5月のもう一言

天平の初夏の錢塚龍の声  
???

紅の終は至福の白牡丹  
×

おだまきや母の詩編の涙あと  
×

新緑の都賀センター客多し  
×ただごとです、客が多くてどんなだったかがあって初めて詩が生まれます

母の日に届く花束鮮やかに  
当たり前でしょう

風掴み損ねて泛び豆の蔓  
泛びが?、ここさえ決まれば★です

防人の人恋ふ歌や青葉闇  
歌哀れとしては、それでとまってしまう

枝の末に蘂を残して散るつつじ  
えだのうれ」と読みます

春惜しむ金の鎖のネックレス  
襟元のネックレスは当たり前でしょう

藤の花野点の碗に香のこもる  
媼にほひけり、って老人臭にしか読めないでしょう

麦の秋線路軋ませ電車過ぐ  
形になっていますが、当たり前、一節が欲しい

楓の実の落ち居て海胆の群れる如  
ごとしは、よほどの発見がひつようです

揚げ雲雀防人辿り行きし径  
防人街道吟行すなど、句材として最悪です

座禅草紫衣の水辺に無想かな  
座禅草が無想しているかのごとくですか、紫衣はどこにかかるの?

こぼれたるものを拾ひて青実梅  
ずっと握り締めることがなにか他に思いを伝えられるか、只事では

野州路や壬生の追分麦の秋  
地名二つは多すぎです

水玉の散りし滝の辺木の芽引く  
散れし」という活用形はありません、滝は夏、木の芽は春

葉桜や閉ざされ箱となる露店  
縄で縛られみたいのがあるのです

ぎしぎしや歩ごとに湿る隠れ径  
歩幅に湿るより、歩ごとにの方が実感ありませんか

見はるかす遠嶺きりりと鳥帰る  
みはるかすは遠嶺には余分です

手を搏ては森の木霊す八重葎  
八重葎以外の季語を見つけて

初夏の陽射しを閉ざす木下行く  
行くは?、ちょっとあたりまえだけど

雨上がり新緑映えて鳥騒ぐ  
余分を言いすぎです

糠床の馴染みよろしき暮の春  
よろしもは?気取りすぎ

田植ゑせる子供の靴の泥雫  
わらべ」好む人がいますが、そんな言葉は非日常的過ぎます