4月のもう一言

利孟
たつぷりと水くれ首を刎ね台木
花苺袋で売らる刻み藁
新しき道の北へとなほ残花
棘の疵までの香りや木の芽摘み
駘蕩の雲より生れ飛行船
信子
のどけしやしばにあづけし鳩の胸
宵の春氷おどらす火酒グラス
ワイングラス、ブランデーグラス、リキュールグラスとはいうが火酒グラスってのはどうも落ち着きません
一雨のしづくに濡れし接木かな
影一つづつ一列の接木かな
紐に紐に結び電燈寒戻る
木瓜
接木してふたつ顔持つ男なり
長閑なり雲もゆらりと座れけり
座れ+けりという活用接続は無い、雲のほかにゆらりと座るものが他にぴんと来るものも無いから「も」は使えない
隔たるも接木ひとつとなりにけり
長閑さや味わい深し日暮れ時
味わい深きというところから俳句が出来るので、その味わいが如何様であるかを詠むのが俳句です
囀の陽の光とや交じり射す
とや」が好きだがその正確な使い方をしていないからなんのことか意味不明の句になってしまうのです
聖子
農業祭知事の配りしチューリップ
配る素っ気なさ、手渡す温もりを感じ分けてほしい
堆肥多目に水たつぷりと接木終ゆ
堆肥を入れる?
大木の桜由来の名所札
長閑しや夕日に映えて寺の屋根
農を継ぐ心を託し接木かな
一構
足湯してせせらぎ聞きて長閑なり
て、てと続けてはうるさいです
長閑なり光を放つ機影かな
長閑なり眉にピアスの陶芸家
長閑よりはとんがった感じがするけれど
長閑さや道でメールを女学生
長閑よりはウザイけどね、道の真ん中でも車も来ないし長閑だね!ってこともありましょうが
ミヨ
長閑さや舞ひ切る鳶の風まかせ
夕雉子や一服惜しむ農良仕事
お薬師の羽目つくろはづ花は実に
接木とて親木に重ね年輪かな
下六もうるさい
夕ざくら笛の音遠くしづごころ
昭雄
巫女溜り草履輝く五月かな
春の虹二重に三重に大谷川
川の飛沫にできたような虹は季節感の有る虹としてはいかがか?
接木する父一徹の肥後守
肥後守でやるか?、父の一徹といえば巨人の星だが
大マスク双眸語る佳人かな
マスクを掛けていても二つの目が美人だとかたっているというわけね、
だけど日本語になってないね、普通なら双眸が佳人を語り大マスクとかなるだろう
長閑けしや語り部となる埴輪の眼
眼でもの言わせるのが好きだね
輝子
山を背に上り勇姿の鯉のぼり
のどかなり枝飛ぶ鳥の桃源郷
棚引きて姫白蝶ののどけしや
頬撫でて流る風ものどけしや
陽の流る山路越え行きのどかなり
比呂
よく走るアリスのウサギアマリリス
軽病みの屈託の日々桜蘂
桜蘂降るが季語されますが、桜蘂でも十分に季語であると利孟は思っております
古書店に古書新入荷長閑しや
古書の新入荷という言葉遊びを狙った?
鳥交る鶏舎はいつも騒しく
台木には遠縁なれど接木せる
敬子
桜茶屋手打ちの蕎麦に長き列
手打ちの蕎麦ってのは伸びちまってるみたいで、手打ち蕎麦の方がスッキリだね
久々に亡母の愛でたる薔薇を活け
長閑けしや鳶ゆつくりと旋回す
接木する友引の日の軒先に
脳トレの傘寿が描くチューリップ
魚下げて家路に向ふ日永かな
春の朝雀等の声目を醒ます
日本語ではきほんてきにふくすうけいはつかわない、雀等などあり得ない日本語では、
その雀等の声が目を醒ますてどういうことなん?
暮れ遅し居眠り始める老夫婦
春の宵子等ベー独楽に熱中す
なんでこうも「子等、子ら」などと出来損ないの警察官の声かけのようにくりかえすのか?、
水遊びだのベー独楽だの大の大人と思う人より子供の遊びと思う人の方が多いのだから、
無駄な主語なのです、俳句には大方主語を提示しません
春の昼子ら賑やかに水遊び
水遊びは夏、季違い
接木の穂木からの芽も伸びにけり
良人
板塀の続く小路ののどかなる
頼もしきだい木の幹の太さかな
のどけしや釣人癒す吹く小風
イヤスフクコカゼ?分かりませぬ
子の遊ぶ川辺の風ののどかなる
長堤をひとり歩きののどけしや
長閑なるベンチで話す老夫婦
まだ老夫婦じゃ無いと思っても周りから見れば十分老夫婦だよ、塩田夫妻も
おしやべりの長閑な口調座はなごむ
長閑で和むは当たり前、単純にのんびりという意味でののどかはきごではない、
春風駘蕩のような春の様を抽象化して長閑でと言っているなかで何を詠むかです
手をつなぐそぞろ歩きは接木かな
接木を見ると手を繋ぎあっているようだてこと?
親木あり親子に似たる接木かな
親木に子木をついで親子みたいだてこと?
田園に遊ぶ童ら長閑かな
巴塵
長閑さや三枝の礼の親子鳩
花に似ず池駘蕩の水面かな
花に似ずに何やら難しい意味があるとかですが、多分間違った知識です
待ち焦る細い接穂に花一つ
季語としての接木は接木をするという行為、とその周辺で去年一昨年に接木した接木苗はもはや季節の
ものではなく通年のものであるのです
長閑さや池にただよふ夕日かな
釣り人や風駘蕩の舟の上