12月のもう一言

ともこ
冬晴や虫の死骸の金属光
ホイップの角のとんがり冬苺
みちのくの雪積む上り貨物車両
数へ日や折込み卓に読み散らす
一見して言葉が多すぎますね
朴落葉船底型に乾びけり
秋になれば、木の葉が落ちて、どじょっこ、ふなっこは船が来たと思う、そんなところまでいくとよいのですが
信子
泣き面の空の鈍色冬いちご
寒々とした野っ原、冬苺の赤だけがわずかに色どりといった雰囲気
数へ日の町内一斉清掃日
冬晴の陽をのせ新車届きけり
景気がいいね、ご祝儀に一点!
方言の一人芝居や冬灯下
冬ともしってのはあるが、トウトウというのはあまり言わないようだ
冬銀河グラス触れ合ふ余韻かな
余韻には音の響きをも意味するのではありますが、そうは読めないんだな
ミヨ
数へ日や一日しづもる美術館
暮れの美術館、いかにもこんな感じと思わせるところが俳句的真実(嘘)なんですね
研ぎ師座す窪みにふくる冬日かな
研ぎ師というと刀剣研ぎのような感じ、包丁研ぎの類ではないのか
霜の夜や版木摺る音削る音
覚え無き脛の紫斑や冬の雷
楽譜伏せし子の涙よ冬苺
すべてが唐突、物語がなりたたない
比呂
竹針で繕ふ網や小春凪
屋根と扉の有れば住居よ冬苺
飛びすぎたね、理解しづらい
故郷の山は雪被て富士に似る
寒月光音消して着く救急車
景がリアルです
数へ日や山小屋薪の鎧たる
一構
海鳴りに障子わななく竜飛崎
竜飛崎が余分だろう
終焉の雨情寓居や冬苺
冬ぬくきことも話題に老人会
昔は寒かったなんて始まるんですかね
その後の噂聞きたし冬苺
こじゃれてます
朝日射す窓にのそりと冬の蠅
良人
かぞへ日の電飾街路逍遥す
デコレーションケーキに色増す冬苺
かぞへ日の入り日引き込む山の影
山蔭に日が沈んだということを言ってるわけね
かぞへ日の北へ数増す新幹線
北行きが増えればもどりもその分増えはするんだが、こういう言い方が俳句なんです
冬いちご仏壇灯す火の如く
仏壇の火ってのはさほどのものではないだろう
清子
禍も福も過ぎし証の古暦
実感かな
数へ日や納屋へ出入りの二度三度
評判高かった、目が利いている
藁塚の黙々として陽の沈む
思い入れが強いな、黙々とでシルエットなどを感じるのか?
セーターの着辛さ気付き後前
友寄りて記憶を掬ふ冬苺
コンデンスミルクを付けて食ってる感じかな
登美子
蝋梅咲く思わぬ数の雀来る
花を言えば「咲いている」、咲くは余分
炭ついだ後の話は忘れけり
忘れけりなどとは、年寄りの有名俳人がやると「自在の境地」などとほめてくれたりするが、無責任なだけ
立話数へ日しばし遠くにし
数へ日や仏壇にあるほこりかな
や・かなの併用は名人の域に達して許されるとはよく言われる言葉です
数へ日や鼻先へくるカレーの香
レトルトパックといわれると、そこまで手を抜かずと大鍋に作ってくれよと
芳子
枯葉舞ひ時の流れの止まれり
観念的で十分に理解できない
新居への引越荷物事始
師走13日が事始、新年を新しい家で迎えたいってのはよくある話で
数へ日や点滅早き電飾灯
点滅が早いくらいではもはや発見とは言えない
日を受けて赤つややかに冬苺
芳坊
サンタさんおひげながいねどこ行くの
満足に日本語の知識がないうちから俳句をやらせるより、童話でも読ませるほうがよろし
昭雄
数へ日や捲き癖修す新暦
新暦は季語だからね、べた付
数へ日や衣桁に残る仕付糸
仕付糸が自然に衣桁に残るわけもない
牧水の歩みし小径冬苺
道を歩くのは月並みです
軍鶏歩む今朝金泥の霜柱
一つづつの単語は華やかだが、並べても意味をなしていない
石垣の石の不揃ひ冬苺
石垣が耕作放棄の段々畑だったりがわかると面白いんですが
川原の小石押し上げ霜柱
川原の砂地ってあんまり霜柱の感じは?
冬日向鳶のゆったり空の舞
藁ぶきの農家に下がる吊し柿
山頂を目指す岩場の冬苺
小遣いを数え日で待つこどもかな
敬子
読めそうで読めぬ漢字や漱石忌
手びねりの壺溢れさす実千両
日向ぼこ鶴の折紙サンルーム
三句切れ
数え日のトナカイきらら医院屋根
クリスマスから暮れに昨今流行の家庭電飾なのはわかりますが、詠み切れていません
ログハウス濡れ縁下に冬苺
ログハウスに濡れ縁はないだろう
数え日や増える白髪数えたる
紅一点土色の野に冬苺
紅一点などと月並みにいってしまうからいけない
数へ日や夢いっぱいの子供たち
数え日や還暦過ぎしときめかず
冬苺今はハウスに食べられり
利孟
小夜時雨印押し終はる遺産分け
雪煙の頂き宙にくづじ富士
弁当を掻っ込む歩荷冬苺
数へ日や青竹担ひ来る農夫
ノッカーに噴ける青錆落ち葉降る