4月のもう一言

利孟
花の雨兵舎廊下の帽子掛
雪解沢鎹ゆるむ丸木橋
ゴム止めのネクタイ伸びて入学する
人ゐなくなれば回して春日傘
野営地に起床喇叭の響き雉
昭雄
鍬の背でほぐす土塊雉走る
桑畑母衣打つ雉の胴震ひ
春日傘連ねて遊行柳まで
春日傘見知らぬ人の遠会釈
遠巻きに雉の抱卵野良仕事
比呂
待つ人の来るまで回し春日傘
傾ぎたる古巣の枝の番鳥
巣が傾いでいてはほうらんできないでしょ、番で一生懸命直してからってことでは?
鳥帰る帰る辺の無ものもいて
奉納の響くほら貝山笑ふ
寝そべつて草はむ牛や春の雲
採っていますが、寝そべったまま草が食えるほど牛は器用なのかね?
良人
アーケード街挙りてたたむ春日傘
せーの!ってたたむ訳でも無さそうですよね
髪靡く風にたたみし春日傘
雉子の声風運び行く向ふ山
畑を打つ影を遠目に雉走る
身の丈の田草の陰を雉の走る
輝子
山道の開けて眩しき桜波
番雉子しきりに鳴きて生き急ぐ
雉の声霧立ち上り山起きる
霧は秋の季語ですけどね
登下校いつもの場所で春日傘
通学路に何があるというのだろう?
草餅は家伝の味の一つなり
家伝の味てのはその家なりの特別なもので、その特別を詠まなければ俳句にならない、ましてやこの句では草餅をぼた餅、赤飯、ちらし寿司何に変えても行けてしまう
ミヨ
地震跡へ向ふ脚絆の桜守
まがたまの出土の丘の夕桜
たまさかに人恋ふ日かな春日傘
人恋ふ日かなは面白いが、たまさかにが?
朝まだき野路佇めば雉ほろろ
花吹雪中なる幹のがらんだう
ちと視点が瑣末にすぎません?
敬子
あるがまま人生行路春の夕
春日傘蔵賑わす異国人
賑はす
お手玉を交すディケア春の窓
実際はそうなんだろうけど、お手玉を交すってのは分からんですね
山笑ふ古稀が高らに四季の歌
だからどうした、宗匠も古稀で巣がとやかく卆寿に言われる筋合いは無いですね(笑
築山を雉が一気に駈け抜ける
大庭園だな、でそれだけ?って感じかなあ
美恵子
胡蝶蘭胸に飾りて春日傘
入学式のははおやかな?、良いです
今は昔孝行息子の糸桜
宇都宮の大城西小の校庭に孝子桜と呼ばれる樹齢450年ともいう大きなさくらの樹がある。病の父の冬の最中に桜が見たいという願いを孝行息子が神に願ったところかなったのだのいう言い伝えの桜とか、我儘な爺さんがいたものだが、その頃から痴呆ってのはあったというお話だな
花散りて空も地もスーラーの絵となる
春日傘一弁二弁と肩に落つ
添削でも季語は重なりますけどに
丸腰で地を掴み立つ野雉かな
釜川の枝垂れ桜や花明かり
鬼怒川や散歩の小径風光る
散歩の何てこと句の中にいれないでほしいんだけど、こうして採るとまた出てくるんだよなあ
花の園香り満つるや春日傘
どっちにしても季重なり
番笠の相合笠や春日笠
この笠を使うと、「カスガガサ」と読んだ方が良いような、パラソル形のは傘を使いましょう、番傘は機能としては日傘にもなり得るが、普通晴れた時に使うもんではないでしょう
車座や花より団子雉弁当
雉弁当では季語の雉として扱うのは苦しい、なにせ鶏肉代用で一年中あるものですからね
木瓜
春日傘若返りせずなんとしょう!
!は披講にこまりますよね
春深し気遣ひ要らぬ妻もがも
面白いから採るけど、良い句じゃないから同じことはしないで欲しい、まだ春ならこんなこと言っちゃいかん、冬に入るとかだよ
雉鳴くや染み着く苦悩遣り残し
苦悩なんてのは遣り残したら良いんではないの?
春眠や天のご褒美覚め遣らず
何か良い夢でも見たならそう詠めば良いのだがこれではチンプンカンプン
地を出せる人と成りたや老蕨
いつも言うようにこういう思いだけのくはきらいなんだ、老蕨なんて取り合わせでもむりでしょうね
畑仕事雑草取り入念す
畑仕事って言ったら、雑草取りも何もかもって感じ、入念」は形容動詞ですから、するを付けての動詞化は日本人の日本語としては頂けない
桜花桜見客の背に落ち
サクラバナとかサクラミキャクとか日本語としては頂けないね、俳句は朗詠詩ですからね
畑仕事豊作品を作りたし
早起きし好きこそものの作句をし
俳句を題材にしても俳句として評価できない、ましてや無季では評価のしようもない
早起きし朝顔花を負かしけり
アサガオバナってなに?、朝顔は秋の季語、4月の句会って分かってますか?