10月のもう一言

アカシアの黄葉冷えする北の町  
>黄葉冷えしてアカシアの北の町

秋深し埴輪の馬の目のうつろ  
埴輪の目だの口だの、使い古された素材、埴輪の馬でちょっと目先が変わったが

園児らに汽笛優しき刈田道  
>園児らに汽笛優しく刈田道

尾根越ゆる雲の切れ間に草紅葉  
草紅葉というのは一面の野原で尾根越える雲と一等書記官にしないほうが

ゴンドラの下は別の世紅葉照る  
>ゴンドラの紅葉浄土の中へかな

猪狩りの衆知り尽くす八溝かな  
八溝はわからないかもね

深呼吸秋バラの香と青い空  
>青空に満ち秋薔薇の香りかな

瀬の音のもみじ帳を透かし来る  
透すを「とおす」とは読まないことです

素っ気無き返事でつつく牡丹鍋  
素っ気無いというと、人間関係が冷めた感じ、鍋に夢中で話どころではないというなら「空返事」でしょう

断崖に鷺の見下ろす崩れ簗  
断崖というと川面との距離が相当あって、餌を狙う鷺としては不自然

束の間は魚篭ごと跳ねてもみじ鮎  
束の間はという時間の経過で物語性を持たせようとするより、瞬間の切り取りを

吊橋や百歩の宙の紅葉渓  
>吊橋の宙への百歩紅葉渓

廃線のレールの温み蝗かな  
>廃線のレールの温み蝗飛ぶ

ひとつ見て二つ三つ見ゆ秋の蝶  
見る、聞くなど五感の動詞は使う必要が無いというより、使わない工夫を

民宿の猪鍋囲むクラス会  
料亭の猪鍋ってのはあんまりないな、すると民宿はいらん、でクラス会か猪鍋を描写すればいくらかかたちになって、単なる記録ではなくなる

紅葉濃し嶽の極まで照りこぞる  
照りこぞるというと極みという一点とのバランスがおかしくなる

紅葉坂七重の奥の行者堂  
いろは坂の七重の行者堂のことなのだが、わかるかな

紅葉の水くれなゐに岩はしる  
”ちはやぶる神世もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは”ですね

湯の宿の紅葉の山に夕日照る  
>湯の宿を囲ひ夕日の紅葉山

路地になお残る黒兵衛次郎柿  
>路地になほ残る黒兵衛次郎柿


何度もお話ししていることながら
           【切れ字の「や」について】
「吊り橋や」、とあると「吊り橋があります、さてそれは置いといて、目を転ずると」
というふうに、話が別のことになるがゆえに、「切れ字」というのです
ですから、「吊り橋や」としながら、続く中、下句で吊り橋の描写をするというのは
切れ字の機能を無視した、文章作法上の間違いであるということができます
この点くれぐれもご注意ください



============ 宗匠の一言これで終り ==