山岳捜索・救助活動の法的責任と萎縮効果   日本山岳文化学会年報17号、2020

          Legal responsibility of Mountain search and rescue activities and Chilling effect

    溝手康史 Yasufumi Mizote 
     弁護士、広島山岳会、日本山岳文化学会遭難分科会 LawyerHiroshima alpine club

キーワード:山岳事故、捜索・救助活動、注意義務、法的責任、萎縮効果

             mountain accident, mountain search and rescue activities, duty of care, legal responsibility, chilling effect

(要約)
  山岳事故の捜索・救助活動に法的な注意義務が生じる。職務行為には職務上の注意義務があり、ボランティア活動でも注意義務が生じる。注意義務の内容は活動の形態に応じて異なる。捜索・救助活動に伴う注意義務や法的責任が捜索・救助活動従事者に大きな萎縮効果をもたらすことが問題になる。有償化が注意義務を重くすることや医師法の医業行為の禁止規定が救助活動を萎縮させやすい。
 山岳事故の捜索・救助活動に従事する公務員は原則として損害賠償責任を負わず(国や自治体が責任を負う)、従事者が事故に遭えば公務災害の対象になる。しかし、山岳捜索・救助活動に従事する民間人にはこのような保障がない。民間人の活動を萎縮させないためには、公務員と共同で行う捜索・救助活動に公務員並みの保障が必要である。
 また、公務員、民間人を問わず、捜索・救助活動に従事する個人の活動を萎縮させないためには、組織が負う責任と個人の責任を区別して考えることが必要である。その場合に、責任を非難から切り離すことが必要である。

はじめに
 日本では山岳事故の捜索・救助活動が警察・消防機関、民間人によって担われている。この場合の民間人は、遭難者の友人、山岳団体関係者、山岳遭難対策協議会のメンバー、山小屋の従業員などである。警察・消防機関の捜索・救助活動は遭難者の生存の可能性のある間に限られ、その期間が過ぎれば捜索が打ち切られる。その後は民間人による捜索・救助活動になる。
 一般に、警察・消防機関の山岳捜索・救助活動は無償であるが、一部の自治体では有償である。民間人の捜索・救助活動は無償の場合と有償の場合がある。なお、有償とは金銭の交付のある場合をさし、交通費などの経費を受け取る場合も有償である。有償の活動の中に、労力の対価として日当、活動費などの報酬を受け取る場合と無報酬の場合がある。
 山岳捜索・救助活動従事者にどのような注意義務が生じるのか、その注意義務は、公務員の場合と民間人の場合で違いがあるのか、有償の場合と無償の場合、報酬を受けとる場合と無報酬の場合で注意義務に違いがあるのかなどの問題がある。
 また、山岳捜索・救助活動に注意義務や責任が伴うことは、捜索・救助活動を萎縮させるのではないか、山岳捜索・救助活動従事者が医療行為を行うことができるのかなど問題もある。
 警察・消防機関、民間人による山岳捜索・救助活動は、必要性に迫られて自発的に誕生した歴史があり、統一的な制度ではない。そのため、地域や自治体によって体制に差があり、地域的格差の問題がある。

1、山岳捜索・救助活動と注意義務
(1)職務上の注意義務
 警察、消防の捜索・救助活動や民間ヘリ会社の活動は職務として行われており、職務に伴う注意義務が生じる。職務上の注意義務はあらゆる職務に関して職務内容に応じて生じる注意義務である1)
 2009年1月に北海道の積丹岳(標高1255メートル)で、警察の救助活動中に遭難者が死亡する事故が起きた2)。裁判所は、山岳遭難・救助活動は警察の責務であり、警察官に遭難者を救助すべき職務上の注意義務があると述べ、自治体の損害賠償責任を認めた3)。 他方で、201312月に富士山で遭難した登山者を消防ヘリで吊上げ作業中に遭難者が落下した事故について、裁判所は自治体の損害賠償責任を否定した4)。裁判所はどのような救助方法を採用するかは救助員の裁量であり、吊り上げ中に遭難者からサイバー・スリング(吊り上げ時に遭難者を固定する用具)が外れた点に注意義務違反はないと述べた。 これらの裁判では、山岳事故の捜索・救助活動を行う自治体に対する裁判を起こした被害者の遺族が世論から非難を受けた。 捜索・救助活動における職務上の注意義務の範囲や注意義務違反の有無は具体的なケースごとに異なる。前記の積丹岳の事故と富士山の事故の裁判のいずれも、救助者に職務上の注意義務のあることを前提にして、注意義務違反の有無が争われた。
 2つの裁判の判決の結論の違いは証拠の違いによる。積丹岳の事故の裁判では、「スリングを用いたハイマツへのストレッチャーの結束が十分でなかったために遭難者を乗せたストレッチャーが落下したという証拠」があった。しかし、富士山の事故の裁判では、「ヘリによる遭難者の吊り上げ作業中に遭難者が落下した原因がサイバー・スリングの結束が不十分だったという証拠」がなかった。富士山の事故の裁判では、遭難者を通常程度の強度でサイバー・スリングで結束してもサイバー・スリングが外れることがあるという証拠が裁判所に提出された。
 スリングでハイマツにストレッチャーを確実に固定することは可能だが、サイバー・スリングの固定方法は救助者の裁量であり、遭難者を確実に固定できない場合がありうることが、2つの判決の結論の違いをもたらした。上記の2つの事故の裁判では、証拠の内容が異なるだけであって、裁判所の注意義務に関する考え方が大きく異なるわけではない。
 裁判に対し、「真実を解明し、正義を明らかにする」ことを期待する人が多いが、裁判は証拠の有無を調べる手続であり、真実や正義の解明を直接の目的としない。しかも、裁判所が採用する証拠は書類や証人などパターン化されており、裁判の証拠にできるものは限られる。どんなに重要な証拠でも紛失ないし隠蔽されれば「ない」のと同じである。現在の民事裁判は競争社会を反映して自由競争の原則を採用しており、証拠を裁判所に提出するかどうかは自由である。証拠の獲得や裁判にかける資金も自由競争である。
(2)ボランティア活動に伴う注意義務
  警察、消防機関の捜索・救助活動以外の民間人の捜索・救助活動はボランティアで行われている。遭難者の友人、山岳団体関係者、山岳遭難対策協議会のメンバー、山小屋の従業員などの行う捜索・救助活動がその例である。
 ボランティア活動には、自発性、非営利性、公益性などの性格があるが、日本語のボランティアの意味はあいまいである5)。ボランティア活動の性格として無償性をあげる人がいるが、経費を徴収することは有償行為であり、最近は経費を徴収するボランティア活動が多い。したがって、無償性をボランティアの意味に含めることはできない。自発性はそれを行う義務がないことを意味するが、日本では、PTA活動や自治会の役員などの「義務的なボランティア活動」が多い。
 ボランティア活動としての捜索・救助活動でも行為者に注意義務が生じる。「善意の行為に注意義務が生じるのはおかしい」と考える人が多いが、法律はそのようになっていない。かつて、子供会の活動中に子供が溺死した事故について、亡くなった子供の両親が子供会の役員らに対する損害賠償請求の裁判を起こしたことがある。世論は裁判を起こした両親を「善意の行為について責任を問うのははおかしい」として激しく非難した。しかし、裁判所は子供会の役員の損害賠償責任を認めた6)
 義務のないことを行うことは事務管理と呼ばれ、一定の注意義務が生じる(民法697条)。事務管理は日常用語の「事務」とは関係がなく、特殊な用語である(事務管理の英訳はmanagement of businessである)。たとえば、川で溺れている人を偶然見かけて救助活動をする場合でも一定の注意義務が生じ、泳ぎの苦手な人が救助活動を行って、救助活動の妨害をし、溺れかけている人を溺死させることは注意義務に違反する。事務管理に基づく注意義務は、職務上の注意義務ほど重い内容ではない。
 ただし、緊急時に救助活動を行う場合には誰でもミスを犯しやすいので、故意または重大な過失がない限り、損害賠償責任を負わない。これは緊急事務管理と呼ばれる(民法698条)。この点は万国共通の考え方であり、アメリカでは、緊急時のボランティアでの救助活動の注意義務を軽減する法律としてよきサマリア人法が制定されている。緊急事務管理の規定は、警察、消防などの職務行為には適用されない。緊急事務管理はあくまで義務のないことを行う場合であって、職務上の注意義務がある場合に緊急事務管理の適用はない(この点は、よきサマリア人法も同じである)。
 各地域の山岳遭難対策協議会は警察官、消防職員、民間人などで構成されている。山岳遭難対策協議会に属する民間人が行う捜索・救助活動は活動費を受け取ることが多い。1日数万円の活動費は、法律的にはその名称に関係なく活動の対価であり、報酬に該当する。報酬を受け取る捜索・救助活動は遭難者の家族等からの委任に基づく活動であって事務管理ではない。事務管理は契約関係がない場合であり、報酬請求権は生じない。報酬請求権は委任契約によって生じ、その場合は委任契約に基づく注意義務が生じる。委任契約に緊急事務管理のような規定はない。警察、消防の捜索・救助活動では公務員は免責されるが、捜索・救助活動に従事する民間人にはそのような免責規定がない。委任契約に基づく活動で緊急時の注意義務が軽減されるかどうかについて、ほとんど議論がなされていない。
 これまでに山岳遭難対策協議会に属する民間人が行う捜索・救助活動で注意義務違反が問題になった裁判例はなく、どの程度の注意義務が生じるのか不明である。今後、これが問題になる可能性があるので、山岳遭難対策協議会で活動する民間人は損害賠償責任保険に加入しておく必要がある。
 山岳事故が起きて山小屋に救助要請がなされた場合、山小屋の従業員が救助活動を行うことが多い7)。これは自発的な行為であるが、山小屋の従業員の職務とみなされ、山小屋の従業員が事故に遭えば労災保険の適用がある。山小屋の従業員の過失で遭難者が損害を受ければ、山小屋の経営者と従業員が連帯して(共同して)損害賠償責任を負う(民法715条)。山小屋の従業員が負う注意義務についてはほとんど議論がなされていない。
(3)救助活動と医師法上の注意義務
  救助活動は医療行為を伴うことが多い。医療行為の範囲は広く、骨折の応急措置をすること、心臓マッサージを施行することなども医療行為に含まれる8。医師法は、医師以外の者が業として医療行為を行うことを禁止している(医師法17条)。看護師や救急隊員は法令により一定の医療行為が認められているが、それ以外の捜索・救助活動従事者が医療行為を行えば医師法に違反するのだろうか。
 救助活動を行う人が緊急時に医療行為を行っても緊急避難行為であり、医師法に違反しない(刑法37条)。医師、看護師、救急隊員以外の者が心臓マッサージ、AEDの使用、医薬品の使用、体温測定、骨折の応急措置などを実施することは、通常は、緊急避難行為に該当する。また、「業として」(業務として)は社会生活上の地位に基づいて継続反復する行為をさす。仮に、救助活動が刑法37条の緊急避難の要件を満たさない場合でも、これらの者は医療行為を行うことを「業として」いるわけではないので、医師法に違反しない。山岳ガイドがエキペンや医薬品をツアーに携行することがあるが、これらの使用はあくまで緊急時に限られ、業務性がない。学校の教師がAEDの使用、児童の体温測定、血圧測定などを行っても業務性がなく(教師の仕事は業務だが、医業に関して業務性がない)、医師法違反ではない。
 医療の専門家以外の救助活動従事者が医師法違反に問われることを恐れて、登山者の骨折、捻挫、出血、心停止、熱中症、低体温症、凍傷、マムシや蜂の毒などの応急措置をためらうことがあってはならない。ただし、応急措置をする者に一定の医療知識が必要である。これまでこのようなケースで医師法違反で有罪になったケースはない。

捜索・救助活動の有償化と注意義務の関係                      (1)現在、警察、消防機関などが行う捜索・救助活動は無償であるが、法律を作れば有償化が可能である。2018年に埼玉県で条例に基づいて山岳での防災ヘリの利用を有償にした。アメリカでは救急車の利用は有料だが、山岳捜索・救助活動は一部の州を除いて無償である。アメリカでは捜索・救助活動の有償化が救助義務を生じさせ、訴訟が増えることが危惧されている9)
 一般論としては、ボランティア活動を有償化すれば注意義務が重くなることが多いが、埼玉県の防災ヘリの有償化は、職務行為であってボランティア活動ではないこと、経費の一部を徴収することから、有償化が職務上の注意義務に影響することはないだろう。しかし、捜索・救助活動の経費にとどまらずサービスの対価を徴収すれば、捜索・救助活動のビジネス化をもたらし、救助活動の失敗が訴訟になるケースが増える可能性がある。
(2)山岳遭難対策協議会に属する民間人が行う捜索、救助活動では活動費、日当などの名称で報酬を徴収することが多い。報酬を取得する活動は、たとえ営利目的がなくても注意義務が重くなる。しかし、その場合の注意義務の内容についてほとんど議論がなされていない。山岳遭難対策協議会に属する民間人が負う注意義務の内容は、実際に裁判になってみなければわからない。
(3)友人、山岳会や学校の仲間などが行う捜索・救助活動で交通費などの実費的経費が支払われることがあり、これは有償の活動である。しかし、この場合には、労力の対価を受け取るわけではないので、捜索・救助活動従事者が負う注意義務は重くない。よほど重大なミスがない限り、注意義務違反が問題になることはないだろう。

3、捜索・救助活動と損害賠償責任保険  
(1)損害賠償責任保険は、損害賠償責任を負う行為者に代わって保険会社が損害賠償金を支払う制度である。
 警察、消防機関の活動では、公務員に過失があっても原則として公務員は損害賠償責任を負わない(代わりに自治体が損害賠償責任を負う。国家賠償法1条)。そのため、公務員は職務に関して損害賠償責任に加入する意味が乏しい。国や自治体は財力があるので損害賠償責任保険に加入しないことが多い。しかし、民間人は、国や自治体のような財力がないので、捜索・救助活動中の事故に備えて損害賠償責任保険に加入することが必要である。
(2)損害賠償責任保険のひとつに個人賠償責任保険がある。個人賠償責任保険は山岳遭難保険、自動車保険、火災保険などに付帯していることが多いので、ほとんどの人が個人賠償責任保険に加入していると思われる。たまたま遭難現場に遭遇して捜索、救助活動に従事する人や遭難者の友人、知人、山岳関係者などが捜索・救助活動を行う場合には個人賠償責任保険の適用がある。
 しかし、個人賠償責任保険は「業務」には適用されない。業務は社会生活上の地位に基づいて継続反復する行為をさし、山岳遭難対策協議会に属する民間人は捜索・救助活動を継続反復する意思をもって活動をするので、業務に該当する可能性がある。この点は、裁判例や保険会社の先例がないので、現状では「不明」と言うほかない(保険会社は、山岳遭難対策協議会に属する民間人が報酬を得ている点も問題にするだろう)。
(3)山岳連盟や山岳会の会員、遭難者の友人、知人が捜索、救助活動を行うことは業務性がないので、個人賠償責任保険の適用がある。

4、法的責任がもたらす萎縮効果
(1)組織の責任と個人の責任の未分離がもたらす萎縮
 山岳捜索・救助活動従事者の間に、「捜索・救助活動に注意義務や責任が伴うのであれば、山岳捜索・救助活動などできない」という声がある。
 戦前の日本では公務員の過失によって事故が起きても、国や自治体は一切の損害賠償責任を負わないという制度だった(国家無答責の原則)。戦後の新憲法のもとでこのような考え方が否定され、国や自治体も民間人と同じく損害賠償責任を負うことになった(憲法17条、国家賠償法)。ただし、公務員個人が責任を負うことは公務遂行に支障をもたらすので、公務員は原則として損害賠償責任を負わない。公務員個人が責任を負うのは故意やそれに匹敵する重大な過失のある場合である。この国家賠償法の考え方は、組織の責任と個人の責任が異なることが前提である。しかし、現実には、国や自治体が損害賠償責任を負う可能性があることが公務員の行動を萎縮させやすい。
 警察や消防が行う山岳捜索・救助活動の内容は各自治体に委ねられており、前記の積丹岳事故の判決は、登山や山岳捜索・救助活動の経験の乏しい自治体の警察、消防の活動を委縮させる可能性がある。前記の富士山での救助活動中の事故を受けて、静岡市消防局は、3200メートル以上の山岳地帯でのヘリによる捜索・救助活動を行わないことを決定した。
 日本では組織と個人の責任が区別されず、両者が一体化しやすい。個人の行動と組織の行動を区別しないことは、組織の利益・責任=個人の利益・責任を意味する。積丹岳の事故の裁判でも、裁判の被告は自治体であって山岳捜索・救助活動従事者である個人が法的責任を問われたわけではないが、公務員個人の行動を萎縮させやすい。このような法文化は組織内の団結や一体感、連帯感、忠誠心をもたらし、成果につながりやすい一方で、組織ぐるみの不正とその隠蔽、組織内での精神疾患やイジメ、過労死などにつながりやすい。
捜索・救助活動ではささいなミスが重大な事故につながりやすいので、公務員個人が責任を負わないという国家賠償法が持つ意味は非常に重要だが、組織の責任と個人の責任を区別しない法文化のもとではこれが機能しにくい。
(2)公務員との格差がもたらす民間人の活動の萎縮
 民間人が山岳捜索・救助活動を行うことは義務ではなく、民間人の山岳捜索・救助活動は本来自発的なものである。しかし、現実には、山岳遭難対策協議会に所属する民間人や山小屋の従業員は、半ば義務的に山岳捜索・救助活動に従事している。山岳遭難対策協議会に所属する民間人が救助活動費を徴収するのは、それが半ば義務的な活動だからである。これらの活動は警察、消防の活動を補い、あるいは警察、消防機関と共同して行う性格がある。
  山岳遭難対策協議会の捜索・救助活動中に事故が起きた場合でも、警察官と消防職員は損害賠償責任を負わないが、警察官、消防職員と一緒に活動する民間人は損害賠償責任を負う可能性がある。また、捜索・救助活動中に負傷した場合に、警察官、消防職員は公務災害になるが、民間人はそのような補償がない。同じ捜索・救助活動に従事する公務員と民間人でこのような違いが生じるのは不合理である。このような法律的な格差は、民間人の活動を萎縮させやすい。
(3)責任を負うことがもたらす萎縮効果
 公務員、民間人を問わず、今の社会では、社会生活のあらゆる場面で注意義務が生じる。歩道を歩く場合でも、他人に衝突して転倒させてはならないという注意義務が生じる。アメリカでは5歳の子供でも注意義務が課され、5歳の子供が他人に損害を与えれば子供に損害賠償責任が生じる10(日本では子供の代わりに親が責任を負う。民法714条。アメリカでは親が子供のそばにいたような状況がなければ、親は責任を負わない)。
 ボランティア活動や捜索・救助活動であっても注意義務が生じることは、法律的には当たり前のことであるが、そのように考えない人が多い。注意義務を負うことを特別な負担だと考えて不安を感じる人が少なくない。問題は、社会のあらゆる場面で責任が伴うことにあるのではなく、責任の理解の仕方にある。法的責任に対する過大な負担のイメージが人間の行動を萎縮させやすい。
 注意義務や責任は事故が起きない限り現実化することはない。仮に、事故が起きても、実際に法的な注意義務違反の責任が生じる確率は高くない。日本では登山者は数百万人いるが、過去に山岳救助活動に関して訴訟になったのは、判例集を見る限り2件しかない。公務員は原則として損害賠償責任を負わないので、公務員が訴訟の被告になる確率はほとんどゼロである。これまでに民間人の捜索・救助活動従事者が裁判の被告になったことはない。しかし、1件でも自治体に対する訴訟が起こされれば、それが公務員、民間人を問わず、捜索・救助活動従事者に大きな萎縮効果をもたらしやすい。
 実際には責任が現実化する可能性が極めて低くても、「注意義務がある」、「法的責任が生じる可能性がある」という言葉を聞いただけで不安を感じる人が少なくない。医師法に医療行為の禁止規定のあることを聞いて、遭難者に応急措置を施すことに不安を感じるアウトドア関係者は多い。注意義務や責任に対し過度の不安を感じる人は、それらを考えないことで安心を得ようとする。山岳捜索・救助活動に伴う責任に対する不安は、現実の影響というよりもイメージがもたらす心理的なものが大きい。
(4)非難の手段としての責任がもたらす問題
  責任という言葉はさまざまな意味であいまいに使用される。責任は、非難の意味、注意義務を負うという意味、損害賠償責任や刑事責任が生じるという意味、強制執行の対象になるという意味(責任財産という法律用語がその例である)など、さまざまな意味で使用される。
 責任に非難の意味が伴うことが多くの問題をもたらす。その典型は自己責任という言葉である。「捜索・救助活動に注意義務や責任が伴うのであれば、山岳捜索・救助活動などできない」という意見も同じである。
 最近は、社会のあらゆる場面で責任が問題になりやすい。学校でのイジメや企業・役所の不正、災害、事故、過労死などで非難を伴って関係者の責任が追及される。法廷は関係者の責任追及の場になりやすい。そのため、「責任を負いたくない」という気持ちが、「何も行動しなければ責任を問われることはない」という考え方をもたらしやすい。
責任に関する因果系列に際限がないので、事故や災害の「責任者探し」も際限がない。しかし、法律はそのどこかに線引きをして有責と無責に分け、その線引きは損害の公平な分担という観点からなされる法的な価値判断である。責任の有無の判定は国会でも行われる。国会の政治的な駆け引きで成立する法律によって、補償という名称で責任の有無をあいまいにして玉虫色に解決される場合がある。
責任の観念は社会秩序を維持するための儀式として機能するとの指摘があるが11、法的責任は規範的、価値的、技術的な概念である。
 責任の内容と範囲は時代と社会が変われば、変わる。皮肉なことに、捜索・救助活動の体制が整えば整うほど、人々が考える「責任の範囲」が拡大する。捜索・救助活動の対象が拡大すれば、うまくいかなかった救助活動が訴訟の対象になるケースが増える。前記の積丹岳の事故では、遺族は、「山岳捜索・救助活動の先進県であれば遭難者が無事に救助されたのではないか」と考えやすい。富士山の事故では、警察へリと消防ヘリが同じ活動をし、警察へリは遭難者を無事に救助したのに消防ヘリは遭難者を救助できなかったので、助からなかった遭難者の遺族が不信感を抱きやすい。
 山岳捜索・救助活動の技術が進歩し、その範囲が拡大すれば、かつては救助の対象外だとみなされた遭難者の救命の可能性が生まれる。捜索・救助活動が拡大すれば、うまくいかないケースについて訴訟が増えることは避けられない。この点は、出産が安全なものになればなるほど、人々が「無事に出産できて当たり前」と考えて、産科事故に関する訴訟が増えることに似ている。
 あらゆる人間行動においてミスが生じるのは確率の問題なので、数は少ないが、裁判で捜索・救助活動の責任が認定されるケースが生じる。社会のあらゆる場面で「責任が生じるケースが皆無」という状況はありえない。それでも、山岳捜索・救助活動が萎縮しないシステムが必要である。そのためには捜索・救助活動従事者が法的に免責されるだけでなく、責任と非難を切り離す考え方や制度的な保障が必要である。

5、山岳捜索・救助活動のあり方
 山岳捜索・救助活動は警察、消防、民間人によって担われているが、公務員と民間人で適用される法律が異なり、責任の有無、内容、報酬の有無、事故の補償の有無などが異なる。公務員の捜索・救助活動は職務であり、職務は給与の対象となるが、民間人の活動はそうではない。民間人の山岳捜索・救助組織のある地域もあるが、それがない地域の方が多い。警察、消防の山岳捜索・救助活動の体制は、地域と自治体によってかなりの差がある。
 警察の本来の業務は犯罪捜査であり、警察が山岳捜索・救助活動に取り組むようになったのは、それほど古いことではない。群馬県、岐阜県、長野県、富山県の山岳捜索・救助組織が発足したのは19501960年代であり、いずれも自発的な業務として遂行された。警察官職務執行法3条は警察官に、病人、負傷者等で応急の救護を要する者を保護する義務を課しており、遭難者もその対象に含まれるが12、警察の山岳救助体制は自治体によって異なる。
 消防の任務はもともと消火活動が中心であり、救急活動は消防の任務ではなかった。しかし、いくつかの自治体が自発的に救急業務を行うようになり、1963年に救急業務が消防の任務として法制化された13。山岳救助活動は消防の救急業務に含まれるが、消防の山岳救助体制も自治体によって異なる。
 フランスでは航空機による山岳救助が中心であり、クライミングやスキーなどの専門的な訓練を受け、厳しい選考を経て選抜された救助隊員が救助活動を行っている14。スイスではREGAというNGO組織が山岳救助活動を担っており、救助要請があれば直ちに国内のどこでへでも救助ヘリが飛ぶことが可能である。REGAは会費と寄付金などで運営され、活動の対象は山岳遭難に限らない15
  日本の公的な山岳捜索・救助活動は自治体単位であり、自治体間の財政力の格差が大きい。山岳遭難対策協議会に所属する民間人や山小屋関係者の活動は、半ば義務的に捜索・救助活動に従事していること、警察、消防機関の補助的活動であること、活動の対価を徴収し、あるいは山小屋の従業員は給与取得者であることから、実態としてはボランティア活動ではない。自然の中ではミスを冒しやすいが、民間人の義務的な捜索・救助活動に緊急事務管理の規定の適用がない。警察、消防と共同して山岳捜索・救助活動に従事する民間人は公的業務を担っているので、これらの民間人を非常勤の公務員として扱い、免責(代わりに行政が責任を負う)と公務災害の対象にし、実態に合った制度にする必要がある。そのうえで、全国的に同じ水準の山岳捜索・救助体制を構築するには、自治体を超える組織、警察と消防の組織を超える体制が必要である。
 山岳捜索・救助活動を有償にすることは可能だが、山岳事故の捜索・救助活動だけを有償にすることは整合性に欠ける。山岳事故と自然災害、観光中の事故、スキー事故、水難事故は重複するので6、山岳捜索・救助活動の有償化は、他の事故の捜索・救助活動を含めて議論をする必要がある。

まとめ
 以上のように日本の捜索・救助活動にはさまざまな法的な問題がある。それらは、捜索・救助活動が必要性に迫られて自発的に担われてきた歴史や、日本では法律的にあいまいな制度が多いこと、経済的利益に寄与しない登山を軽視する政策、山岳事故を非難する世論の風潮などが関係している。
  登山は人間の自律心の涵養、健全な民主社会の実現、個人の幸福追求の実現などに大きく寄与し、充実した山岳捜索・救助体制は日本の健全な社会と文化の発展のために必要である。充実した山岳捜索・救助体制を実現するために、警察、消防、民間人が共同で山岳捜索・救助活動を行う統一的な組織、警察、消防と共同で捜索・救助活動に従事する民間人を非常勤の公務員として扱う制度、注意義務や責任を情緒的な非難から切り離し、組織の責任と個人の責任を区別する法文化が必要である。

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1)たとえば、飲食店の店員は食品衛生管理上の注意義務を負い、ガソリンスタンドの店員は危険物の取扱上の注意義務を負うが、これらは職務に伴う注意義務である。
2)2009年1月31日に、スノーボーダーが積丹岳に登り、悪天候のために山頂付近でビバークした。翌日、警察の救助隊が救助に向かい、警察官が遭難者をストレッチャーに乗せて斜面から引き上げ作業中に、他の警察官と交替するために遭難者を固定したストレッチャーをハイマツに結びつけてその場を離れた。そのストレッチャーとハイマツの結束が外れてストレッチャーが谷に落下し、その後、遭難者が死亡した。
3)札幌高等裁判所平成27年3月26日判決。1審判決は札幌地方裁判所平成241119日判決(判例時報、2172p.77)。最高裁平成281129日決定で上告不受理・上告棄却。戸部真澄:警察の山岳遭難救助隊による救助活動について国家賠償請求が認容された事例、新・判例解説Watchvol.18 2016 p.37-40 溝手康史:山岳救助活動における注意義務、日本山岳文化学会論集、132016 溝手康史:登山者のための法律入門、山と渓谷社、2018p.169、溝手康史:山岳事故の法的責任、ブイツーショリューション、2015p.54
4)京都地方裁判所平成1912月7日判決、判例時報、2373p.59 201312月に富士山の5合目付近を下山中のパーティーが滑落し、警察ヘリが遭難者1名を救助した。ほとんど同じ時刻に消防ヘリも到着し、もう1人の遭難者をヘリに吊り上げ中に遭難者を結束したサイバー・スリングが外れて遭難者が落下し、その後、死亡した。
5)中山淳雄:ボランティア社会の誕生、三重大学出版会、2007
6)津地裁昭和58年4月21日判決、判例時報、1083p.134 判例タイムズ、494p.156 子供会での川原での川遊び中に9歳の児童が溺死した事故について、裁判所は引率していた子供会の役員らの損害賠償責任を認めた。ただし、8割の過失相殺がなされた。
7)宮田八郎:穂高小屋番レスキュー日記、山と渓谷社、2019
8)もともと医療行為の範囲は非常に広いが、2005年に厚生労働省の通達により、AEDの使用、体温測定、血圧測定、つめ切り、軟膏の塗布、湿布などが医療行為から除外された。樋口範雄、医療と法を考える、有斐閣、2007p.10
9)Sheila M.Huss2010):Liability in Search and rescues: Should Individuals who Necessitate Their Own Rescues Have to Pay? Journal of Homeland Security and Emergency Management,Volume7,Issue1.アメリカではいくつかの州で、「疲れたという理由による救助要請」、「警告を無視した登山での救助要請」、「禁止エリアの登山での救助要請」などの場合に、救助機関ではなく警察が登山者に制裁金を課している。
10)樋口範雄:アメリカ不法行為法、弘文堂、2009p.21
11)小坂井敏昌:責任という虚構、東京大学出版会、2008p.193
12)古谷洋一:注釈警察官職務執行法(再訂版)、立花書房、2007p.229
13)丸山富夫:新版・救急活動と法律問題・上巻、東京法令出版、2009p.20
14)消防庁:消防防災ヘリコプターによる山岳救助のあり方に関する検討会報告書、2012
15)西川渉:スイス航空救助隊、航空情報、19982月号 HEM-Net欧州ヘリコプター救急システム調査団、欧州ヘリコプター救急の現状と日本のあり方、2002 柳澤義光:富山県警察山岳警備隊による欧州視察訓練、国立登山研修所、登山研修、VOL342019p.120 マッターホルンのあるスイスのヴァリス州では、山岳ガイドや山小屋の管理人など12人で救助隊が組織され、年間140回くらい出動する。この救助隊は州が管理し、ボランティアではない。クルト・ラウバー:マッターホルン最前線、東京新聞出版局、2015p.54
162014年に御嶽山の噴火により64人の登山者が死亡・行方不明になった事故、1980年に富士山で落石により12人の登山者が死亡した事故などは自然災害に分類されているが、これらは山岳事故でもある。自然災害は災害弔慰金の対象になるため(災害弔慰金の支給等に関する法律)、大規模な山岳事故は自然災害に分類される傾向がある。山岳地帯での水難事故やスキー場での事故は山岳事故でもある。

(日本山岳文化学会年報17号、2020)