本件事件の概要
石井まゆみ(昭和29年生、1987年(昭和62年)11月20日肺癌に
て死亡、(当時満33歳)は1976年に〇〇海上に入社、以来毎年職場定期
健康診断を受診した。
この職場健診は1986年までは、〇〇海上の本店医務室で〇〇海上自らが
実施し、1987年からは〇〇ビル診療所(〇〇海上の関連会社)に委嘱して
実施された。
〇〇海上は日頃、社員に対して「内は一流の医者を揃えている」と豪語して
いた。
そのためか、亡まゆみも「変な医者にかかるより会社の医者にかかっている方
が安心だ」と、会社に全幅の信頼をおいていた。
職場健診における、まゆみの胸部レントゲン写真の読影は、1986年まで
は嘱託医の被上告人小〇がおこなった。
読影の結果は毎年「異常なし」であった。
1987年は6月に〇〇ビル診療所で職場健診が行われ、胸部レントゲン写
真の読影と総合判定は被上告人桐〇が行い、血糖値が高いとのことで糖尿病の
精密検査の指示を受けたが、胸部は異常なしであった。
しかし、この年は胸痛・セキ・血痰が出現していたため、7月に「肺癌でな
いか心配だ」とまで尋ねて、〇〇ビル診療所を再受診・再々受診したが、
被上告人桐〇、被上告人林〇に「何でも無い」と言われた。
しかし、その後症状が憎悪するため、会社の医者を見限り、8月4日に他病
院を受診し即「肺癌であり、既に手遅れ」との診断を受けた。
即入院し治療をうけたが、3ヶ月後の11月20日に死亡。
まゆみは、自己の健康管理の一環として全幅の信頼をおいて受診していた〇
〇海上の職場健康診断で見落としをされていたことに関して、会社に裏切られ
たとの思いから「くやしい、くやしい」と病院のベットの上で泣いていた。
まゆみ死亡後に「何故、職場健診で異常が発見できなかったのか真実を究明
したい」との思いから〇〇海上との話し合いの場を持った。
この過程のなかで〇〇海上側は「この件の責任の有無の確定をしないことと
して、1000万円を支払うから、」と示談案を提示してきた。
しかし、金さえ払えば文句はなかろうと言わんばかりの対応に、これでは真
実は究明されず、全てはうやむやの内にもみ消されてしまうと危惧し、事の是
非を法廷の場で明らかにせんと提訴を決意した。
1985・86・87年の3回にもわたって、職場健康診断にて胸部レントゲン
写真の異常影の見落としをされ、適切な治療を受ける機会を逸したために
死亡したとして、1990年8月23日東京地裁へ提訴。
1995年(平成7年)11月30日、一審判決。
原告側請求を全面棄却。即控訴。
1998年(平成10年)2月26日、二審判決。
一審と同じく全面棄却。
1998年5月6日、最高裁へ上告。
現在最高裁にて審理中。