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デービッド・デュバルが単独首位
2003年のこの大会初日、インスタートの16番ホールを終えたところで途中棄権。そのときの理由を当時、デュバルはこんなふうに説明している。
「左肩の滑液(かつえき)のう炎にかかっていて、数年前から腰や腱、筋などにも痛みが生じるようになっていました。今年も8月以降、5週間寝込み、結局10週間ずっとゴルフができない状態でした・・・」。
このころからすでに、デュバルは体のあちこちに痛みを抱えていたようである。
それを少しでも軽減するようスイングを変えたり、グリップを変えてみたり、さまざまに取り組んだが、それがすべて裏目に出た。
この年を境に、転落の一途をたどったデュバル。
97年には、初優勝からの2週連続X
98年には、年間4勝で米ツアーの賞金王に輝いた。
99年にはタイガー・ウッズを押さえて、世界ランク1位に。
00年のワールドカップでは、ウッズと組んで母国を勝利に導いた。
ウッズと並んで2強と呼ばれた時代もあったが、今は見る陰もない。
ここ3年はシード権さえ確保できないほどひどいスランプに落ち込んだまま。
今季の獲得賞金は7,630ドルで、ランク260位は自己ワーストだ。
そんなデュバルが、2001年に初出場にして大会初優勝を飾った思い出の舞台で、復活の兆しだ。
「自信を取り戻すために、これまでいろいろとやってきたけれど、結局は上手くいっていたときのスイングが一番良いということがわかって。いまは無理に飛ばそうとしなくても、ボールと道具に頼ればいい、と。いまは昔の自分に戻りつつあるし、自信もある。去年より断然、良いゴルフが出来ているんだ」。
大会2勝目で、かつての輝きを取り戻せるか―。
かつて、世界2強と呼ばれたデービッド・デュバルに次ぐ2位スタートに、「彼と競い合うのはほんとうに、久しぶりだよ」とウッズ。
「ここ数年の不振は友人としてとてもつらかったけど、彼も去年あたりから良い兆しが出てきていたので、この大会をきっかけにもっと良くなって欲しいと願っているよ」。
ディフェンディングチャンピオンは、親友を思いやる余裕もみせた。
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ちょっとゴルフを知っている人なら、
タイガーぐらいは知っているだろうが、このデュバルを知っている人は少ない。
彼は、タイガーと同じぐらい強かったのだ。
ここ数年不調であって、ほとんど予選落ちとなってしまい、みる影もなくなったが、あの強さは忘れられない。
タイガーが情熱的なゴルフをすれば、
デュバルは冷静なゴルフ。
非常に対照的で面白かった。
でも、デュバルもグラサンとると可愛い目をしています(笑)
マスコミ、デュバルの放映頼むぞ!
と思ったら、早速2日目ボギー叩いてた。頑張れ!D,D!
ちなみに
田中秀道が6位タイ発進
「ヒデミチ〜!!」。
久しぶりに従えた大ギャラリーに、日本語で声援を送ってもらったことも力になった。
「・・・アメリカでは、“どこのジュニアが紛れ込んできたの?”という感じで、みんな冷たいもんですからね」。
2003年のこの大会以来、2年ぶりの日本ツアーで、生き生きと戦っている。
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秀道にも頑張って欲しい。