ー美濃・大和を周回 1.Tー
  T.猫島遺跡から次郎兵衛1号墳まで (岐阜県、愛知県)
  (一宮市・犬山市・各務原市・可児市)
1.猫島遺跡   2.青塚古墳(犬山市)   3.東之宮古墳(犬山市)   4.坊の塚古墳(各務原市)
5.衣裳塚古墳(各務原市)   6.可児郷土歴史館   7.東寺山古墳(可児市)  
8.高倉山古墳(可児市)   9.長塚古墳(可児市)  10.川合考古資料館

今回の旅は古墳時代を中心に散策するが、旅の出始めは名神高速道下りPAに残る猫島遺跡とした。
可児市の伏見古墳群(高倉山・東寺山1号・東寺山2号)は、3世紀後半より4世紀前半まで三代続いた首長墓と見られ、前方後方墳である。長塚古墳は4世紀後半の前方後円墳であるが、同じ前波古墳群の西寺山古墳は前方後方墳である。
高倉山古墳(中濃)は、養老町(西濃)の象鼻山1号墳とともに美濃の最古級の古墳の一つである。犬山市の東之宮古墳はこれらに続く3世紀末ー4世紀初めの大前方後方墳である。犬山市では、4世紀中頃に青塚古墳(前方後円墳)が築かれる。美濃の前方後方墳は、5世紀末の粉糠山古墳(大垣市)までつづいている。衣裳塚古墳と坊の塚古墳は、4世紀中葉から5世紀はじめにかけて各務原地区に築かれた前方後円墳で、坊の塚古墳の巨大さは、美濃の首長とヤマト王権との協力関係が確立した証と見られる。同時期に、大垣市に昼飯大塚古墳が築かれる。

1.猫島遺跡 (名神下り一宮PA) ねこじまいせき    愛知県一宮市
名神高速道路建設の事前調査により発見された弥生中期はじめの集落遺跡。
6km南の清洲JCTには、弥生中期の巨大集落遺跡・朝日遺跡や後期の廻間(はざま)遺跡があり、木曽川左岸の沖積地である一宮市、稲沢市、清洲市辺りに弥生集落が点在している。廻間遺跡から出土したS字甕は、邪馬台国時代の濃尾平野低地部の標識土器となっている。 猫島遺跡は、弥生時代から古代・中世にまたがる集落遺跡であり、弥生中期はじめの二重環濠や方形周溝墓の配置が説明されている。美濃・尾張の方形周溝墓は前方後方墳へと発展すると言われている。

2.青塚古墳 あおつかこふん (国史跡)  愛知県犬山市青塚22−3
古墳時代前期(4世紀中頃)の前方後円墳。標高31mの洪積台地の端に位置し、前方部を西南に向ける。墳丘全長123m、前方部幅62m、後円部径78m(高さ12m)、前方部長45m(高さ7m)で、愛知県で2番目に大きい。周囲に自然地形を利用した深さ1m前後の濠がある。古墳形状は、最下段の1m前後の前方後円状の土台上に、前方2段、後円3段を築く。各段には壺型埴輪が2m間隔で置かれる。葺石はないようである。かつては、十数基の古墳とともに古墳群を形成していた。現在も数基の円墳が残っている。
最も特徴的なのは、前方部頂上の「方形壇上遺構」と前方部上と後円部を中心に存在する「配石遺構」と呼ばれる施設である。「方形壇上遺構」は、9m×7mで高さ1mほどの墳丘と考えられ、周辺に配石・石敷き・鰭付朝顔形埴輪、円筒埴輪が置かれ、鏃形石製品が出土した。「配石遺構」は、後円部上に数ヶ所あり、3m×1mのものもある。(案内パンフレットより)


平成11年に「青塚古墳史蹟公園」として整備され、ガイダンス設備があり、出土した壺型埴輪、円筒埴輪、樽形埴輪や鏡のレプリカが展示されている。
樽型埴輪と円筒埴輪 鏡と銅鐸レプリカの展示
大口町歴史民俗資料館 
     愛知県丹波郡大口町伝右1丁目35

青塚古墳ガイダンスの方に教わり、西約1.5kmの大口町歴史民俗資料館を覗いた。常設展示室は内容が豊富だ。大口町出土の縄文・弥生土器、方形周溝墓や現存する古墳情報など興味深い。尾張地方独特のパレススタイルの赤色彩色刻文土器や東之宮古墳出土の三角縁神獣鏡一式(レプリカ)を見ることができる。

3.東之宮古墳 ひがしのみやこふん (国史跡)   愛知県犬山市字北白山平7


犬山遊園駅側から犬山善光寺を目指す。善光寺前の茶店と奥の信徒会館で古墳の在処を尋ねる。親切に教えてくれた。東之宮古墳と東之宮神社は善光寺山の頂上・白山平(海抜136m)にある。善光寺裏・山頂下に駐車スペースがあり、そこから狭い道をひたすら歩き登る。善光寺から直接登る参道もある。帰路は犬山モンキーパークを通り、木曽川・日本ラインに下った。
東之宮古墳は、古墳時代前期・3世紀末〜4世紀初の前方後方墳で、墳丘全長78m、前方部幅43m、後方部一辺47m(高さ8m)、前方部高さ6mの規模をもつ。前方部を西北に向ける。昭和48年の発掘調査により、墳頂部に竪穴式石室(4.8m×0.96m)を確認した。内部壁全面はベンガラで赤色塗装されていた。最も注目することは、三角縁神獣鏡5面、方格規矩鏡1面、禽獣鏡4面を含む銅鏡11面が出土したことである。三角縁「天・王・日・月」唐草文帯二神二獣鏡は、矢道長塚古墳、万願寺山古墳(いずれも前方後円墳)出土のものと同範関係にあることが注目される。そのほか、鍬形石、車輪石、石剣、石製合子、鉄製品など副葬品が多いことである。豪族(首長)の権力が大きいこと、美濃の出現期大古墳が前方後方形であることは興味深い。
犬山善光寺 善光寺裏の山頂下・駐車スペース
東之宮神社 
裏手は東之宮古墳の前方部
神社の右側に「史蹟 東之宮古墳」の石碑と説明板がある。 裏手に後方部が見える。
後方部から前方部を見る。 後方部墳頂
東之宮古墳より西南西を見る。長良川と伊木山(通称;夕暮富士)が美しい。
伊木山には戦国時代の山城がある。伊木山の右裾に犬山城が見える。

4.坊の塚古墳  ぼうのづかこふん 岐阜県各務原市鵜沼羽場町5丁目26
坊の塚古墳は、古墳時代中期・5世紀前半の前方後円墳で、墳丘は二段で、全長120m、前方部幅66m(高さ8m)、後円部径72m(高さ10m)の規模をもつ。墳丘には葺石、埴輪がみられる。前方部を西南に向ける。後円部墳頂に竪穴式石室がある。周溝の痕跡も認められ、後円部東側では幅16m、前方部南側で幅24mとされる。衣裳塚古墳に継ぐ首長墓と見られ、300m北東の琴塚古墳とともに、5世紀の美濃を代表する古墳である。
前方部右端(南側)から見る坊の塚古墳  イタリア料理店が国道21号(中山道)沿いにあり、その駐車場を利用させてもらった。店の方から附近の情報を教えてもらう。 各務原教育委員会の説明板より
南側の道を進むと、くびれ部で墳丘に登る道がある。 一段目から2段目の後円部を見る。
後円部の墳頂 祠がある。 後円部から前方部を見る。
くびれ部2段目よりい1段目に下り、後円部北側に出る道がある。 後円部を後方(北側)より見る。北側に沿って前方部へ巡る道がある。住宅が古墳の近くまで密集している。

5.衣裳塚古墳 いしょうづかこふん  岐阜県各務原市鵜沼羽場町2丁目224
坊の塚古墳に先行して、4世紀末から5世紀初に築造されたと見られる古墳。円墳(径52m、高さ7m)として残っているが、西側(お寺側)がやや突出しており、前方部が削平された前方後円墳の可能性がある。坊の塚古墳とは300mほどしか離れていない。
各務原市教育委員会の説明板がお寺の門の右側にある。 墳頂部には枯葉と石墓
空安寺に接する森が衣裳塚古墳

6.可児郷土歴史館 かにきょうどれきしかん  岐阜県可児市久々利1644−1
現在の市制では、大垣、海津、養老郡、不破郡、安八郡、揖斐郡を東濃地域と呼び、関市、美濃市、美濃加茂市、可児市、郡上市、加茂郡、可児郡を中濃地域という。西濃と中濃には、銅鐸出土の弥生遺跡や古墳時代の遺跡が多いが、東濃地域(多治見、中津川、瑞浪、恵那、土岐)には目立った古墳は見つけられていない。

可児市郷土歴史館では、その意味で、美濃最東端の古墳情報を得ることが出来る。近くに銅鐸出土で有名な久々利地区がある。縄文時代の北裏遺跡では、晩期の遺物が多く、合口甕棺などもある。久々利銅鐸や神崎山墳丘墓の情報も興味深い。

7.東寺山1・2号墳  岐阜県可児市御嵩町伏見
高倉山古墳とともに伏見古墳群を形成し、いずれも3世紀後半〜4世紀初に築造された。高倉山古墳が最も古く、東寺山1号、2号とつづく。東寺山1号墳につては、前方後方墳、全長41m、葺石・溝の可能性がある。鏡、銅鏃、刀などが出土したといわれる。東寺山2号墳につては、前方後方墳、全長58m、二段構成、葺き石・溝の可能性がある。
洞興寺を目安に東寺山古墳を探す。洞興寺は大きなお寺で、道と小川を挟んだ向こう側の森に古墳がある。写真の住家の脇をすり抜けて到着。 東寺山古墳の白杭があるだけ。住家の脇をすり抜けて、最初に出合うのが2号墳で、墳頂へ登る道がついている。写真は北東角から見たことになる。
墳頂に祠がある。調べて行ったので前方後方墳の後方部に登ったことは分るが、前方部は木々が茂り確認できない。祠は南を向いていて、古墳の主軸は東西にあるはずだ。 2号墳を南に下りて(本来の登り道?)、東南角から見た図。
ゲートボール場を挟んだ東側に1号墳がある。こちらはただの盛土にしか見えない。 ともかく、美濃で最古級に属す古墳群の一端を伺うことは出来た。

8.高倉山古墳  岐阜県可児市御嵩町伏見
高倉山古墳は、3世紀後半〜4世紀前半に築造された美濃最古級の古墳の一つで、全長41.5mの前方後方墳とされる。
最古級の古墳の痕跡でも見たく、
この辺りかと探したが、見つからず。
左は高倉公民館。

9.長塚古墳 ながつかこふん (国史跡)  岐阜県可児市中恵土宇野中199
古墳時代前期・4世紀末ー5世紀初の前方後円墳で、全長81m、前方部幅32m(高さ5.9m)、後円部径46m(高さ8.3m)、二段構成の規模をもつ。前方部を西に向ける。幅2.5mの周溝があり、後円部南東に幅5m前後の外堤の一部が残る。当墳の南西の西寺山古墳、野中古墳とともに前波の三ツ塚(前波古墳群)と呼ばれる。前波古墳群では、西寺山古墳の築造が最も古く(4世紀末)、前方後方墳である。ほぼ同時期に前方後円墳の野中古墳が築かれる。長塚古墳は、最も新しく、5世紀初であるが最大である。
墳丘の形状をよく残す長塚古墳 (右が後円部、左が前方部) 
市街区にあり住宅・工場が押し寄せているが、このままで綺麗に保存されることを願う。
前方部南西端から 後円部南側から
後円部墳頂から前方部を見る。 木曽川南岸を占める可児市内には古墳が多い。

10.川合考古資料館 かわいこうこしりょうかん  岐阜県可児市川合北2丁目14番地
可児市川合地区では、平成2年から3年にかけて大規模な発掘調査が行なわれ、その成果が集められている。縄文から古墳時代までの多くの遺物・遺跡が展示され、宮之脇遺跡(縄文中期)出土の脚付深鉢形土器、深鉢形土器・香炉形土器などは、信州・山梨の土器類を見る思いである。
   次郎兵衛塚1号墳
古墳時代後期、7世紀初に築造された二段構成の方墳。下段はほぼ正方形で一辺29.5m(高さ約7m)、上段の一辺は約17.6mで頂上平坦面幅4〜5mである。平成5年に復元・整備された。三つの横穴式石室を持つ。主室は、全長15.5m、玄室幅2.1m、玄室高2.6m、擬似両袖式で玄門をもつ。主室は玄室と羨道に分かれ、更に玄室は2部屋に区切られる「複室構造」をもつ。西副室は、全長7.4m、玄室長2.9m、玄室幅1.1m。東副室は、全長1.7m、玄室長1.1m、玄室幅0.8m。東副室は、外回りに60ケの須恵器が供えられ、子供用に増築されたと考えられる。全石室の床面は川原石がびっしりと敷かれている。副葬品としては、須恵器、鉄鏃、ガラス玉など玉類、金耳環など。
古墳の南面。中央の石室が主室で、右上に東副室、左下段に西副室(下段の左側、右側は葺石の状態を見せている) 古墳の北側隅から見る。川原石が積み上げられた状態、方形の角。主軸上の盛上がり、頂上平坦面の様子が見られる。

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