11月のもう一言

利孟
納経の朱印に墨書返り花
爺婆を追ひて小走り七五三
冬近し金で繕ふ疵茶?
二の酉や串を弓手のコップ酒
天高し岩に爪彫り百羅漢
ミヨ
どぶろくの咽喉とろりと飛騨の暮れ
菰巻くや侍塚の一構へ
枝あばれ木瓜返り咲く休み窯
石切りの石の声聞く冬隣
石の声聞くてフレーズはあるよね
筑子や百戸の渓の初しぐれ
百戸がきになるな
比呂
冬近し影の漕ぎ行く夕渡し
稲孫田の実の無き稔り疾風雲
首咥へ運ぶ猫の仔枯葎
抽出しに覚え無き螺子冬はじめ
里山に響く禽声返り花
信子
音立てて王手飛車取り冬隣り
名馬の子名馬とならず小春丘
冬満月を帰る畑の事了へて
返り花とて満開てふ花見頃
初めての恋は十三返り花
こりゃ老いらくの恋を求めとる句ですか?
芳子
組子の窓影やはらかき今朝の冬
浮寝鳥離れし一羽むかふ岸
月光の青白き帰路返り花
林檎浮く湯の香染みゐる里の家
炉にかざす手に皺深き人生感
下の句の人生感で折角の上中が崩れちゃったようです
敬子
返り花日のぬくもりの残る峡
呆け封じの寺に一輪返り花
返り花ってのは一輪二輪のもので、とりたてて一輪をいうものではないでしょう
侍塚菰巻しかと冬近し
返り花染付徳利の風情あり
リハビリの持ち場一つの芋煮会
分からない
良人
河原飛ぶ鳥の数増す冬隣り
街中に荒ぶビル風冬近し
汽車走る土堤に?子の返り花
災を余所に大島椿狂ひ咲く
サイは頂けませんし、椿って冬から春へのもので狂い咲きてイメージは薄い花ですよね
境内の躑躅の株に返り花
そう、いかにもそれは返り花ですが・・
昭雄
冬近し函の螺子巻く曲なかば
真青なる空ありてこそ返り花
返り花楚々と雲間に日矢落ちて
冬近し空突き上げる大欅
箒木なんていう言い方もあって、冬なんだという感じなんでにちょっとずれるかと
返り花終の力を光とし
草の実を体に着けて犬走る
好天にひねもす一人甘藷堀る
行く人のふと立ち止まる返り花
そこで見た返り花になぜ足を止めたか、どんな花だったかを詠むのが俳句なんです
散歩道木の葉黄化し冬支度
読み上げて、キノハオウカシと聞いてどう理解するかです、分からんでしょう?つまり、黄化なんて字面ではわかるが音では判断のつかないような言葉は極力避け、キノハキイロニとかすることが伝える工夫です、この句は黄葉と冬支度が重なってますから取りづらいですけど
枝卸す庭の楓や冬支度
剪定、枝おろしてのも季節のものですよね
聖子
冬近し芸術展に我書あり
気合い入る体力試験冬近し
信号で軽き足踏み返り花
腕萎ゆる予防注射や冬近し
中庭の眺め程よき返り花
届きたる母の便りや冬近し
生きていて山あり谷あり返り花
戦没の慰霊立て看返り花
返り花季節と人を惚れ直す
返り花で春よ再びみたいなことを思ってかだが、そういう方向は目指して無いんだ
冬近し車窓の色は土の色
電車の窓からの景色であるということに如何程の意味がある句か?
輝子
カリカラと縮れし葉舞い冬近し
いたづらに誰か付けしか返り花
返り花若きはじらい枝の先
返り花垂れし絵の具の技なるか
抱き子の寝入り温か冬近し
巴塵
英霊やかえり花咲くさくらかな
返り花の定義としては本来桜の狂い咲きとなる、すなわち、桜かなは不要なのですね
木瓜の実や握る小枝に花ひふみ
触太鼓打つの宮ゆく冬となり
こういう遊びは都々逸か何かでは粋なんだろうが俳句はそこを狙っていない
錦ふむ社の庭や冬隣
多分落ち葉踏み分けてってことでしょ、もう少し冬隣をさがしましょう
冬近し眼鏡をそっと枕元
眼鏡ってそんなに大事なものか?そうじゃないと思うんだが、そうすると誰かが枕元に置いた、見舞いに来たかしてメガネ届けたとか・・よう分からんでしょう?
木瓜
むささびや空を切り裂く森の闇
原句は森の闇が空をきりさいているんですね、そんな話はきいたことがない、てにをは、切れ字正確に使って思いを伝えてください
返り花人の心を引き止めて
冬近し白カンバスに明日を描く
明日ってのはどんな絵なのかイメージできない、できる人は取るんだろうけど
返り花小悪の石に善を見る
何を言ってるかこれでは会話が成立しないでしょ、一読句意明快が基本中の基本、ひねるというのは難解にするというのではなくて、いかに伝えるかに工夫、苦心するということ
気も清ああ冬近し自然生
清にサヤカとふりがなして読ませるということに無理がある、気とは?大気?心意気?なんだろ?。嗚呼というところから俳句が生まれるんです、言うんではありません。自然生は広辞苑には自然実生のこととして載っているそうですが、それで一応言葉として受け入れるにせよ、冬近しと実生の植物がどう結びつくのでしょうか?、さらに言うなら、実生であることにどんな意味があるのでしょう?、木が生えてる、草が生えてる、そこに花や実がついてるということしか眼前には見えないし、それを区別しても基本的には何の変わりがうまれるわけでもないのでは