11月のもう一言

利孟
小春日に白を晒して紙の里
霧笛谺す津波遺構の廃船に
色鳥や駅には限定土産物
神嘗や御柱香る新社
海の風海の日差しや掛け大根
ミヨ
色鳥や池塘は空の色を溜め
子授け駒納め参りの亥の子餅
散り初めし銀杏のかげり夕汽笛
雰囲気だけの句ですけど
雀らと尺縮まりぬ庭小春
尺を間合の意味で使うというのはどうでしょう、私はバツです、雀を雀らとするのも好きません
赤かぶらくぐもり育つ傾き畑
比呂
胸に腕組みゆく歩荷草紅葉
かいな」とルビするほどの腕のありようですかね?
小春日や破れ網を縫ふ竹の針
色鳥やカイゼル・ダリの髭くらべ
いくら二物衝撃でも離れすぎ
牧終ひトラックへ押す牛の尻
着ずつぱりの浄瑠璃人形菊人形
菊人形が浄瑠璃の舞台の一景で衣装は着たきりだということらしいがそうは読めません
信子
小春日やからくり時計動き出す
時計は動き続けてるものですから、からくりが動き始めることをいうのにどう表現するかです
人寄せるゴリラ一頭園小春
四阿に届く瀬の音色鳥来
見渡せる関東平野野分あと
色鳥や防災予行の空晴れて
昭雄
襖絵の虎の這い出す小春かな
あまりの陽気に襖絵の虎もついうっかりとという俳句の手口です
畳屋の針直角に小春の日
色鳥や神父の首の白カラー
カラーてのは襟のことだけど、首のより襟の・・の方が良いように思います
色鳥の来て枝移る躙り口
枝から枝へが枝移るですから、躙り口がどう関わるのかわからない
色鳥やけふの日記に影こぼす
日記というのは記録のことか、日記帳のことか?、影とは物理的なもの?情報?、なんとも曖昧さばかり
一構
秋入日金山跡の石垣に
七色に光る蜘蛛の巣秋麗
蜘蛛の巣は夏の季語ではありますが
そぞろ寒手帳に記す友忌日
友忌日てなんとも収まりの悪い言葉使いですね
フォワードのシュート一閃小春かな
フォワードは要らない、一閃というのは蹴り足とかでシュートでは無いでしょうと煩いことを言いますが
秋麗探しあてたる古都の店
そういうことがあったのだとは思いますが、古都の店ではどんな店かが浮かんでこないんで物語の組み立てようが読者にはないのです
青樹
微睡むや小春の社殿の眠り猫
眠り猫なんだから微睡むは要らんでしょう、出来るだけ言葉少なくすることです
蹲いに水浴ぶ鳥や小春かな
や、かなを一句に入れてはスポットライトの当たる主役が二つも出来てしまって収拾がつきません
水面蹴り飛び立つ鳥や茜雲
季語があるようで無いのでは?
颯爽と揃つて出かける小春かな
??
秋小鳥群れて泳ぐや空無限
群れ泳ぐ鳥は水鳥が水の上でです、空の無限なのは言われるまでもありません、つまり余分なことをあれもこれもと盛りすぎなのです
良人
空泳ぐ如色鳥空に舞ふ
群遊ぶ色鳥の声空に満つ
小春日の南の方に富士のぞむ
色鳥の遊ぶ荒れ田に色付きぬ
こういうことね
小春日や青き大空近き嶺
小春日ってのはこんなに雄大な景の中にあるものじゃ無いように利孟は感じているのでこれは採りません
木瓜
小春日や頬にほのかに陽の光
雲羽織りゆるり安らぐ冬の月
スーパームーンなど騒いだときでもありますから
色鳥の鳴き声高く翳す羽根
羽根を翳すが?
日向ぼこ過労閻魔のひと休み
閻魔様も働きすぎてことか?、日向ぼことひと休みは同じことでは?
水涸れて思ひもよらぬ事ばかり
輝子
縁側で猫が毛繕ひ小春かな
ありきたりだからこそきちんと形に納める努力が必要です
ただ一路川霧の川上る鮭
霧も秋の季語なんですね
鳥居脇霧の羽衣朝紅葉
綺麗なものが並んで結構なのですが、霧の羽衣とかいわずもがな、霧が季語なのが分かっていませんね
かつ散りて沢の草葉で照る紅葉
沢の草葉でがわからん
手をかしてつづらなる坂小春風
つづらな坂ていう日本語表現はありません、手をかしてとは誰が誰に?これも分かりません