9月のもう一言
利孟
荒海や初雁の音の切れぎれに
黒板に金砂郷産走り蕎麦
月出づや屋根ばかりなる魚糶場
Jアラート響く夜を籠め野分来る
細やかな糠の湿りの今年米
敬子
刃物屋の銀の看板秋湿り
あるがまま生きて卒寿や月高し
日天の観音像や月さやか
金砂郷(かなさごう)は茨城県北部久慈周辺で蕎麦の名産地
身振り手振りの朝の体操草雲雀
子燕のあどけなき声峡の里
信子
重き扉の全開新米出荷場
堰越えてよりの水音月の川
清記は「秋温り」になっているが、写し違いでしょう
月代や婦人講座の映写会
あるがままかもしれないが、変哲も無いね
月代や梅沢富美男の女形
日天と観音は違うんでは?
白白と月の灯台明けにけり
パントマイムの練習じゃ無いんだから身振り手振りはおかしいでしょう
昭雄
子燕が今の季節に出てもね、子だからあどけないはあざといね
新米や蔵に探しぬ朱塗膳
夕厨新米の香のあふれけり
蛇の目傘月待つばかりなる野点
上中は陳腐だが月の川を持ってきたのは手柄
新米のお礼の電話孫代はる
新米や愛想歩きの二歩三歩
だけですか?、
青樹
山の湯に月も智恵子の空もあり
月満つるメダル目ざしてアスリート
月満つる如く技練るアスリート
今年米農家泣かせた空不順
蛇の目というのは普通雨傘で、雨が降っているので止んで月が出ないかと待っているとなってしまう、野点の時に広げる赤い大きな傘は「野点傘」
山間の秘湯の月や智恵子抄
聖子
一升餅、米というがそのとき歩くのを愛想歩きというわけでもないでよう、愛想歩きが分からない
煌々と月光満ちし露天風呂
水口の藁抜き去って水落とす
金の札付け店頭の今年米
同じ句を出しても面白くないですね
水溜り映りし月のさざめけり
この月の使い方は季語として働いていないのでは
稲刈りの時をはかりて空を見る
でしたけど、俳句は詩情を表現するもの、レポートではありません
ミヨ
田の神サ供ふ新米升こぼる
女人堂日のあるところ初紅葉
月あかり「ぼうぢぼ」ひびく過疎の村
彼岸花武蔵の谷の巾着田
地震の山椎茸榾の大崩れ
木瓜
月のぼりススキそよめく大和かな
別れ蚊の血吸ひて平手討ちを待つ
新米の薄青き肌青味発つ
雲歩むゆるやかなりし秋意かな
ぼうぢぼがすごくローカルな話でモグラ追いとかなら分かるのだが
詠み終へてそろり閉じたり秋扇
巴人
椎茸榾はきごにはならんでしょう
鎌の先月草の瑠璃そっと置く
月あげて杉の香のこす宮の杜
学術名はカタカナ表記だが、俳句ではちがうでしょう、月、芒の季重なり、また、月と芒といえば武蔵野というのが古来の設定
ハツケヨイもみぢ手かへす泣相撲
藁塚や柳の葉風翁の里
薄青きはあるかもしれないが、肌までは言いすぎ、さらに青味を被せるのは理解不能、発つはなんと読めば良いのか?、もっと言葉を大事にしてください
さ莚や新米検すたなごころ
さほどの哲学的な意味があるでも無し平明な表現を
こういう場で使う扇子を秋だからといって秋扇とは言わない
月天心雲に洗われ見え隠れ
新米のおにぎり詰めし手弁当
鎌の先をそっと置いてどうするのかね?、刈るんだろうからそっとは置かないでしょう
星月夜山容映るシルエット
新米の光沢まぶし炊き立てよ
もみぢ手、言いたいことは分かるけどそんな言い方するかね?
盃を友と重ねし月夜かな
あれこれ考えてみるとどうやら遊行柳の田圃のことかもしれないな
良人
新米に列なす魚沼道の駅
山寺の大屋根反す月明り
これくらいで見え隠れの情景は見えるのでは?
炊き方の添へ書付きの新米便
まめではあるが、手弁当は寂しいでしょう
里山の棚田を照らす月高し
山容映るとシルエットは同じことでは?
炊き立ての光る新米仏前へ
そういうことになってますけど、なにも発見は無いはね
一構
いい雰囲気だけど、だけですね
夜べの雨未だ降りやまず彼岸花
うれしさも子供のくれた秋なすび
人の声ほのぼの明るき月の畔
似た句を作っていたなあ
今年酒ガラスの猪口を好みけり
米の炊き方のまで書いてやるかね?
彼岸花むなしく揺れて老いにける
里山と棚田には矛盾があるような感じがあるぞ
比呂
字あまりも字足らずもあり虫の声
新米や一目ぼれする姫錦
昨日の夜をヨベと使う時は昨夜と表記します
月明や享年はみな数へ年
秋風や後ずさりして引く砂紋
月白や知足の家に住み慣れて