11月のもう一言

利孟
稔り田を行く気動車の薄煙
桃割れのおでこの産毛七五三
うそうそと人工関節さわぎ冬
谷間の空に潰れて木守柿
作務僧の膝の継当て冬に入る
昭雄
神無月杉山杉の秀をきそひ
黒猫の金の双眸神無月
少女はや女の仕草七五三
神無月馬場に乱れし蹄跡
整然とした蹄跡が馬場の通常ならありだろうが
七五三母を見上げる三才児
まあ見下ろしたら驚きで、これは当たり前というだけ
ミヨ
帆船のはためく舳先北風へ向け
舳先ははためきませぬ
朝粥の吹く音はやす尉鶲かな
真新し足袋先余る七五三
神杉の瘤撫で拝す神無月
秋茄子焦げし金網郷近し
あれこれ思い入れがある様ですが詠えていません
輝子
神無月いづ処へ行くや飛行機雲
これで「行く」は言わなくて良いでしょう
境内に鈴の音唄う七五三
父の背で揺れる簪七五三
こんなところかな
神無月草木の影の地蔵尊
神無月夕日に眩し点滴棒
点滴を提げる台のことだろうが、ちゃんと名前を聞いて使ってください
巴人
天つ風四手の波立つ七五三祭
大袈裟だね、努力賞
七五三六方踏みし男坂
完了形で表現するというのは小さい頃にという回想ですか?、現在形で良いでしょう
雲走る夕間の麓神無月
いい景色なのかもせれませんが、描けていませんね
神の留守阿吽の睨む社哉
阿吽は睨みません、阿吽の獅子や仁王なら睨みますけど
七五三熨斗目袴にあやつられ
どんな格好してるのかもよく分からない表現だ
敬子
神無月歌麿道中舟で行く
歌麿道中なんて知っている人栃木以外ではわかりませんから、神無月を使う意味はないです
柿好きの夫に枝ごと供えけり
何を供えたの?、皆さん好意的に柿の枝だと解釈してるがそう書いてないということちゃんと読まなければ鑑賞はできません
とんぼうの飛び交う中に六地蔵
六地蔵も飛び交っているかも
走る子のセーター星の模様編
動体視力に衰えはないようですが
七五三母手作りの絞り染め
そりゃ凄いことだが、特殊すぎて理解不能だね
信子
人移り住むかも火星神無月
冬近し投げ餌取り合ふ鯉と鴨
鴨も冬の季語だしね
どの子にも今日の青空七五三
なんか自分の中では思いがあるのだろうが何も出てこない
犬ころの尻尾打ち振る菊日和
神留守の車に緩きハワイアン
たまたま神無月だったてだけで、響合わないね
比呂
神無月一の鳥居は街に置き
街に置きというと人家、商店を取っ払って無理矢理立てたみたいじゃないですか?
秋黴入末社に供ふはだか銭
まあ、あんまりお包みして上げることもしませんけど
紐付けて履かせる草履七五三
見かける風景だが、それだけ?
仏具屋の淡き灯や秋夕べ
葬儀屋の模擬葬式や神無月
身にはつまされますが、評価するわけにはまいりません
木瓜
ラグビーに大和魂トライせり
用言止めより体言止めは基本
老ゆる度日記買ふ時早まれり
今年、去年、一昨年なんて時間を詠もうなんて考えないこと
忙しさの前に静まる神無月
そんなに取り立てて静かになるかい?、一般論みたいなものを説いても仕方ない
生と死の狭間安らぐ日向ぼこ
生と死のなんて題材を俳句に持ち込むのは百年早いでしょうね
七五三父のカメラに激ポーズ
激ポーズって?、綺麗な分かりやすい日本語を使うことから始めてください
良人
神無月山の端映えて夕日入る
神無月光の簇の街夜景
光の簇、夜景必然的だ
宮参り鳩に戯る七五三
七五三といえば宮参りですから無駄な言葉があるということ
街路樹の梢に古枝神無月
淅淅と鬼怒川に吹く風神無月
難しい言葉使っても、詩吟やってるわけではない、言葉で訴えなければ意味がない
七菜や祝いの膳の七五三
七品の出る祝膳ですか、あまり言わないと思いますけど
両親や目には涙の七五三
両親やと切ればそこに子供はいないかも、とすれば死んだ子のせめて七五三祝いでもてな様子にこの句はなってしまうかも
神無月旅の行き先出雲なり
いわずもなが
行く秋や四百年の東照宮
千歳飴提げる袋の地に触れり
よくある素材、余程に工夫しなければ