宗匠の一言

山あげや将門天を跳び渡る 昭雄
山あげ祭がどういうものかは、季語として分かっている、そうすると、その演目で将門のケレンがあって、ホホーと観衆のどよめきが上がるのまで見えるというのが俳句の面白さ

大賀蓮咲かせ男の顔の泥 昭雄
大賀蓮といわれると、やはり、千葉県人の宗匠はちょっと注目してしまうわけです

桑の実やけんけんで出す耳の水 比呂
川で泳いでる、この感じが分かるかどうかでこの句の評価は分かれる、さらに、桑畑の先に川って有るんですよといわれると、私も分からない

震はせし糸に泣く木偶著莪の花 比呂
ちょっと、著莪の花とでは弱い気もするが、糸に泣く木偶で決まりですか

桑の実や釘挿すだけの木戸の鍵 ともこ
こういう些末に詩情を見つけるというの、扉調などと言っております

聖堂の扉全開梅雨明ける 郁子
インパクト少ないが、すなお

梅雨寒や女闘士の口の闇 一構
これ上手い、辻元清美ですね、時事句というのは消えて行くものではありますが

梅雨明けや子の駆け行ける田圃道 鴻
童なんて言葉今時無いでしょ、旧かなだからといって擬古文でというのとは違う

擦り傷を唾でなだめて桑苺 清子
なだめて、って言葉遣いがちょっと臭みがあるんで◎まではいきませんでした

塩薄き老舗の宿の鯛素麺 敬子
瀬戸内の・・」は当たり前で面白くも何ともない、でも、鯛素麺てそう美味くない、
瀬戸内の鯛飯は美味いぞ!

剣豪の小さな墓や木下闇 敬子
こんなところに武蔵の墓」といっても、こんなところがどんなところか分からない、嘘でも剣豪の小さな墓といえば、顧みる人も少ない、意外性も出てくる

山あげの将門の段梅雨寒し けんみ
山あげ祭は季語として評価されていますが、マイナーですので季重なりもありでしょう、でも、栃木では、独立季語として扱う方がベター、どうか、分厚い歳時記も買ってくださいね

絹の里たりし荒畑桑実熟る 幸一
荒畑の桑の実熟れる絹の里」はナンセンスです、絹の里なら、桑が栽培されていなければおかしいのです

育ちゆくほどに眩しき雲の峰 幸一
もくもくと空に眩しく」そりゃ当たり前すぎて面白くも何ともない

風の波寄せては返し青簾 幸一
青簾行きつ戻りつ」では面白くも何ともない

桑の実や戦に散りし餓鬼大将 登美子
戦地に散った」という散文的表現はやはり引っかかります

梅雨明けや塀に並べる洗ひ靴 登美子
シーツにしても、靴にしても発想が当たり前ですから、高い評価にはなりません

クレーンの腕の伸び切り梅雨の明け 信子
クレーンの手一直線に、ちょっと語呂が悪いね、クレーンは案外素材として使われてますし

人参の金魚が椀に夏料理 信子
盛り鉢に人参の魚」というと、結構大きな人参で作った魚の形の煮付けみたいになります、この場合の金魚は季語として扱うことはしません・・季語だという考えもありますが

陣取りの陣の広がり苔青む 美代子
青苔って季語にはならんのでしょうね

糸車繰る手やはらか桑いちご 美代子
桑>蚕>生糸>糸繰りってわけですが、柔らかい手かは疑問

鰐口の一打の軋み梅雨の明け 美代子
こういう、意外なところに発見があると評価されるわけで、取り合わせの妙と申します

蠅たたき探しをる間に蠅失せる 栄機
取ればいづこへ」の原句では、ずっと見えてる感じで消えないよ


============ 宗匠の一言これで終り ==