ジム・ヘイスティ(Jim Hastie)
Administrator/Director ofTraining

(C)TheInternational Association of MMM Ltd.


毎年MMM JAPANのワークショップのときには2週間もの間滞在し、直接指導をしてくださっていたジム先生。
彼の暖かで魅力的な人柄に惹かれてMMMをはじめた、という人もたくさんいます。
みんなが緊張しないように気配りして気さくな態度とってくださるけれど、実は英国では有名人。プロのプリマも教えていて、街では名誉市民として知らない人はいない、といわれ ていた彼の経歴をご紹介します。


グラスゴーのケルト・バレエ・カレッジ(CelticBallet College)でマーガレット・モリス(Margaret Morris)に師事する一方、アンナ・パブロワ・カンパニー(AnnaPavlova's Company) でソリストであったクレオ・ノルデイ(CleoNordi)と、ドイツのクルト・ヨース(Kurt Jooss)にバレエを学ぶ。


1958−1960 スコットランドのケルト・バレエ(Celtic Ballet)で、プリンシパル・ダンサー
1960―1961 スコティッシュ国立バレエ(Scottish National Ballet)でプリンシパル・ダンサー
1961―1962 ロンドンのウエスト・エンドのミュージカルに、アメリカのガウァー・チャンピオン(Gower Champion)の振り付けで出演
1963―1964 ドイツのオペラ・バレエ(Opera Ballet)で、クルト・ヨースの指導の下にソリスト
1965―1966 アメリカ合衆国とカナダで2度横断ツアーをし、アラスカとハワイを除くアメリカ全州を訪れて、プロデューサー、振付家、ダンサーの役をこなす
1967 ブリティッシュ・ダンス・シアター(British Dance Theatre)で、プリンシパル・ダンサー、振付家、バレエ・マスターなどを勤める
1968 エジンバラ演劇学校(Edinburgh College Drama)で、 MMMとダンスを指導
1968―1980 グラスゴー大学(Glasgow University)の演劇部でMMMとダンスを指導
1967―1970 パントマイムやレヴェーのダンサー/振付家として活躍、 BBC―TVやITVの多くのテレビショーにも出演
1970―1980

スコティッシュ・バレエ(Scottish Ballet)で専属ダンサーとティーチング・スタッフを兼任
スコティッシュ・オペラ(Scottish Opera)ではダンサー、 振付家、 バレエ・マスターの重責を果たす

 

1975 マーガレット・モリスの要請でMMM(Margaret Morris Movement)インターナショナル・アソシエイションのパート・タイムの理事/指導ディレクターに
(C)MMM JAPAN
photo:中島 正
1975―1980 王立スコティッシュ音楽演劇アカデミー(Royal Scottish Academy of Music and Drama)でMMMとダンスを指導
1980‐ マーガレット・モリスの死去に伴い、 劇場での専属の仕事を辞め、 フル・タイムのMMMの理事/指導ディレクターに就任
1980-1990 この間、時間の許す限り、スコットランドバレエ団に戻りダンサーおよび客員講師を勤めている。
劇場における彼のダンサーとしての仕事は、アイスランド、アイルランド、イタリア、オーストリア、中近東、スイス、フランス、そしてドイツの国々にまで及ぶ。
1991-2010 英国および各国でのMMMの指導と普及に専念。  
2010 MMM100周年記念サマースクールとロンドンでの記念リサイタルの総合監督&指導を務める。
秋、永眠。
 

MMMは現在、マーガレットと彼の遺志を引き継ぎ、本部のインターナショナル ティーチング チームから派遣されたティーチャーが各国を訪れ、指導と普及に努めている。