入院までの日々。。。

Tどうして?

近所の小児科で再び紹介状を書いてもらい、1999年5月19日
三度大学病院を訪れた私達は今度は小児神経科を受診しました。
神経科というのが具体的にどのような科なのか、私自身全く
分かっていなかったので、診察を待っている時、同じ様に神経科の
診察を待つお子さん達を見た時は正直ショックでした。
なぜならばそこにはテレビの中でしか見たことの無い、いわゆる
世間で障害児と呼ばれる子
供たちがたくさん居たからなのす。

「もーちゃんもここに居る子供達みたいになってしまうの?」
今思えば大変失礼な物言いなのですが、言いようの無い不安に
駆られた私はパパに何度も何度も同じ言葉を投げかけていました。
パパはもーちんと私の手をギュッと握って
「どうなっても大事な娘に変わりはないだろう?」と涙をこぼす私に
向かって優しく何度も答えてくれました。

この時、多分初めて私の中で「我が子が障害児になる」という事を
ぼんやりと認識したのだと思います。

診察は簡単な問診と触診で終了しました。もういくらなんでもこの
状態は普通じゃ無いんだから入院とか薬とか何かしらの手立てを
うってくれるだろうと思っていたのですが、またしてもドクターの口
から出た言葉は私達の予想とは反したものでした。
「確かに反応が無いし、右半身に緊張が見えるけれど検査して
みないとなんとも言えないですね、それから念の為にお伺い
ますが
赤ちゃんを放って置いたりしていませんか?あまり話し
掛けてあげたりしないとこの様に反応の無い子になってしまう
場合があるんですよ


ドクターのその言葉に私達はしばらくその場で呆然として
しまいました。今思えば検査しなくては何とも言えないと言った
ドクターの所見は正しいとも言えますが、その時の私達はあまりに
無知だったし、第一もーちんが私達の目には一刻を争うような状態に
見えたので、話し掛けてるとか掛けて無いとかの問題で無い事は
明らかではないかと、なぜそんな事を言うんだと・・・そんな風に
思えて仕方無かったのです。
まさに
[病院とは悪い所を見つけてすぐに治してくれる所]という
考えが根底から覆される程の思いでした。

結局この日に決まった事は、これから
2ヶ月半掛けて通院しながら
様々な検査を行いつつ、右半身の緊張をとるリハビリに通うという事
だけでした。

             
              検査・リハビリの予約内容
11年5月28日 生理検査・脳波
11年5月31日 リハビリ・血液検査・診療(内科)
11年6月 3日 画像診断・頭部CT
11年6月 8日  リハビリ・診療予約(内科)
11年6月15日 リハビリ
11年7月 1日 生理検査・脳波
11年7月 2日 画像診断・頭部MRI
11年7月 6日 リハビリ・診療予約
11年7月 9日 診療予約(内科)
11年7月28日 生理検査(脳波)
11年8月 4日 診療予約(神経科)
U私達の出来る事

病院から帰った私達は相変わらず何反応もなく、ぐったりしている
もーちんを見つめながら途方にくれてしまい、これからどうすれば
良いのか頭の中では様々な考えが浮かぶけれど思考回路がうまく
働かず、涙だけが流れ落ちるという親としてなんとも情けない姿で
オロオロするばかりでした。

しかし、しばらくしてもーちんを見れば見るほどこれは夢でもなん
でもない
紛れも無く自分達に今起こっている現実の出来事
なんだと認識し、今出来る事をしなくてどうするという気持が湧き
上がってきたのです。
そしてその日から私達は検査とリハビリへ通うかたわらで、
知り合いという知り合いに連絡をとって小児科に関する情報を
集めました。。。

そしていざとなれば病院を変えようと決めたのです。



V日記より。。。
 

5/31

リハビリ・内科診療・採血を受けに病院へ。
リハビリはこのが初日。もーちんへの一通りの診察が終わった後
担当の女性の先生が私の胸の中につかえているこの先への
不安な思いをじっくりと聞いてくれたので我慢していた気持が
一気に吹き出てしまい、リハビリ室で子供の様に大泣きして
しまった。
内科の方は28日に受けた脳波には今回も異常はみられなかった
ので引き続き検査を続けましょうという簡単な診察で
終わってしまった。
(もっと色々聞けばよかったと帰りのバスで後悔した)
採血から戻ってきたもーちんの腕には何箇所も針を刺した後が
あり「乳児なので血管が細く採血が難しいので」と説明されたが、
頭では納得しつつもなんだか かわいそうでつらかった。
元気にさえ生まれていればこんな目には合わずに済んだのに
なぜこんな事になったんだろう。

6/4

右目が内側に寄ってきている。もう表情と呼べるものは全く無く、
とにかく虚ろにぐったりしている。それなのに薬もないし入院も
出来ない。。。この状態は一体いつまで続くのだろう。
ホントに何も手立てはないのか?誰かこの子を助けて欲しい。
そして早くもう1度元気に笑うもーちゃんに戻って欲しい。

6/8
6/3に撮ったCTの結果、脳の前の部分が左右対称に萎縮
していると言われた。CTを見せてもらうと確かに脳が縮んで
しまっているのがはっきりと見て取れた・・・なぜこんな事に?
しばらくの間完全に思考が止まってしまった。
しっかりしろって思うけどしっかりなんて出来ない。
ねーどうして?

脳が萎縮した原因に関してはまだ分からないが、前回(5/31)
よりもっと詳しい血液検査する必要があると説明され、
予定には無かったが急きょ採血した。
この時点で初めて先生がうちの子に対して真剣に向き合って
くれた気がした。
でも入院という話は出ず、家で もしひどいケイレンなど起こしたら
速やかに救急車を手配してこちらの病院まで搬送してもらって
下さいと言われた。じゃあ入院させてくれれば良いのに・・・

萎縮した脳はもう元には戻らないらしい。
戻らないって
どういう事だろう?よく分からない。もう一生今のまま
なのかな?
てっきり脳性麻痺なのかと思っていたが違ったのだろうか?
一体何の病気なんだろう?どうしてうちの子なんだろう。

6/12
体が強く反り返ってしまう回数が増えてきている。見ていてつらい。
最近は出来るだけ誰にも会わない様に生活している。
誰にも会いたくないし、話もしたくない。心配も同情もされたくない。
ミルクの際にかなりひどくむせるようになってきた。
詰まっている様な感じでつらそう。

6/14
たいちゃんとのんちゃんが心配してうちに来てくれた。一緒に
お好み焼きを作って食べた。久しぶりにちゃんとご飯を食べた。
うれしかった。

6/15
リハビリで、耳は完全に聞こえなくなっているでしょうと言われた。
もう私の声はもーちゃんには聞こえない。
ケイレンの回数が徐々に増えてきているし、1回のケイレンの
時間も長くなってきている。ケイレンの際に呼吸も一瞬止まって
いる様に見える。このままずっと呼吸が止まったらどうしよう。
もう元気な子を見るだけでつらい。ミルクと離乳食の時のむせ方も
ひどくなる一方。これは私への罰ですか?私は何かしてしまい
ましたか?

6/18
小宮にもーちんの話を泣きながら電話でぶちまけたら、うちに
すっ飛んで来てくれた。話を聞いてもらって少し楽になった。

6/19
体が強く反り返る事が段々無くなってきた代わりに体の力が
抜けた様になってしまった。目が虚ろ。

6/22
リハビリ4回目。体の緊張が取れてきた分、首の座りが悪くなってきて
新生児の様にぐらぐらしてきた。これってどういう事なんだろう。
リハビリの先生になぜ入院にならないのかと聞かれた。私だって
入院させたいし治療だってして欲しい。一体どうすれば良いんだろう。
ケイレンは益々ひどくなってきている。涙と汗を流しながら激しく
ケイレンしている。。。これからどうなるの?

6/29
予約も何も入ってなかったがこれ以上このままにしているのは
もう耐えられないので、ケイレン時に撮ったビデオを持って病院へ
行ったらベッドが空き次第即入院となった。病院からの帰り道
間違え様の無いバスを乗り間違えしまい、慌てて降りたら
ちょうど雨が降り出してきて、傘が無かったのでもーちゃんの頭に
タオルを被せ、折り返しのバス停まで泣きながら歩いた。
惨めな思いでいっぱいになった。今日のりちゃんがうちに来てくれ
なかったら何をしてたか分からない。弱いママでごめん。




*翌日病院から電話があり、99/7/2〜入院する事になりました。






[HOME]