2008年、百里基地での震電の勇姿です。(もちろん架空)



米国から帰国した機体を現在の日本で飛行可能な状態に戻すため、
技術的な問題も多かったが、最も法規的に規制がかかり、
やはり日本では飛行できないのか、という諦め(秋水は修復されても
会社のなかに閉じ込められたままになったことを思い出した人も多かった)
が、時の総理大臣が石原氏にかわったとたん、事情は一変した。

パイロット脱出用の機構と最新の電子装備を搭載することにより、
日本国内での飛行が可能になったのだった。オリジナルをかえてしまう
ことに議論は沸騰したが、飛行という言葉が皆を納得させた。

2008年、格納庫で静かに震電は待っていた。日本で飛ぶことができる
その瞬間を。

今、格納庫の扉が開く。それを祝うかのように、ゼロ戦の復元機が元気に
ローパスしていくのであった。