正月のもう一言

利孟
風を呼び風に戯れ雪女郎
着膨るや七つ入れ子のマトリョーシカ
盛り塩のいささか崩る淑気かな
龍底に潜む伝へや冬の水
二合ほど残る酒瓶春近し
雅枝
ひとつずつ町の灯消える除夜の鐘
ねんねこや赤子負う背に乳匂う
朱ひとすじやがて日輪淑気満つ
勤行の声朗々と淑気たり
着膨れやヒートテックもダウンもなくて
最新の素材が無い頃は着ぶくれてましたねというのは発想は面白いが句として表現できてません
ミヨ
着ぶくれて掻く孫の手や軒日和
渓の戸や夜ごとに育つ氷柱林
味噌仕込み桶にゆだねぬ寒の入
助動詞の「ぬ」は「ない」に置き換えられる否定の意味をもちます、ゆだねようという意味で使う助動詞は「む」あるいは転じて「ん」です
正月立つ磨き切つたる太柱
朝な日に吊らる鬼面の淑気かな
木瓜
云ひたきを云へず煮染める牡丹鍋
戦から逃げて隠れて着ぶくれて
戦争被災難民みたいな良い雰囲気です
湯たんぽの布の切れ目の逆鱗に
破れ目にふれるとアチッていうのを逆鱗とは言わないでしょう
日向ぼこ生死の狭間縹渺と
難しい言葉を探してくるね、確かに息してるのか心配なこともありはしますが
淑気満つ平成を発つ富士の山
昭雄
振つて買ふ夢の重さや種袋
着膨れてそろそろ眉に白いもの
着膨れて長寿番付十両に
四百年杉の並木路淑気満つ
梁に釘隠しある淑気かな
巴塵
玉砂利の少し風ある淑気かな
繭(まゆ)ごもる森の館の淑気かな
繭ごもるというとややおどろおどろしさを感じますけどね
着ぶくれて親父顔ある通学路
老けた顔の子供のことを親父顔と言ったわけだが、どんなもんか
淑気満つ浦安を舞ふ杜の鳩
着ぶくれて雌鶏になる庭さうじ
そうじ>さうぢが旧かなの使い方、漢字で良いものをわざわざ旧仮名風にしてボロが出ました
比呂
金星の恋ふごと月に寄る二月
二月とすると、暦の巡りで毎年のことみたいにみえるかも
泊船の長き船笛去年今年
山鳴りや瓢瓢踉踉雪をんな
ふらりふらりなんですね
賑やかし着ぶくれ集ふ女人講
淑気満つ母の背流す朝の風呂
朝風呂の淑気というのは面白いが、母の背流すとなるとどうかな
良人
着ぶくれてバイクまたがる老宮司
老宮司は面白さを狙ったのか、音数あわせの苦し紛れか
立ち番や着ぶくれてするガードマン
二の鳥居詣で来人に淑気満つ
参道の石の階淑気満つ
神官の笛の音流る淑気かな
美恵子
火納めて幣置く竃淑気満つ
芝犬のおかめのお面淑気かな
ちょっと特殊すぎるものに素材を求めるきらいがあるが、
売れるたび拍子木の鳴り淑気かな
淑気では無いですね
茶を運ぶ真白き足袋の淑気かな
陽昇りて松の葉凛と淑気満つ
凜とてのは淑気そのものです
英郷
黙々と着ぶくれの波揺れ上がる
蒼空の神橋見やりて淑気かな
見る、聞くのような五感の動詞をわざわざつかわなくても、景なら見えているし、音なら聞こえているのです
着ぶくれに坂を転げて雪だるま
まさか着ぶくれて体の自由がきかずに転げてしまったらごろごろ転げて雪だるまになってしまったではないでしょう
あと一枚気づくにどんどん着ぶくれぬ
しんしんと淑気漂ふ晴れ姿
晴れ姿がなんとも収まりが悪い
敬子
着ぶくれし笑顔の母の子供めく
石仏に太陽の香や寺小春
教会の百年淑気祈りかな
花八ツ手垣根に親し里の歌
二十人囲む食卓茸鍋
食卓に20人がついてというとなにか寮の食堂でもありそうで、それも茸鍋ってのは?
信子
冬鴉黒に徹して高啼けり
着ぶくれて御菜(おさい)買ひ出し近間かな
こんな句は遊ぶしか無いでしょう
着ぶくれて気負ふ事なき日の暮れり
青空を背ナに本殿淑気かな
そういうものでしょう
天心に白い仏塔淑気かな
臭い