10月のもう一言

利孟
酔ひ兆す額に鱗の鮭漁師
鹿鳴くや一夜一山行き来して
大野分古城天守の震へゐて
不知火や浜に舟上げ默の漁夫
製粉の日付手書きに新蕎麦粉
昭夫
野分晴切手の子規の野球帽
又三郎追ひかけている野分かな
暁に鹿声聞けり奥白根山
ロクセイなんて嬉しくないね
鹿の声木地師十戸の村眠る
十戸に意味があれば格別、数えたわけでもないんでしょうし
朝霧の統べゐる祖父の遺愛の田
一面の霧に覆われたあたりが全部祖父さんの田圃だった、大百姓だね=Aだけど遺愛の田ってのがどんなもんかねァ
比呂
鍵型の肝煎屋敷秋桜
角切られ雄鹿妻呼ぶ声もなし
雨情旧居の小さき筆塚野紺菊
城への道訊いてくなん処初紅葉
そんなネーミングの案内所があったんでしょうか?、クナンショって会津弁でしたね?
初野分英世に灯す絵蝋燭
野分との配合が理解できない
ミヨ
鹿鳴くや鉄塔つなぐ作業道
目が効いてる
天狗の面神とし奉る菊の酒
古峰神社のことだろうが、あんまりややこしいこと言わないで
小鳥来てあくまで遊べ慈母観音
小鳥来るという季語が餌に寄ってくる小鳥みたいに使われているのはちと違うだろう
秋日和地べたに描くピカソぶり
ピカソってのは地べたに描いて見せたのかね?、単に砂絵とか、あるいは棒で子どもがいたずら書きしている辺りを詠う方が良いのでは?
野分後とみに奏づる大谷川
水量が増えたからってことでしょうが、いつも流れの音が有名なのかしらん?
木瓜
落陽に包まれ熟す木守柿
俳句らしい形になってますね
色変へぬ松前だけを見て育つ
色変えぬ松という季語を上手く詠いましたが、7音の季語がうまく切れていないために読み返してはじめてりかいできるというくるしさがあります
若き鹿人間社会にジャンプする
まあ独りよがりなだけですな
乱るるに清かなるらん野分後
木瓜咲くや一日一句を記すべく
信子
古都巡る旅路や真夜の鹿の声
奈良のツアーでも行きましたかね
野分晴れ列なしバスの発着所
列なすの主体が不明確
小走りの背ナはすかひに夕野分
台風が近づいて急に雨風が強まって慌てて駆け出したんでしょうが、はすかひにというのは細かすぎないかね
火酒傾ぐ秋夜一人のカウンター
一人で雰囲気に酔ってる句だなあ!、酔わせてくださいもう一度♪なんて言ってね
中継のマイクが拾ふ野分音
聖子
押し入れに用無き玩具十三夜
何となくだがおもしろいかも
野分雲カメラに納め持ち帰る
持ち帰るは芸がないでしょ、雲の様子も分からないし
野分晴遠田の煙棚引いて
すぐには火がおきないような気もしますがね
色ずいた山に牡鹿の声微か
風音をじつと聞き入る夫婦鹿
良人
猶ほ残る山の装ひ野分あと
山装うと野分あとと季語がふたつになりますがまあいいでしょう
古峰へ野分遮る大鳥居
ここは古峰山でフルミネと読ませる方が落ち着きが良いでしょう
バスを待つ列を横切る尾瀬の鹿
ふーん、面白いところみたね
葦原に長蛇の一線野分かな
木霊する鹿の声聞く湯治宿
敬子
野分来る五体揺すぶる坂の上
台風の中、坂の上に立ってる老人てのは問題ですな
鹿追へば山路を迷ふ日暮どき
同窓の若きアルバム十三夜
言いたいことは想像がつく、だけどそれが言葉をで表現されていない
秋深し移り行く世の趣味の会
さすがにこれは分かりようがない
紅葉時カメラ犇めく竜頭滝
野分きて蝋燭ともす家の窓
鹿刺しや夕餉の膳の旅の宿
過ぎ去りし晴れ間ののぞく野分かな
まさにこれ全体を野分晴れとか野分あとと一言でいえるのです
災害や住めば都の野分かな
まあそんなこと言っていて家が流されているわけですが
鹿を追い山を見忘れ悔やむなり
輝子
厳島人より偉そな鹿ばかり
まあ、川柳の傾きがありますが、ときには良しと
休田の畦に光るる尾花かな
山を背に湖面に写る恋ふ鹿よ
言葉が多すぎるね
風速る月の光隠研ぎ澄みて
辞書に載ってないような言葉を創造しても通じませんね
雲走り命吹き込む野分後
巴人
庭霽れて下駄の重さや鹿鳴花
下駄の重さやというのが面白いが、なんで霽れやら鹿鳴花なんて言わなきゃいけないのか?
をちこちに投ぐる瀑弾野分かな
雨の爆弾を瀑の字で捻ってもそれはいけません
大祭や拝殿に聞く鹿の歌
雅楽か何かに「鹿の歌」なんぞがあるのかと思ったがそうでもないようで
老い鹿の声曳く夜半の裏通り
呆け鹿がウロウロと街を徘徊?
ギャーと鳴くおどろおどろし渡来鹿
ですか・・