9月のもう一言

利孟
煙草屋の鈴虫の鳴くガラス箱
黄金の葉降らせに降らせ大銀杏
穂芒や淡き火影の石燈籠
懸煙草空茶啜りて検査官
花といふ白きヴェールの烏瓜
良人
荒縄のたわみわづかに懸煙草
香を閉ざす黄金のカーテン懸煙草
懸煙草前山隠す峡の村
高々と大銀杏黄葉街角に
厳として大銀杏黄葉会津路に
会津路にって場所もあまりはっきりしないし、大銀杏ならどこぞの名物とか分からないと
ミヨ
秋茜今朝沼に生れ日色濃し
生まれたてはさほど色が濃い訳じゃないけどこういうのは創作上の嘘で、読んだ人が
なるほどと騙されればそれは成功なんです
男郎花薪を絶やさぬ窯どころ
焼き物だと窯を焚くのは時々だしどう考えるか、ちと甘いが
銀杏黄葉一揆の楯の塀高し
一揆の楯ってのが分かりづらいね
懸煙草手伸しひたすら束の嵩
汲みこぼす延命水や笹竜胆
信子
煙草干す農継ぐ家の母屋納屋
雷雲に尾つぽまさかの竜巻来
まさか」でどどっと崩れちゃう
蜩や処世の道の浮き沈み
まあそういうことはあるけど、当たり前ですよね
栗飯のほつこり一口ごと香り
黄葉して銀杏並木や文教区
昭雄
懸煙草家郷土呂部の深庇
銀杏黄葉はふりなげては浴びにけり
銀杏散り嬰つんつんと蹴る湯舟
ちょっと遠すぎるけどまあ、
銀杏散る村に三つの釣瓶井戸
村に三つて、共同井戸がそれしか無いてこと?今時の話だろうけど無理があるわね
懸煙草棟木に響く一の槌
一の槌が分からんし
敬子
懸煙草蔵前ふさぐ香りかな
蔵屋敷映す川面に柳散る
古刹寺に銀杏黄葉の色尽す
紙の新聞紙て無駄な表現は要らんね
病む友へ葉月筑波の絵手紙を
月を替えてもなりたつ結構な句です
アンコールのタンゴを踊る敬老日
比呂
駆り出され子等も巧みに煙草干す
懸煙草昔羅宇屋と言ふ仕事
悪筆の詫状届く鳥兜
おざなりな詫び状なんだろうなとは思うが、切れがぐずっとしてるかも
初秋の川しろじろと雲流す
絶え間なく晶子の鳥の銀杏散る
晶子の鳥って、どうも金色のちいさき鳥の形して銀杏散る夕日の岡にからのようです
聖子
街の自慢の銀杏黄葉町起こし
干し小屋のラジオの高音懸煙草
干し小屋がやや妙な気がするが、そういう言い方もありそうなので
懸煙草小暗き小屋に深日射す
縄の目に並びて香る懸煙草
背負ひ籠に山と積みたる新煙草
多分そうなんだろうけど、背負い籠てそんなふうに使われるからへえーにならないよね
一構
銀杏の黄自費出版の案内状
読書の秋みたいな雰囲気あるね
早朝の銀杏黄葉や生徒過ぐ
そうだったんでしょうけど生徒が歩いて行くことに意味があるのかな?
公園の銀杏黄葉を蹴散らして
銀杏の黄勝利投手のハイタッチ
東大が神宮で勝ったとなるとこんなこともあるかもだなと考えたりも
懸煙草棚田に老いた手の農夫かな
懸煙草と棚田の農夫、取り合わせが妙な距離感があって響かない
移り香の満ち満ちたるや懸煙草
トンネルや銀杏黄葉の道ひらき
黄昏に染まる銀杏黄葉かな
走馬灯遠くなりたる懸煙草
懸煙草なんてことは追憶の中にある昔々なんだといいいたいのは分かるけど
そういうふうに読んでくれる人はいないでしょう
空青く銀杏黄葉風に舞ふ
輝子
学舎の道をば黄葉銀杏かな
をば?
幾枝も銀杏黄葉の遊びける
銀杏黄葉名女優と重なりぬ
なんの映画のシーンなのか?、女優がだれなのか誰も浮かんだ人がいないんだ、で、
あれこれ探してみると第三の男のラストシーンのアリダ・ヴァリのことかなどとも思うわけ
不器用な身の振り方や懸煙草
私小説みたいで良いと言う人もいるだろうけど、すぎなみきではこの手はあんまり受けない
シュルシュルと風巻き黄色銀杏道
老いた手の温もり残る懸煙草
老人が伸すものとは決まってないんだから、なんでその温もりがあるのか
二荒や公孫樹黄葉に巫女二人
巫女の人数になんの意味もないね、字を埋めるだけではいかんでしょう
照り映える銀杏黄葉に後の月
季重なりだし、後の月を十五夜がまだの句会に出してもね
古ベンチいてふ黄葉のカード舞ふ
なぜ「いてふ」とする?、落ち葉をカードに見たてた?だけどカードが降ってくること自体異様でしょう
孫駆ける銀杏黄葉蹴散らして
孫が駆けることに意味があるのか、俳句の主語は基本的に一人称で
それは表現しないのです、孫がどうしたで入選狙うなら老人会で遊ぶ方が良いですよ
木瓜
黄や眩し銀杏黄葉の舞い踊り
黄やまぶし」て日本語として通用するか?
悩ましや銀杏黄葉の遠眺め
何がなやましいんだか?、遠眺めなんてまあ談林の時代ではあるまいし
秋涼し腕に痒さの薄残り
夏に蚊に刺されて秋になっても痒いって?無理でしょう、薄残りってのも頂けない
懸煙草時の流れの止まりたる
まあ、煙草博物館の展示でも見てるならそんな思いもあろうが
沁みわたる永久の香りや懸煙草
禁煙の禁断症状か?