登山道の管理は誰が行うのか
Who manages trails for mountaineering and hiking?



溝手康史 Yasufum iMizote 
弁護士、広島山岳会、日本山岳文化学会遭難分科会
Lawyer、Hiroshima Alpine Club

キーワード:登山道の管理、登山施設の管理責任、ボランティア活動の責任
(要約)management of trails for mountaineering and hiking, liability of management for mountain facilities, liability of volunteer activities


(要約)
 登山道の整備内容が登山を変える。登山道の整備内容を決定するのは登山道の管理者であるが、日本では登山道の管理者が不明なことが多い。登山道の整備に要する費用と登山道で起きた事故の管理責任に対する不安が、登山道の管理者になることを避ける傾向をもたらしている。しかし、登山道の管理者を明確にしたうえで、管理者が登山道の理念に基づいて管理する必要がある。多様な形態の登山道を認めるならば、整備しない登山道では管理費用はそれほどかからない。その代わりに登山道の危険表示が重要な意味を持つ。また、登山道の管理者が負う管理責任の範囲は、登山道の形態に応じて異なる。登山道の管理者が負う管理責任は重いものではない。



はじめに
 日本語の「登山」はハイキングからヒマラヤ登山まで多様な内容を含むが、登山者の数でいえば、ほとんどの登山が登山道を歩く登山である。登山道のない藪、岩壁、沢、雪山を登る登山者は多くない。
 登山道を歩く登山では、登山内容は登山道の整備の仕方によって大きく変わる。登山道の整備内容を決定するのは登山道の管理者である。しかし、日本では登山道の管理者が不明の場合が多い。
 管理者不明の登山道はボランティア活動によって整備されることが多いが、整備内容が恣意的になりやすい。人気のある登山道は過剰に整備される傾向があり、それが未熟な登山者を増やし、かえって事故が増えることが多い。他方、人気のない登山道は、ボランティアで整備する者が少ないので、荒れる傾向がある。
 本稿では、登山道の管理者が不明であることが登山にどのような影響をもたらしているか、なぜ、日本では登山道の管理者があいまいなのか、今後の登山道の管理のあり方などについて検討する。

1.登山道の整備の仕方が登山を変える
 登山道の整備内容が登山を変える場面は多い。登山道の標識が少なければ、ルートファインディングの能力が必要とされる登山になる。登山道を岩稜に設置すれば、危険性のある登山になり、登山道を岩稜を迂回するコースに設置すれば、登山の安全度が高くなる。岩稜に多くの鎖や梯子を設置すれば、鎖や梯子を登る登山になる。傾斜のきつい尾根に登山道を設置すれば、体力を要する登山になる。登山道をコンクリートなどで歩きやすく整備し、階段や柵を設置すれば、観光客でも可能な登山になる。登山道の整備の仕方が登山の難易度を決定する。
 槍ヶ岳を例に登山道の整備と登山の関係を見てみよう。槍ヶ岳は、1828年に播隆が初めて登ったとされるが、当時は槍ヶ岳に登山道はなかった。播隆は、その後、槍ヶ岳の山頂直下に、約126メートル分の綱と約57メートル分の鎖を設置した。その後の槍ヶ岳の登山者は播隆が設置した綱と鎖を使って登ったと思われる。この鎖は、明治の末頃に一部が残っていたようであるが、1902年頃にすべて撤去されたとされる1)。
 ウェストンは、1891年以降、槍ヶ岳に何度も登っているが、1891年頃は播隆が設置した鎖はまだ残っていたはずである。しかし、ウェストンは著書の中で槍ヶ岳の山頂付近の鎖についてまったく触れていない。1912年にウェストンが槍ヶ岳に登った時には播隆が設置した鎖は既に撤去されていたと思われる。1912年の登山でウェストンは山頂直下でロープを使用するかどうか迷ったと述べている2)。綱や鎖がなければ、槍ヶ岳登山はロープを必要とするレベルの登山になる。
 しかし、その後、槍ヶ岳の山頂付近に鎖と梯子が設置され、その数は時代とともに増えていった。今では槍ヶ岳の山頂付近に大量の鎖と梯子が設置され、槍ヶ岳は誰でも鎖と梯子を使って登ることができる。槍ヶ岳は、「熟練者向きの山」から「誰でも登ることができる山」に変容した。これは、槍ヶ岳の登山道がそのように整備された結果である。
 現在では、槍ヶ岳でウェストンが行った登山を追体験することはほとんどできない。問題は、槍ヶ岳登山が変容したことそのものにあるのではなく、登山の変容を意識したうえで登山道が整備されたのではない点にある。槍ヶ岳の登山道は、管理者不在のもとで長年ボランティアで整備している間に、「いつの間にかそのようになってしまった」のである。
 槍ヶ岳の北鎌尾根の初登攀は1920年だとされているが、初登時も現在も、北鎌尾根には山小屋、鎖、梯子、標識が一切ない。尾根に取りつくアプローチ道や北鎌尾根上の踏み跡は初登時と現在では異なるが、ルート上に山小屋、鎖、梯子、標識などがないので、登山者は今でも初登時に近い登山をすることができる。
 北鎌尾根の登山が変容しなかったのは、そのように管理したからではない。北鎌尾根の登山ルートの管理者は不明であり、北鎌尾根はたまたま整備する者がいなかったので、もとの状態が残ったに過ぎない。北鎌尾根は「開発」の対象にならなかったので、尾根上に宿泊小屋、鎖、梯子、標識などが設置されなかった。もし、北鎌尾根に山小屋を設置する物好きがいれば、今頃は、多くの鎖、梯子、標識などが設置されているはずである。北鎌尾根の登山口までのアプローチが不便過ぎた点が、北鎌尾根が「開発」から免れた大きな理由だろう。
 剣岳の別山尾根は、北鎌尾根と同じくかつては登攀の対象だったが、山小屋や多くの鎖や梯子が設置された。
 妙義山の縦走路には、梯子や鎖が張りめぐらされている。このルートはもともとはクライミングの対象になるコースだが、大量の梯子や鎖を設置し、縦走路になっている。しかし、大量の梯子や鎖が設置されているため、岩に不慣れな登山者が事故を起こしやすい。縦走路の鎖や梯子を撤去すれば、クライミングルートになり、一般登山者が登ることがなくなって事故が減るのではないかという点が議論されている。登山道を鎖や梯子で整備すれば、かえって未熟な登山者が増えて事故が増えることを、妙義山の縦走路は示している。
 深田久弥が登った当時の「日本百名山」の登山道と現在の登山道は、整備の程度がかなり異なる。登山道のコースが変更された山も少なくない。そのため、今、登る「日本百名山」と深田久弥が登った「日本百名山」では、同じ登山経験をすることはできない。

2.登山道の整備内容の軽視
 以上のように登山道の整備内容が登山を変えるが、従来、登山者の間で登山道の整備内容に関する関心が高くなかった。
 その理由として、以下の点が考えられる。
 第1に、明治以降の日本の近代登山を牽引してきたのは、欧米から移入されたアルピニズム的登山であり、それは岩壁、沢、雪山での登山をめざし、登山道を歩く登山に関心を持たない傾向があった。
 アルピニズム的登山を実践する登山家にとって、登山道はアルピニズムの実践の場所ではなく、岩壁や沢に至るアプローチ道もしくは下山路でしかない。そのような登山者にとって登山道をどのように整備すべきかという点は、アルピニズムと関係のない問題であり、関心の対象外だった。
 従来、アルピニズムを実践する登山家たちは、「登山はどうあるべきか」について熱く議論したが、そこでいう「登山」は岩壁、沢、雪山での登山であり、「登山道を歩く登山」ではなかった。
 しかし、現在、登山者の数からいえば、登山道を歩く登山者が圧倒的に多い。山岳事故の大半が登山道の周辺で起きている。したがって、登山道の整備のあり方は非常に重要な問題である。
 第2に、登山道の整備内容に対する登山者の受動性がある。登山道の形態の変化は長い年月の間に生じるために、登山者は登山道の変化に気づきにくい。登山者の多くは、登山道は「誰かが整備する」と考え、整備した登山道を所与のものとして受け入れる傾向がある。
 第3に、登山道の管理者の不在が登山道の整備内容に対する無関心をもたらした。登山道の整備内容を決定するのは登山道の管理者であるが、管理者がいなければ登山道を整備する主体がいない。そのような登山道はボランティアによって整備されることが多いが、いつ、誰が、どのように整備内容を決定したのかが不明だというのが実態である。管理者不明の登山道では、登山者が登山道の整備内容に関して意見を言おうとしても、誰に意見を言えばよいのかわからない。
 これは日本特有の状況である。この点は、「日本のマッターホルン」槍ヶ岳のモデルになったスイスのマッターホルンと対比するとその違いが明らかである。マッターホルンでは、ノーマルルート(ヘルンリ稜)で固定ロープが設置されているのは1箇所だけであり、それはルートの理念に基づいている。すなわち、マッターホルンのヘルンリ稜は、「ハイキングコースに必須とされているような安全性を施すことは不可能」であり、「登山者にだけ開かれている」という考え方に基づいて管理されている3)。ここでいう「登山者」は「ハイカーではない」という意味だろう。その結果、マッターホルンに多くの鎖、梯子、固定ロープが設置されることがなかった。マッターホルンに多くの鎖、梯子、固定ロープを設置すれば、その登山がまったく別のものに変容することは明らかである。人工的な設備が制限されている結果として、マッターホルンのノーマルルートは現在でも初登時に近い登山が可能である。
 これに対し、日本の槍ヶ岳では多くの鎖と梯子が設置され、登山の内容がウェストンが登った時とはまったく別のものに変わった。マッターホルンと槍ヶ岳で何が異なるのだろうか。マッターホルンでは登山ルートの管理者が明確であり、一定の理念に基づいて登山ルートを管理し、初登時の登山を維持しようとしている。槍ヶ岳では登山道の管理者が不明なために、なりゆきまかせで整備された結果が現在の姿である。

3.登山道の管理権
 法律的には登山道の整備は登山道の管理権に基づいて行われる。登山道の管理権は登山道の所有権から派生する。登山道の管理権は土地所有権に含まれることもあれば、土地所有権とは別に存在することも可能である。それは土地所有者と登山道の管理者の間の契約によって定まる。
 土地所有権は土地を全面的に支配する権利であり、山の所有者は山をどのように管理するかを決定することができる。山の所有者は登山道の設置、管理、変更、廃止を決定する権利を持つ。山の所有者は、登山道の管理を他人に委任し、登山道の敷地部分を他人に貸し出すことができる。その場合には、受任者や借受人が登山道の管理権を取得する。登山道をどのように整備するかを決めるのは登山道の管理者である。
 公有地にある山では、国や自治体は土地の管理権に基づいて入山制限ができる。私有地にある山でも、権利の濫用に該当しない限り、土地所有者は所有権に基づいて入山制限ができる。
 登山道の通行制限は登山道の管理者が行う。管理者不明の登山道では、通行制限を行う主体が不在である。登山道の管理者ではない自治体、警察、山岳関係者が登山道を通行止めにしても法的な効力がない。
 登山道で通行料を徴収することは登山道の管理権に含まれる。国や自治体は、登山道の管理権を有しなければ、登山道の通行料を徴収できない。富士山や屋久島で入山料を任意の協力金にしているのは、山に私有地が含まれ、登山道の管理者があいまいだからである。アメリカ、カナダなどでは国立公園が国有地にあり、国がトレイルを管理しているので国が入園料を強制徴収できる。
 このように、登山道の管理者は登山道を整備し、その形態を決定する主体であるが、日本では登山道の管理者があいまいなことが多い。
 国や自治体が山の管理権を有する場合には、国や自治体が登山道の管理を開始すれば登山道の管理者になる。しかし、国や自治体が山の管理権を有する場合でも、古くから存在する登山道は国や自治体が設置したものではないので、国や自治体が登山道の管理をしないことが多い。私有地にある山でも、土地所有者は、自分が開設したわけではない登山道の管理をしないことが多い。
 山の所有者・管理権者は登山道の管理者になることを避ける傾向がある。その理由は、登山道の管理に費用がかかることと、登山道の管理者になれば事故が起きた場合に管理責任が生じることを恐れるからである。

4.登山道に関する自然公園法の規制
 日本の山岳の多くが自然公園内にあるので、自然公園の管理と登山道の管理の関係が問題になる。
 自然公園法では、自然公園内に登山道を設置するには、公園計画で公園事業として定めなければならない(自然公園法2条5号)。公園計画は環境大臣や都道府県知事が決定する(同法9条2項、5項)。また、自然公園の特別保護地区、特別地域に工作物を新築するには、環境大臣や都道府県知事の許可が必要であり(同法20条3項1号、21条3項1号)、橋、鎖、梯子、柵などを設置するにはこれらの許可が必要である。ただし、自然公園に指定される前から存在する登山道、山小屋、キャンプ場、橋、鎖、梯子、柵などはこれらの規制の対象とならない。古い登山道や古い橋、鎖、梯子、柵などは自然公園法上の許可を得ることなく設置されたものが少なくない。
  環境大臣や都道府県知事が上記の許可をすることは、国や都道府県が登山道、橋、鎖、梯子、柵などを管理することを意味しない。
 自然公園内の登山道を公園計画で公園事業として定めたとしても、それはあくまで計画であって国や自治体が登山道を管理することを意味しない。また、自然公園内には公園事業になっていない登山道がたくさんある。
 日本の自然公園は地域制を採用しており、自然公園は公有地と私有地で構成されている4)。自然公園の公有地部分では、国や自治体が現実に管理する登山道は一部に限られる。
自然公園の私有地部分では、土地所有者は、自分が開設した登山道でなければ登山道を管理しないことが多い。
 以上のように、自然公園法は、登山道や登山道上の橋、鎖、梯子、柵などについて規制するだけであり、登山道の管理者の決定は民法などの法律に委ねられる。そして、民法上、登山道の管理者があいまいな場合が多い。

5.登山道での事故の管理責任
 登山道の管理者になることが敬遠される理由のひとつに、登山道で事故が起きた場合に登山道の管理責任が生じることへの懸念がある。
 山岳事故の多くが登山道付近で起きる。山岳事故は道迷い、転落、転倒、滑落などによるものが多い。道迷い遭難のほとんどは登山道で迷った結果であり、迷いやすい場所に標識があれば遭難を防ぐことができるのではないか。登山道の危険箇所に鎖、梯子、柵、転落防止ネットなどを設置すれば、転落、転倒、滑落事故を防ぐことができるのではないか。登山道の安全管理を怠ったとして法的な管理責任を問われることを恐れて、登山道の管理者になることが敬遠される傾向がある。
 どのような場合に登山道の法的な管理責任が生じるのかについては、紙数の関係で別の箇所に譲るが5)、簡単に述べれば、歩道が「通常有するべき安全性」を欠く場合に管理責任(営造物責任、工作物責任)が生じる(国家賠償法2条、民法717条)。過去の裁判例では、遊歩道で起きた事故の裁判例が多い。ここでいう遊歩道は多くの観光客が利用するために整備された歩道をさす。公刊された判例集を見る限り、登山道の管理責任に関する裁判例は2件しかない。登山道に設置された堅固な橋と転落防止用の柵に関して管理責任が認められたケースがある6)。それら以外に登山道の管理者に事故の管理責任が認められたケースはない。
 登山は一定の危険性があることが前提であり、登山道に、落石防止措置、転落防止措置、転落防止用の柵、橋、標識、階段、鎖、梯子などを設置する義務はない。登山道が遊歩道化しない限り、登山道で起きた事故に関して管理責任が生じる場合は限られる。
 管理責任に関して、以下の点に注意が必要である。
(1)遊歩道では管理責任が生じやすいが、遊歩道と登山道の区別が明確でない。これは歩道を整備する際に両者の区別を意識しないからである。観光地付近の登山道は観光客向きに整備されて遊歩道化しやすい。観光地付近の歩道は管理者が明確なので、歩道で事故が起きると管理責任が認められやすい。遊歩道化した登山道で管理責任が認められると、「登山道で事故が起きると、管理責任が生じるのではないか」という不安が生じ、登山道の管理者になることが敬遠されやすい。
(2)登山道の管理者は、登山道に人工物を設置して整備する義務はないが、登山道に人工物を設置すれば、それらを管理する義務が生じる。登山道に橋を設置しなくても、登山道の管理者が責任を問われることはない。登山道に橋がなければ、登山者は沢を渡渉することになる。たとえ、登山者が徒渉に失敗して事故が起きても、橋を設置していないという理由から管理責任が生じることはない。しかし、登山道に橋を設置すれば、橋の設置者はその安全管理をする義務を負い、橋のメンテナンスを怠ったために橋が崩落すれば、橋の管理者に損害賠償責任が生じる。
 同様に、登山道の管理者は、登山道に標識、鎖、梯子、ロープを設置する義務はないが、これらを設置した場合には管理する義務が生じる。しかし、これらに関する裁判例がないため管理責任の範囲が明確ではない。管理責任の範囲が明確でないために、登山道の管理者になれば、どこまで整備するか悩みやすい。管理責任に対する不安から、管理者になることを回避するか、過剰に整備するかのいずれかになりやすい。
(3)登山には一定の危険性があり、登山者は登山に固有の危険性を承認しなければならない。登山道に転倒、転落しやすい箇所があったとしても、「通常有するべき安全性」を欠くわけではない。一定の危険性が想定されている登山道では、転倒、転落しやすい箇所のあることは固有の危険性に含まれる。
 しかし、日本では、登山道の管理=整備=安全化という考え方が強く、登山道を管理することが安全化と同視されやすい。登山道を安全にするために、登山道に設置する人工物の量が増えれば、管理責任が生じやすい。登山道の整備に際限がなく、それに伴って管理責任も際限なく生じる。その行き着く先は登山道の遊歩道化である。
(4)アメリカなどでは、一定の危険性が前提の施設では注意義務や責任の範囲を限定する考え方があるが、日本ではその点がほとんど議論されていない。裁判では一定の危険性が前提かどうかに関係なく、単に、「注意義務違反があるかどうか」という点だけが検討される。
 日本では「一定の危険性を承認したうえで行動する」考え方が国民から受け入れられにくく、この点が裁判所の考え方にも反映している。その例として、野球観戦中のファウルボール事故のケースがある。野球観戦中のファウルボール事故について、アメリカでは施設管理者の注意義務が限定されるが、日本の裁判所の判断に混乱が見られる7)。
 そのため、日本では、登山道の管理者の管理責任が街中の歩道と違った扱いになるのかどうかが明確ではなく、登山道の管理者に不安をもたらしやすい。

6.ボランティアによる登山道の整備の問題性
 管理者が不明の登山道は、もっぱらボランティア活動によって整備されている。これは登山道の管理者が不在なためだが、ボランティア活動による整備には以下の問題がある。
(1)継続的なメンテナンスの保障がない。
 ボランティア活動は、それを行うことが義務ではないが、それを行う場合には一定の注意義務が生じる。ボランティア活動は法律的には「事務管理」に該当し、事務管理に基づく注意義務がある(民法697条)。義務のないことを行う場合が事務管理である。
 事務管理に基づく注意義務は、たとえば、登山道に鎖、梯子などを設置する場合には、すぐに崩壊するものを設置してはならないなどの注意義務である。しかし、事務管理行為は鎖、梯子などを設置すれば終了し、その後のメンテナンスは事務管理の注意義務に含まれない。そのため、ボランティアで登山道を整備した者が、その後のメンテナンスを行うことは期待できない。ボランティアで整備した登山道は、その後、放置されることが少なくない。
 事務管理に基づく注意義務とは別に、登山道の鎖や梯子の所有者はそれらを管理する義務がある(民法717条)。これは、所有者として負う注意義務であるが、ボランティア活動で鎖や梯子を設置した人は、「自治体などから頼まれて設置したのであって、鎖や梯子は自分の所有物ではない」と言うだろう。自治体が鎖や梯子の費用を負担した場合でも、自治体は「費用を補助しただけであって、鎖や梯子の所有者ではない」と言うだろう。そのため、管理者不明の登山道では、ボランティア活動で設置された鎖や梯子の所有者が不明である場合が多い。
 その結果、管理者不明の登山道に所有者不明の鎖や梯子がボランティア活動で設置されるという奇妙な現象が生じる。その鎖や梯子は、その後、誰かがボランティアでメンテナンスすることが多いが、その保障はない。このような登山道が明治以降の日本の登山を支えてきたのである。
 マッターホルンのヘルンリ稜は管理者が明確であり、管理者が責任を持って毎年固定ロープを点検して取り換えていることと対象的である。このような日本の登山道の管理状況は、欧米の法文化では理解不能だろうが、日本のあいまいな法文化のもとでは、珍しいことではない。日本では責任の所在が曖昧な場面は多い。
(2)登山道の整備に理念がない。
 登山道を整備する場合に、「その登山道はどうあるべきか」という理念が必要であるが、ボランティアによる整備では、登山道の理念を考えることなく整備されることが多い。
 商工会や観光協会が整備に関与する場合には、観光客でも歩けるように登山道を「安全化」しようとする傾向がある。山小屋が登山道を整備する場合には、山小屋の登山客向きに整備する。個人がボランティアで整備する場合には、整備する者の好みを反映しやすい。
 槍ヶ岳は登山道の管理者が不在だったために、明治以降、「登山道はどうあるべきか」という理念が議論されることがなかった。槍ヶ岳の登山道が整備されると未熟な登山者が増え、未熟な登山者のためにさらに鎖と梯子が増えることが繰り返されてきた。

7.登山道の管理のあり方
(1)登山道の管理者の明確化
 日本の登山道の多くが管理者不在であることが、さまざまな問題をもたらしている。登山道の管理者を明確にすることが必要である。
 登山道は山域の特性に応じた管理が必要になるので、自治体が管理者としてふさわしい。
公有地、私有地を問わず、土地所有者から登山道の敷地部分を借り受けるか、管理の委託を受ける方法で登山道の管理権を取得することができる。
(2)登山道の形態別管理と危険表示
 登山道を「安全化」しようとすれば際限のない整備費がかかる。しかし、管理=整備=安全化ではない。管理をしても整備をしなければ、費用はそれほどかからない。登山者は多様であり、それに応じて多様な形態の登山道が必要である。登山道には、整備した登山道もあれば整備しない登山道もある。整備しない登山道は熟練者向きの登山道であり、危険表示をすることが重要な管理内容になる。北鎌尾根、長次郎雪渓などが整備しない登山道の例である。これらのルートでは人工物を設置させない管理が必要である。
 登山道に鎖、梯子、ロープなどを設置する場合には、管理者が定期的に点検してメンテナンスをする必要がある。登山道の鎖、梯子、ロープなどの定期的な点検やメンテナンスができない場合には、それらを設置すべきではない。それらのメンテナンスも撤去もできない場合には、管理者が登山口に「この登山道の鎖、梯子、ロープなどはメンテナンスされていない」ことを危険表示する必要がある。
 ただし、堅固な橋については、危険表示をしただけでは不十分である。橋は、その性質上、登山者が崩落の危険性を承認したうえで利用することになじまないからである。崩落する危険性のある橋は、補修するか通行禁止にする必要がある。
 遊歩道では、歩道管理者が危険表示をしても事故の管理責任を免れないことが多い。
(3)登山道の理念の重要性
 登山道は、「その登山道はどうあるべきか」という理念に基づいて管理をする必要がある。登山者の志向は多様であり、初心者向きの登山道と熟練者向きの登山道では、整備内容が異なる。
 このような登山道の理念がないまま整備をすれば、登山道が過剰に整備される傾向が生じやすい。登山道が整備されて歩きやすくなれば、未熟な登山者が増えて事故が増えることが多い。事故を防ぐためにさらに整備すれば、未熟な登山者がさらに増える。その行き着く先は登山道の遊歩道化である。登山道が遊歩道化すれば、事故の管理責任が重くなる。
(4)登山道の管理責任の限定
 登山道の管理者が負う管理責任の内容は、登山道の形態に応じたものになる。初心者向きの登山道では、登山道に設置された人工物が安全であることが要請されるが、自然がもたらす固有の危険性がある。熟練者向きの登山道では登山道が安全であることは保障されない。登山道の管理者の管理責任の範囲は、登山道の形態に応じて危険性を表示することによって限定される。
 しかし、日本では、従来、この点がほとんど議論されてこなかった。登山道での事故に関する裁判例が少ないために、登山道で起きる事故の管理責任の内容は、裁判になってみなければわからないのが実情である。登山道の形態がもたらす危険性の程度に応じて登山道の管理責任の範囲を限定する考え方が必要である。

まとめ
 登山道を歩く登山では、登山道の整備内容が登山を変える。登山道の整備内容を決定するのは登山道の管理者であるが、日本では登山道の管理者が不明なことが多い。登山道の整備に要する費用と登山道で起きた事故の管理責任に対する不安が、登山道の管理者になることを避ける傾向をもたらしている。
 従来、日本では、すべての登山道を初心者向きに整備する傾向があり、これが管理者の経済的負担を重くしていた。しかし、登山者は多様であり、初心者向きの登山道、熟練者向きの登山道などの多様な形態の登山道が必要である。ほとんど整備しない登山道では、管理費用はそれほどかからない。登山道の形態は、「その登山道はどうあるべきか」という理念によって決まる。
 登山道の整備内容は登山道の形態によって異なる。整備の不十分な登山道では、危険性を表示することが必要である。
 登山道の管理責任の範囲は、登山道の形態によって異なる。初心者向きの登山道と熟練者向きの登山道では、管理責任の範囲が異なる。
 登山道に工作物を設置した場合には、登山道の管理者が定期的に工作物を点検、メンテナンスする義務を負う。それを怠って事故が起きれば、管理責任が生じる可能性がある。管理者が工作物の点検、メンテナンスができない場合には、登山道にそれらを設置すべきではない。


[注]
1)穂苅三寿雄・穂苅貞雄:槍ヶ岳開山 播驕E増訂版、大修館書店、1997、p.112 菊地俊朗:槍ヶ岳とともに、信濃毎日新聞社、2012、p.96,99頁
2)W.ウェストン:日本アルプス登攀記、平凡社、1995、p.142
3)クルト・ラウバー:マッターホルン最前線、東京新聞、2015、p.216
4)日本の自然公園のように、土地所有権を取得することなく、一定の地域を自然公園として指定する場合は「地域制自然公園」と呼ばれる。これに対し、アメリカなどの自然公園は土地所有権があることを前提に設置されるので「営造物公園」である。加藤峰夫:国立公園の法と制度、古今書院 2008、p.20
5)溝手康史:登山道の管理責任、日本山岳文化学会論集 8号、2010、p.49、溝手康史:山岳事故の法的責任、ブイツーソリューション、2015
6)東京地裁昭和53年9月18日判決、判例時報903号、p.28、判例タイムズ377号、p.103、神戸地裁昭和58年12月20日判決、判例時報1105号、p.107、判例タイムズ513号、p.197
7)日本では、野球観戦中のファウルボール事故について、球場管理者の責任を認めたケース、否定したケース、球場管理者ではなく、球団の責任を認めたケースなどがある。裁判例として、仙台地裁平成23年2月24日判決、仙台高裁平成23年10月14日判決、札幌地裁平成27年3月26日判決、札幌高裁平成28年5月20日判決などがある。磯山海:野球観戦中の負傷事故と球場管理者の賠償責任―アメリカ不法行為法における限定義務の法理をめぐって、日本スポーツ法学会年報第21号、2014、p.64


日本山岳文化学会論集18号(2021年3月発行)所収