのである。そのような人たちにとって、弁護士の数が多かろうと少なかろうと関係がない。弁護士一人当たりの人口を計算することは、国民一人当たりの国民総生産の金額を計算することと同じく、庶民から見れば意味がない。もちろん、弁護士のいない地域で弁護士が開業すれば市民から歓迎されるが、それは弁護士の総数が増えることとはまったく別の問題である。

2、弁護士に対する需要が現実化しない原因
 市民の司法へのアクセスの障害としては、@経済的な問題、A司法制度の問題、B心理的・社会的な問題がある。Bに関しては、警察官から受けた暴行について司法支援制度(法律扶助)を利用して国賠請求をした事件(請求額150万円)で、「マスコミや勤務先に裁判をしていることを絶対に知られたくない。裁判をしていることが会社にわかると、会社にいられなくなる」という依頼者の言葉が象徴的である。裁判を起こすことに対する市民の心理的・社会的な障害は、@とAの結果、社会的に形成されたものである。
 一般に、紛争や事件の社会的意義を理解する市民はそれほど多くなく、人間は「得か損か」と「感情」に基づいて行動することが多い。些細な土地の紛争、組織的支援を受けない労働事件や行政事件、ゴミ、汚水、騒音などに関する近隣トラブル、訴額の小さい市民的事件などについて、「得か損か」を考えて弁護士に依頼しない人は多い。
 @は、弁護士に依頼するには金がかかるという、それだけの話であるが、ここで述べているのは、10〜20万円レベルの話である。ほとんどの市民が住宅ローンやクレジット債務を抱えているので、法律扶助の対象外の階層は弁護士費用が重い負担となり、法律扶助の対象者のほとんどは償還金の返還が無理な階層である。現在、借金に関する事件が多いのは、サラ金に追いつめられた結果であって、法の支配の次元としては低い。この地域では、弁護士に依頼せずに自分で破産申立や訴訟をすることが「賞賛される」ような風潮があるが、それは、例えるならば、公的な医療保険のない国で、金がないために医者にかからずに自分で病気を治したことが自慢になるようなものである。
 スウェーデンでは国民の80パーセントが法律扶助の対象とされ、フィンランドでは国民の75パーセントが法律扶助の対象とされている(「スウェーデンの新しい法律扶助法」菱木昭八朗・リーガルエイド研究2号70頁、「立替金償還制度をめぐって」大石哲夫・判例タイムズ1186号・75頁)。法律扶助に関しては、(イ)法律扶助の対象の拡大、(ロ)償還免除制の導入、(ハ)扶助額の適正化という問題があるが、扶助額の適正化と弁護士の需要は密接な関係がある。
 ほとんどの国民が法律扶助の恩恵を受けるようになれば、弁護士が扱う事件の多くが法律扶助事件になるが、弁護士が大量の扶助事件を扱うためには、扶助額は事件解決までの労力に比例した金額であることが前提となる。スウェーデンでは法律扶助事件の時間の上限が100時間に設定され(ただし、特別の事情があれば時間が延長される)、法律扶助事件の弁護士報酬が時間単位で計算されている(リーガルエイド研究2号82頁)。適正な弁護士費用の額は、事件の解決に要する労力、すなわち時間数で算定するのが、経済的法則に基づいた合理的な算定方法である。
 私は年間に何十件も法律扶助事件を扱っているが、法律扶助事件のほとんどが破産事件であり、訴訟事件が少ないので対応できている。しかし、労働事件や行政事件など訴額が少なく労力がかかる事件を法律扶助制度を利用して年間に何十件も受任すれば、労力と扶助額が対応していなければ、経済的に成り立たない。扶助制度が、慈善事業ではなく国民の権利として位置づけられるならば、経済的法則を無視するものであってはならない。
 「弁護士に支給する扶助額=本人の償還額」という考え方では、扶助額は本人の償還可能な金額という制限が伴い、労力に応じた扶助額にならない。扶助制度が市民に広く利用されるようにはなるためには、「扶助額=事件解決に必要な費用」、「償還額=本人の資力に応じた金額」、「資力によっては償還免除」とすることが必要である。
 国民の多くが法律扶助の対象になり、扶助額が弁護士の労力に応じたものになることは、法律扶助事件以外の弁護士の報酬制度にも大きな影響をもたらし、弁護士の仕事のスタイルや意識の大幅な変革をもたらす。他方で、市場経済のもとでは、経済的利益に応じた報酬という考え方も合理性を持つので、企業や一部の事件では訴額に応じた弁護士報酬という考え方も必要である。

3、今後の展望
 法律扶助の対象が拡大され、法律扶助事件の弁護士報酬が労力に応じた適正なものになれば、労働事件、行政事件、医療過誤事件、過労死事件、国賠事件、環境事件など時間と労力を要する事件でも市民が法律扶助制度を利用して裁判を起こすことが可能になる。従来、これらの事件は、「特別な弁護士」が担う「特別な事件」として扱われることが多く、弁護士がほとんど無償奉仕をしたり、支援団体が援助することが多かった。法律扶助事件も従来は「特別な事件」として扱われる傾向があった。しかし、これらは、市民の誰もが関係する可能性があるという意味で一般的な市民的事件であり、どんなに些細な事件であっても(大規模な弁護団を組む事件は別として)、誰もが弁護士に依頼しやすいシステムが必要である。労働事件や行政事件、扶助事件などの件数が増えれば、それはもはや「特別な事件」ではなく、弁護士の日常業務の一部になる。
 もちろん、制度の問題だけでなく、前記の市民の側の心理的・社会的な問題や、大量の法律扶助事件を受け入れることができるのかという弁護士の側の問題もあるが(実は、これが大きな阻害要因である)、労働事件や行政事件などを含めて市民の日常的紛争が弁護士に依頼されるようになれば、必要とされる弁護士の数は飛躍的に増える。しかし、現状のままでは、法テラスや公設事務所の設置などで弁護士の需要が多少は増えるとしても、その数は知れている。弁護士の数が増加しても、市民が弁護士に依頼しやすいなシステムがなければ、以前と同じく、弁護士に依頼できるのは一部の企業や市民に限られる。
 司法支援制度のあり方は、弁護士の数に止まらず、労働事件、行政事件、医療過誤事件、過労死事件、国賠事件、環境事件や市民の些細な日常的紛争が弁護士に依頼されずに放置されているという現状が解決できるかどうかに関わる問題である。潜在的に眠っている大量の労働事件、行政事件、消費者事件などに関して裁判が起こされることは、企業や行政を変える力になる。
 日本の司法政策は明治以降一貫して、市民が裁判を起こしやすくすることを妨げてきたが、司法支援制度の拡充は司法に関して消極的な政治に方向転換を迫ることになる(自由法曹団通信1255号、20007年に掲載)。

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