小国町・小国駅前から北に向かい、奥三面ダムに至り、
奥三面ダム湖面下の三面集落と縄文遺跡を偲んだ |
スライドショーは、右▲でスタートすると、5秒間隔で自動的に進行します。5.奥三面ダム概略図で、湖面と三面集落・主縄文遺跡の位置関係が示されているので、左の■で止めて、ご覧ください。 |
昭和42年、羽越地方一帯は大雨に襲われ、三面川下流部は大きな被害を受けた。奥三面ダムは、非対称放物型アーチ式コンクリートダムで、東京ドーム約100杯分の総貯水容量を持つ。湖の中央”かまのふち橋”の周辺に、旧三面集落と縄文遺跡が集中する。草創期から後期までの遺跡である樽口遺跡、中期の集落跡のある下クボ遺跡、前期・中期の集落遺跡・アチヤ平には環状配石遺構があった。朝日岳に近づいた東側の湖には、後期・晩期の計画的にムラ作りされた元屋敷遺跡があり、縄文文化の質の高さが窺える。弥生時代の足跡は、元屋敷と二又に僅かに遺すだけで、以後、室町後半以降に人の出入りがあり、小池・伊藤・高橋の三家による旧三面集落が出現した。
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