7月のもう一言

利孟
大杉の元より生れて山清水
虫除けを総身に大平山詣で
あじさゐや朽ちて迂回の朱塗橋
やぶめうが板碑水場と四阿と
苔の花くづれ煉瓦の貯水槽
比呂
老鶯がかけ山頂の赤電話
猪独活や天狗投げ石草まみれ
街裏は小路小橋や額の花
雨後の森のあをき匂ひや野のあざみ
野の薊がちょっとね
画架立ててまず初蝉の声を描く
まづ描くのは無理だろう
敬子
三伏や二尺の幣有り縄弛む
紫陽花の裾模様めき大平山
御用絵師生れし里なり緑立つ
あぢさゐ坂慈覚大師の故事偲ぶ
まづ菩薩詣でしよりの夏の空
満目の市街は南風大平山
信子
神仏背合す門や濃紫陽花
梅雨曇り拝殿に聞く笙の笛
梅雨の杜幣束揺らす石の門
苔の花社に伝ふ七不思議
丸太椅子紫陽花坂の中程に
あまりにも事実の記述に過ぎるね
青梅雨や里山の裾触れ合ふて
里山に裾があるかは疑問だが、あれば触れ合ってるのは当たり前すぎる、触れオーテと読ませたければ「合うて」と音便の表記に、旧仮名で普通に活用させていれば、「て」につなぐためには「合ひて」です
梅雨寒や梢を囃す山鴉
美恵子
日と月の窓有る化燈籠木下闇
木下闇段行くほどに狭まりぬ
木下闇竹垣の間の化け祠
古びたことを「化け」とは言わないです
薊見る我と遊びし蝶一羽
「見る」は要らない、薊といったら見えてるのね、我と来て遊べや親の無い雀みたいだけど、どうでしょね
一構
墓参りいつも普段着心太
草原の朝の写真や夏館
俳句に詠めば重ねて写真を言うこともない
夕立や静かに話す人と居る
食事終へ友と蜜豆分けて食ひ
男の作った句だとなるとちょっと頂けないかも
背の高き孫に負けたり冷やし酒
大きくなった孫に何をして負けたのかは知らず、背が大きくなったくらいで良いのでは?、一構さんほどのジイちゃんの背を抜くのは大変だと思いますけど
ミヨ
平城や兵馳せし青葉闇
ヒラジロがおもしろくないな
風鐸の音重ね咲く蓮かな
お神石撫づ天辺の油照り
苔重ね反りし石垣夏の雲
大平山はや色褪せし四葩かな
昭雄
めまとひを払ひつ見上ぐ有三碑
しみゐるや信謙平の蝉の声
つづら折山路に咲ける濃紫陽花
大平路十重に二十重に山笑ふ
面白く出来てると思うけど、吟行では季がずれては駄目ですね
四葩咲く昼なほ暗き大平寺
大平寺というのは無いようですね、あるのは大中寺だが、ちと吟行エリアからははずれているかも
良人
あじさいの導く奥に有三碑
あじさいの石段にぎわす鳴きがらす
石段を狭むあじさい杉木立
しのぶごとくちなし咲けり裏参道
しのぶごと?、何を?、裏参道に香るくちなし・・・とか仕立ててみては
名所山影ひとつなしせみの声
名所山とは何かが分からない
輝子
蜜豆や供て父の笑む遺影
大夕焼け海辺の出で湯溶けしをり
もてなしも往時のゆかり夏館
蜜豆の後一匙に間を置きて
笠雲の山裾に濃く青田原
笠雲ってのは山頂にチョコンと乗ってるから笠なんでしょ
木瓜
丘に立つ蝉のリズムに聞き惚れて
山歩む道に寄り沿ふ蝉の声
山歩むはいささかうるさいが
片陰に休み過ごせるひと時よ
瞳射すフランス人形夏館
蜜豆をつつく三人同い年
同い年だとなぜ分かる?、同い年だとなにか感動が生まれますか?
石段の天狗の投石汚を見る
あじさいの太平神社花少な
初夏の山神山なれど花少なし
大平山十五柱余祭られて