6月のもう一言

利孟
満水の天水桶や梅雨近し
夏至の夜も明けぬに新聞配達夫
やうやくの片手掴みに飲むラムネ
取調室の呟き水羊羹
萍を逃れて浮子の立ち上がる
輝子
水瓶の浮き草囲む空と雲
大きな金魚鉢なんぞに浮き草が入れてあって隙間の水面に空が映り込んでいるていう風情かね
夏至の頃時間を忘れて店五軒
そういうことだと思うんですが、作ったら、暫く温めて推敲することです
新緑の重なりし間の陽を受けて
重なった葉っぱに日が透けているていうことだろうが
日を避けて列車でうたた寝夏至の頃
日差しを避けるために列車に乗ったみたいな詠みようだがちがうだろうね
比呂
音立てて射す正鵠や新樹光
的の真ん中に矢が刺さった音がしてるというんだね
萍や僧の剃髪手探りに
入梅や湖尻にオール無きボート
豆腐屋の水は休まず街薄暑
休まずにひっかかるな
音楽隊の驢走り出す夏至の夜
ブレーメンの音楽隊の話なのね、省略が効きすぎてるから分からない
別れけり紙魚に愛の字齧られて
昔別れた人の恋文が出てきたら愛の字が食われてたって面白いけどね
敬子
半ズボン歩行訓練犬を連れ
三句切れのかんじだな
咲き初めるあじさゐ坂に僧の呪す
呪を使うとなにやら胡散臭い感じになるが、お経を上げているんでしょう
二階まで伸びてほころぶ夏椿
どくだみの花に触れ行く下校の子
花に触れ行くはだいぶ出てきたな
若葉風達者で白寿迎へたし
そうですか
良人
黄菖蒲の根張りに狭ばむ用水路
寒駅の夏至空に樅そそり立つ
寒駅は無いでしょう、春寒てのはあるでしょうが、夏至に寒いって現実にはありますが言葉遊びとしてはちと?
夏至の陽の木漏れ日も来ぬ杉並木
雲合いの兆明るき夏至の雨
薄雲を射貫き陽の来る夏至の朝
昭雄
ふくろふの眸が塗り込める夏至の闇
塗り込めるがどういうことをいうのかよく分からん
絵馬渡す巫女の白き手夏至の宮
茅の輪なぞが飾られる季節に厄除けの絵馬を頂いたりてわかりますね
ここここと矮鶏の声ある夏至の村
萍や土呂部に今も湖沼群
湖沼群てのはそうすぐに消えたりするものでは無いでしょうから今も」は??
昼も夜も萍流す池塘かな
流す、池塘てのは流れの無いようなものでしょ、浮かぶくらいならだが、萍がそんなに消えたり現れたりてことも無いのだし
木瓜
夏至の空歩む太陽緩緩と
漢字で書いたらカンカンとですから、夏至の太陽がカンカン照りという当たり前の話になります
玄関の扉軽やか朝曇
扉てのは開き戸みたいな感じで、あまり重さを感じないが、引き戸だと建てつけの良し悪しがでてくる
炎天のホームラン打者バット立て
浮草や地を放たれて空仰ぐ
根が底に固定されていないからということだろうが、つまらん理屈だね
西日射す雑念揺らぐ散歩道
信念は揺らぐだろうが雑念なんてのは確固たるものでは無いから揺らぐかどうかなんて問題無いでしょう
一構
山小屋に薪積まれて夏至の夜
夏至の雨水の暗さの中禅寺湖
入梅や母の命日古酒を酌む
亡母を肴に酒を飲むみたいな不謹慎さが解消されるでしょう
萍や池塘さざなみ尾瀬の朝
尾瀬まで行くことも無いでしょう
夏至の雨葉音さやかに更けにけり
浮き草や流れにまかせ世を渡る
ウキクサてのはそういう植物があるんで、浮き草稼業などのフワフワてわけじゃ無いようなんですがね
短夜の眠りは浅くなりにけり
ごもっとも
葉一枚揺れる浮草人となり
集ふ子の声弾みたる水遊び
素直な句だけど足りないな
たっぷりと活動できる夏至の昼