1994チーム結成。#10Y.Wada選手が転勤で東京から札幌へUターン。東京でも会社の同期で結成されたジャンキーズに加入していたこともあり、すっかり野球魂が蘇っていた同選手は札幌でも野球を続けたいと思い新チーム結成を決意。当時の会社同僚、友人達の賛同を得て結成の運びとなった。ちなみに同選手はこの時、どこかのチームへ入ろうという考えはまるでなかった。
1995本格的な活動開始。ユニフォームも作成しいよいよ活動開始。今のようにインターネットで相手を探すなんてことがまだ一般的ではなかったので、メンバーの知り合い等の少ないつてを頼りに相手を探し練習試合をこなす。
1996公式戦初参加。3年目にして遂に公式戦に参加。初出場ながら若さに任せてブロック準決勝まで勝ちあがり、この年の優勝チーム極東クラブに敗退。
参加大会
毎日新聞杯(ブロック準決勝敗退)
19974年目にして活動やや停滞気味。
参加大会
毎日新聞杯(1回戦敗退)
1998なぜかさらに停滞度アップ・・・。
参加大会
毎日新聞杯(2回戦敗退)
1999念願のリーグ戦参加。唯一参加していた公式戦である毎日新聞杯はトーナメントの大会であるため1、2回戦で負けると春先で終了してしまい、シーズンの大半が練習試合となってしまう。リーグ戦ならばシーズン通して公式戦を戦えるのではと探していたところスーパーベースボールリーグを発見。土日祝日の開催とこちらの条件にも合致したので割と高めの参加料に悩んだもののメンバーの賛同を得て参加することに。毎日新聞杯初参加時の成績でなんと2部からの参加。
参加大会
毎日新聞杯(1回戦敗退)
スーパーベースボールリーグ(2勝5敗)
2000前年のリーグ戦での今ひとつの成績で発奮。結成時の活気が戻って来た。
参加大会
スーパーベースボールリーグ(4勝3敗)
2001磐石だったバッテリーに人材難が。それが原因かはわからないがリーグ戦全敗という不名誉な結果に。
参加大会
スーパーベースボールリーグ(0勝7敗)
2002離脱していたメンバーも徐々に戻りチーム状態は上向き。
参加大会
スーパーベースボールリーグ(4勝3敗)
2003強力新メンバーの加入でチームもリフレッシュ。「札幌ドーム」「つどーむ」での試合も実現。
参加大会
スーパーベースボールリーグ(4勝2敗1分)
2004ユニフォームリニューアル。キャップ休養につき詳細不明。
参加大会
スーパーベースボールリーグ(?勝?敗?分)
2005リーグ戦は苦戦。最終戦にライバルNTTドコモにサヨナラ勝ちで一矢報いる。毎日杯は強豪撃破でブロック準決勝進出も壁は破れず。
参加大会
毎日新聞杯(ブロック準決勝敗退)
スーパーベースボールリーグ(1勝6敗0分)
チーム名由来当初はわりとカッコいい感じの名前を色々考案していたが、どこでどうなったのか突然メンバーである#13K.Sugai選手のお茶目なモンキーフェイスからモンキーズが浮上。そのまま一挙に決定となった。ユニフォームの左袖には彼をモチーフにしたワッペンが付いている。(2004からユニには未着)
モットー「楽しく、勝つ」。(どこのチームも一緒でしょう)明るく楽しいメンバーばかり。'99シーズンは負けが込み「楽しく」度が下がりらしさが薄れてしまい反省。まずは笑いを大切に楽しくプレーする!!上手いから出れる、下手だから出れないと言うことは絶対ない。下手な選手もいるなかで強いチームに勝つことがチームのポリシー。
平均年齢約32歳(2003年現在)。20代前半からほぼ各世代のメンバーがいる。そうは言っても実際はキャップを始めオジサンが中心なので若さに欠ける感は否めない。
活 動土日祝日のみの活動。平日の朝野球は不可能。公式戦及び練習試合ともちろん練習。自分達で確保する場合は白石区近郊がメインだが、呼ばれれば基本的に市内及び札幌市近郊ならどこでも。
部 費\2,000/月で年間\12,000(5月〜10月の6ヶ月分)。支払い方法はお財布と相談で一括、分割どうにでもなる。
ユニフォーム一式\19,000前後。ズボンのタイプ(ロング等)指定も可能。尚、アンダーシャツ(ネイビー)、ベルト(ネイビー)、ストッキング(赤)で持っていない物は別途購入必要。
一式内容
帽子
ユニフォーム上下