谷川岳登山 

月日 2009年9月19日〜23日
                 
<参加者> 吉村光俊、武田和美、溝手康史(いずれも広島山岳会)

<行動記録>
 30年前に谷川岳に登ったことはあるが、一ノ倉沢や幽ノ沢の岩壁を登ったことがなかったので、以前から行ってみたいと考えていた。大島亮吉は、谷川岳を「近くてよい山」と評したが、広島からは片道1000キロ近くあり、かなり遠い。
 9月19日午後4時に広島を出発。渋滞を考慮して、北陸道、関越道経由、水上ICで下車。
 9月20日午前7時50分に土合着。普段は一ノ倉沢出合まで車が入れるが、連休時は土合から先は通行止めになっている。ロープウェイの駐車場に駐車し、そこから車道を歩き、8時50分一ノ倉沢出合着。駐車場にテントを張る。既に、2張のテントがある。ここから圧倒的な迫力で一ノ倉沢の岩壁が見え、写真をとりに来る観光客が多い。付近には多くの遭難者のレリーフがある。
 時間が中途半端なので、谷川岳山頂をめざして9時30分一ノ倉沢出合を出発。厳剛新道を登る。谷川岳は双耳峰であり、トマの耳とオキの耳がある。12時20分トマの耳(1963m)、12時40分オキの耳(1977m、山頂)着。谷川岳は100名山の1つであり、山頂は多くの登山者で賑わっている。下は晴れているが、稜線は強風が吹き、視界がない。
 下山は天神尾根にする。谷川岳は今までの死者数約800名の魔の山であるが、同時に、谷川岳はロープウェイの天神平駅から2時間くらいで登れるハイキングの山でもある。登山道は登山者が溢れて渋滞が生じ、子供連れの登山者も多い。最初は、すべて歩いて下山するつもりだったが、「ロープウェイの下を歩いても面白くない」という理由から、途中の天神平からはロープウェイに乗って下山。16時、テント着。
 9月21日。快晴。3時30分起床、5時15分出発。一ノ倉沢烏帽子沢奥壁南稜をめざす。沢を詰め、ヒョングリの滝から左を高巻いて40m懸垂下降すると、テールリッジの末端である。テールリッジには3級程度の岩場があり、通常、ロープを使用しないので、ここでの滑落は致命傷になる。
 このアプローチでは、切り立った衝立岩や、熾烈な初登攀争いの末に日本で最初に埋め込みボルトが使用されたコップ状岩壁、「三スラの神話」で有名な滝沢第三スラブなどがよく見え、壮観である。烏帽子岩は天応の烏帽子岩のようであり、衝立岩は衝立のように見え、コップ状岩壁はコップのように見え、いずれも単純でわかりやすい名称である。これらの岩場を眺めるだけでも楽しい「岩場散策」ができる。
 7時15分南稜テラス着。先着者はいない。ここは一ノ倉沢全体が見渡せる快適なテラスである。下を見るとテールリッジを後続パーティーが10人くらい続々と登ってきており、そのほとんどが南稜をめざしている。
 7時35分、登攀開始。南稜は一ノ倉沢の人気ルートであり、3級〜5級のフリーの7ピッチのチムニー、フェイス、リッジ、草付からなる。南稜はリッジ沿いのルートなので展望がよく、快適である。谷川岳の岩は石英閃緑岩で大量の雪で磨かれ滑りやすい。特に、濡れると非常に滑りやすくなる。谷川岳の天候が不安定であることと、岩の滑りやすさ、アプローチと登攀終了後のルートの危険性などが多くの事故の背景にあるのだろう。
 10時登攀修了。一ノ倉沢を登攀した他のパーティーはすべて懸垂下降したが、今回の山行は岩登りよりも山に登ることが目的なので、一ノ倉岳(1974m)の山頂をめざした。
 ここからは不安定な草付、3〜4級の岩場などがあり、道も岩場も整備されていないのでけっこう危険である。だいたい踏跡があるが、一部不明瞭な箇所もあり、急な草付き斜面や岩場は中途半端に危険な傾斜である。谷川岳では登攀終了後の事故が多いらしい。一部、ロープを出したりしてけっこう時間がかかる。時間の経過とともに太陽の日差しは絶好調になり、中高年パーティーにはこたえる。他のパーティーが登攀修了後にすべてに懸垂下降したのは納得できる。踏跡やハーケンがまったくなければ、より自然で探検的な登山を味わうことができ、個人的にはその方が好きなのだが、少しだけ整備されたルートもそれなりに楽しめる。しかし、登攀修了後のこのルートは、なぜか他の2人には不評だった。
 13時15分、一ノ倉岳到着。一ノ倉岳は一面の笹で覆われた山で展望がよい。山頂には数人が入れる程度のカマボコ型の避難小屋があった。稜線から上の山小屋がすべてこの程度の避難シェルターとトイレだけであれば、ずいぶん環境保護になるだろう。
 ここから中芝新道を下るが、一般道ではないので悪い。中芝新道は幽の沢登攀後の下山ルートでもある。16時55分一の倉沢着。隣に2張のテントがあり、昼間から宴会をしているオジサンたちがいた。
 9月22日、天候は曇り。この日は幽ノ沢のV字状岩壁を登る予定だったが、昨日で十分満足したのか、あるいは、中芝新道の下山が面白くないせいか、結局、幽ノ沢の岩壁の偵察をすることにした。
 4時起床。5時30分出発。幽の沢は一ノ倉沢のようにすぐに岩壁が見えるわけではなく、3級程度の水量の少ない滝をいくつも登らなければならない。他に登山者はいない。幽の沢右股を詰めていくと突然沢が一気に広がり、大きな圏谷と岩壁が現れる。圏谷は明るく開放感がある。幽の沢の入り口は狭いので、その奥にこのような広い圏谷と岩壁があることはなかなか想像できない。見た目には大山北壁の岩を堅くしたような感じだが、一の倉沢よりも岩壁のスケールが小さい。
 沢の下降では何度か懸垂下降し、幽ノ沢出合に出て、10時30分テント着。
 テント撤収後下山。土合には遭難碑があり、毎年、遭難碑に刻まれる名前が増えていく。多い年は1年間に40人くらい谷川岳で亡くなっている。
 入浴、食事、資料館見物、買い物などをして、14時30分高速道路に入る。渋滞を避けて途中で仮眠して時間調整をしたが、それでも午前1時頃、米原ジャンクション付近で約20キロの渋滞につかまった。今後は、連休時には深夜でも渋滞の覚悟が必要なようだ。9月23日午前6時30分、広島着(広島山岳会会報「山嶺」に掲載)