5月のもう一言

利孟
筍の昼に三寸夜に五寸
頓着も無く脛さらし更衣
青嵐天狗は岩に凭れゐて
結構強い風ですから、なんか天狗が関わってもと思うわけですが、実は天狗も気持ち良く吹かれておる
て面白いと思いませんか?
母の日のバーババーバといふ電話
折ぎの香を隠せる甘さ水羊羹
昭雄
棟上の槌の音木の香青嵐
よく出来てます、香り、音、肌を撫ぜる風、調子もよろし
草矢うつ少年の夢秘密基地
また秘密基地を使ったらアウトでしょうね
母の日や切れ味修す出刃包丁
切れ味修すて、難しいこと言わんでもいえるのでは?
母の日や辞書引ひてみる花詞
引くはカ行ですから、引ひてなんぞはあり得ない、花詞ありでしょうが、花言葉の方がわかります
青嵐雨情旧居の案内板
似た様なのあったね
良人
母の日や苔に隠れる墓碑の文字
鯉群れる池に波立て青嵐
青嵐牧牛の背を吹きわたる
青嵐杉並木路を吹きめぐる
日光のお膝元のすぎなみき句会としては、スギナミキジなどとは言わぬがよかろうかと
青嵐水田の先は那須連山
敬子
吊橋の下は千丈青嵐
これはいいね、祖谷のかずら橋などと言わぬ方が良い
語部と栃の花咲く街を行く
裸で語部と使うと、やはり文字の無い時代の存在になります
回廊に点る一灯柿若葉
点る一灯となると、外の見えない暗い回廊だから、柿若葉との対比が不自然なのです
母の日のピアノ弾く母傘寿越え
傘寿の母て、誰のことか?
横文字の新館囲む鳴子百合
横文字の新館で何を連想するか?、鳴子百合となると山のリゾート地的な雰囲気だし
比呂
黒船の着きし港や古茶新茶
泰山木あるらし匂ひ御影堂
泰山木が目に入らないてどんなに大きな御影堂?、あり得ないでしょう
宰相の人喰ふ話青嵐
青嵐会なんて過激派?もいたし、近頃の首相は元気が良いし
母の日や父に寄り添ふ母の墓碑
父が生きてる?、父母の墓が別てのも余程の家柄でなければで、わかりやすいずらい
尺取の一国父の遺言書
一国ものの父の残した遺言書ということと、尺取り虫の必死の様を重ねたという仕掛けなのだろうが、
でその遺言の何が一国なのか分らないんだよね
聖子
音立てて水飲む牛や青嵐
いいね
青嵐背なを反らして犬を曳く
母の日や母の鼻歌昼の風呂
よく分かるけど、そんなにするかね?って感じの方が強くて
青嵐水の中にも野の光
やり過ぎた感があるんです
青嵐田の水風の意のままに
ちょっと無理でしょう、細波が立ったりとかいうのをそう表現するのは
輝子
青嵐木の裏陰に夫婦鳩
青嵐水田に弧を描きたる
母の日に小遣いいるかと問う母
母の日の婿の便りを神棚に
娘らにご馳走振るう母の日よ
ご馳走を振り回すわけじゃ無いから振るうはいけませんでしょ
信子
電線の繋ぐ鉄塔青嵐
母の日の箱をはみ出す朝刊紙
母の日の朝刊が分厚いてのに理解があまり及ばないんだ
母の日の水湛へ挿す盤の花
昏れ残る白い仏塔青嵐
青嵐は利孟の感覚としては昼間の明るいイメージがありまして、黄昏時とは重ねられないのです
過ぎる世の早さよ母の日なりけり
同感ではありますが、母の日ならではというものでもなさそうで
芳子
一杯の酒酌み交わしをり若葉風
一杯では少ないでしょう、音数は上手くごまかしてますがちと外れるようです
薫風や正座唱和の射法訓
面白いと思います、ただし、射法訓が世に通じた話では無いのでちとかんがえさせられます、もう少し
絵が見えるようにしてほしい。
母の日や嬰子の泣き声空耳か
母の日にぼんやりしていると、子供を産み育てていたころのことが思われるて感じ
青嵐一色に萌ゆ棚田かな
春霞遠く近くに父母の声
芭塵
陛や祓ひ清めし青あらし
や」で切ると青嵐が何を清めたのか分らない、一番ありそうなことに添削しました、ちなみに陛も
キザハシと読むのですが、下々の近寄れるキザハシではないので神社の階段くらいなら階です
青あらし苗の影消す田圃かな
苗と季重なり
看護室ピンク溢るカーネーション
ピアノ弾くフリルの少女カーネーション
獣道ざわざわざわと青嵐
クマにあったとかそんな話は分らないものね
一構
青嵐古墳百穴鳩の翔
翔をなんと読むか?あんまり勝手に読みを与えてはいけないでしょう、それに、百穴は古墳とは言わない
のでは?
母の日や漢いつもの米を研ぐ
特殊でわかりづらい
青嵐選手溜りの戸口かな
業界事情はよくわからん
母の日に演歌を歌ひ雨滂沱
母の日の姉妹そろひて丈夫かな
母とその姉なり妹なり共に元気てこと、おめでたい
母の日や子ら集ひ寄り祝賀会
いつまでもコラコラと昔の仕事の口癖はやめましょう、祝賀会なぞ母の日にやりますかね?
母の日に老母励ます子らの会
全く発想が同じ句を同じ句会に出すてのはどうしたものか?
幼子の蚊帳に乗せろと真顔かな
そういうこともあるでしょう、だけど、だからその何が感動的なの?ましてや、真顔であること
に何の意味があるの?
ちょろちょろと漏れてる水に花菖蒲
ちょろちょろ漏れるて、老人句会としては禁句でしょう
青嵐噴水柱を右左
よく分かる景ですが、噴水は夏の季語
カーネーション贈りたいけど母は地下
黄泉の母へとカーネーションとかすれば形にはなります
OLや髪に手をやる青嵐
やできると、作者がOLを見ている・・どこ見てんだか?て話になる
母の日やいつも心の中に置き
何を心に置いているのか分かる様に詠まないと凡夫どもには分らぬです
自転車のよろけたりして青嵐
よろけたりしてて、音律整えるための苦肉の策が面白かったりしますが、どうしたものか
青嵐信号待ちや髪乱れ
これが自分の髪で、OLの髪はスケベジジイが見てるわけね
木瓜
青嵐やおら若気を齎さん
なにやら疼くものがあるのか、思いが重い
老いし皮剥ひで革む青嵐
剥ぐが終止形ですからハ行にはかつようしません、生兵法は怪我の元、革をアラタメルと読ませて皮と
掛けるなどという算段をするよりわかりやすい言葉遣い、正しい文法を心掛けること
母の日や授受を併せて授かりし
程度の話をなんでこうも難しくするのか、格好つけたって通じなければバカみたいて話でしかない
万物の煌めき始む五月かな
揃いすぎだね、当たり前だし発見は無い、煌めき程度の漢字にフリガナを振るてのは連衆を舐め
てる様にも受け取られますよ
母の日や妻とその人重ね観る
その人なんて危うげなことを句会なんぞで公言しないこと、最初に連れ合いの前で披露していれば、
単なる空想句ですむけど、俳句は基本的にその人の人生の反映なんだ