6/12(土)に港区麻布区民センターで、「企業再生〜熱い想いが企業を変える!日本を変える!〜」と題して、パネルディスカッションが開催されました。壇上には豪華なパネリスト陣、客席には200名近くの参加者の皆様。
会場は大変な熱気に包まれました。

 
■ パネルディスカッション(1/6頁)
「企業再生〜熱い想いが企業を変える!日本を変える!〜」

井坂(司会) 次に、パネルディスカッションに移りたいと思います。ファシリテーターの池上重輔さんを紹介いたします。池上さんは、ケンブリッジ大学のMBAをお持ちで、現在はニッセイキャピタル、チーフベンチャーキャピタリストをされていらっしゃいます。ボストンコンサルティンググループ、M&M、MARSにてカルカン、ペディグリーチャムのブランドマネジャー、GEことジェネラル・エレクトリックにてプロダクトマネジャー、ソフトバンクECホールディングスの新規事業統括部ディレクターを経て、現職に就かれております。また幅広い業種のベンチャー企業の投資育成にいそしむ傍ら、ビジネススクールにてマーケティング、経営戦略などを教えておられます。本も多くを出しておられまして、主な著作には、こちらのほうに書いておりますとおり、MBA関連の本を出されております。それでは、池上さん、パネリストの皆様、宜しくお願いいたします。

池上 井坂さん、有難うございました。今日のファシリテーターを務めさせていただきます、池上でございます。宜しくお願いいたします。気合のこもった余語さんのプレゼンテーション、どうもありがとうございました。既にちょっと体温が1、2℃上がっている方が多いんじゃないかなと思いますけれども、これからますますヒートアップして話をしていきたいと思います。まずはですね、今日のパネリストの方に、順番に自己紹介を兼ねて、各自5分少々づつでお話をしていただければと思います。では最初に、カーライル・グループ、マネージングディレクターであられます安達さんのほうからお願いできますでしょうか。

安達 はい。カーライル・グループの日本の代表をしております、安達でございます。私のバックグラウンドですけれども、主に今まで10年くらいづつ違う会社を経験しております。最初の10年は三菱商事におりました。三菱商事で、初めは機械グループにいたんですけれども、後半は、ビジネススクールに行った後、情報通信分野ということで、特に第二電電、当時新しい通信長距離の電話会社として1985年にスタートしたんですけれども、その会社に三菱商事も出資したということもあって、3年間その会社の立ち上げに参画をしました。それを合わせましてトータルで10年間だったんですが、その後マッキンゼー、余語さんと一緒、あと山崎さんもですね。今日のパネラーはマッキンゼー出身で3人いるんですけれども、マッキンゼーに移りまして、やはりマッキンゼーで10年間、主にハイテク分野であるとか、ヘルスケアであるとか、あるいは機械であるとか、主に製造業を中心にコンサルティングをやっております。その後、1997年に、GEキャピタル、ゼネラルエレクトリックの金融サービス部門ですね、こちらに移りまして、当時日本の金融業界というのは非常に大きな問題を抱えていた訳ですけれども、その中でGEキャピタルが色々とビジネスチャンスがあるだろうということで、そのビジネスチャンスを獲得するための事業開発のリーダーということで、当時東邦生命の買収と日本リースの買収の担当を2年間しました。その後、買収をしました日本リースの中の自動車リース部門、日本リースオートという会社ですが、そこの社長を4年間やりました。そして昨年の5月に、カーライルグループの日本代表ということで移ってきました。私の経験っていうのは、コンサルティングを真ん中に挟んでおりますけれども、どちらかというと投資をして、実際に投資した会社に行って自分でマネージをするという形です。第二電電の時もそうでしたし、GEキャピタルの時もそうだったわけです。そういう経験をベースにして、今はカーライル・グループというところにおります。のちほどカーライル・グループについてはもうちょっと詳しくお話はいたしますけれども、日本の再生という一つのテーマに、再生であるとか、日本の企業の新しい発展というものに対する投資・支援というものに、私はいま50歳なんですけれども、最後の10年を賭けようと、そんな意気込みで今やっております。以上です。

池上 有難うございます。この後、後半で、業界の構造といった部分とか、カーライルの日々の仕事といった話も、若干していただきたいと思います。次に、株式会社東ハト執行役員経営企画室長の後藤さん、お願いします。

後藤 初めまして。東ハトの後藤と申します。今日はお招き頂き、有難うございます。私は経歴にあるとおり、MBAを取ってないので、MBA友の会でMBAを卒業されている、興味を持たれている方に話をするのははなはだ僭越なのですが、せっかく呼んでいただいたんで、話をしたいと思います。また今日は、早速余語さんの話を聞いていて、ターンアラウンドマネジャーの資質というところで、私は日頃会社で、何で早くやれないの・・とか、何でこれできないんですか、目標は何ですか、って言っているのですが、こういったところが資質として大事だ、と聞きましたので、これは今日来て良かったな、と今思っているところです。私の経歴を簡単に話しますと、94年に一橋大学を卒業しまして、最初はP&Gに入りました。そこでマーケティングの仕事をして、最終的に7年間P&Gにいて、主に洗剤のアリエールっていう商品があるんですが、それのブランドマネジャーとしていました。やってることは大きく2つありまして、1つはマーケティングです。実際誰に、どうやって、この洗剤売るか、ってところを考える事。もう1つは、日本の会社だと大概縦割り組織になっているのですが、P&Gの場合、縦割りではあるもののブランドマネジャーに横をつなぐ権限が結構与えられていて、営業ですとかファイナンス、あと生産、そういうところの調整、そういう仕事を7年間やってました。その後ボストン・コンサルティング・グループに入りまして、消費財メーカーの営業戦略とか、その実行とか、後はIT系企業の新規事業の構築とか、そういうことをやっていました。最初にP&Gに入ったのは何でかというと、最初はここにいる皆さんと同様に、MBAを取りたいと思っていたので、P&Gというのは比較的早いときからいろんなことが出来るという話を聞いたのと、文系人間で何も特に専門性ないもんですから、P&Gは比較的マーケティングが有名だということで、何かMBA取りに行く前に、一つでも専門性があればいいなと思って入ったのですが、結局ずるずると7年間居てしまいました。まあ、非常に面白かったのでそこに居たということです。その後なぜボストン・コンサルティングに行ったかといいますと、比較的P&Gって仕組みがしっかりとした会社なんですね。そうすると段々、何が問題なのか、事前に分かっちゃって。今思うと非常に生意気なのですが、P&Gの中では分かっちゃったような気がした。それでもうちょっと何か違うことやりたいなと思って、ボストン・コンサルティングに入った、という経緯です。それから、東ハトに来た経緯ですが、安達さんのような投資ファンド、私たちの場合、ユニゾンキャピタルというところから投資をしてもらっているんですが、そこに私の知り合いがいまして、声をかけられて、去年の5月、東ハトが新会社になってからそこに入ってやっています。やっていることは、この後詳しく触れますが、社長と一緒に、とにかく東ハトって10年間くらい、ゴルフ場にはお金を使ってたんですが、それ以外のところにあまりお金を使ってなかったものですから、とにかく何でもスピードで、次から次へと、営業戦略変えたり、マーケティング戦略変えたり、人事制度変えたり、とにかくありとあらゆることをやって、良くするにはどうしたらよいか、ということをやっています。以上が今の私の簡単な自己紹介になります。

池上 後藤さん、どうもありがとうございました。後藤さんも、今度社長になられる辺見さんも、もともとBCGですね。重なってはいないんですね。

後藤 重なってはいないですね。

池上 こちらの日々の再生事業の話といったところも、この後お話を伺いたいと思います。次に、D&Mホールディングスの執行役CFOの本多様、お願いします。

本多 本多でございます。宜しくお願いいたします。先ほど安達さんからお話があったように、3人の方がマッキンゼーの出身、そして池上さんからお話があったようにボスコンの方が2人と。前に並んでいる6人の中では、私だけ戦略コンサルティング出身ではないという状況になっております。私、公認会計士出身でございます。日本で会計士を始めましたが、当時ビッグ8と言いまして、今より会計士にとっていい時代だったですね。そのあと非常に厳しい時代を迎えたわけですが。そこで公認会計士、当時のビッグ8の東京事務所に入りまして、最初に社会に出たのは80年でございます。1985年に当時のクーパース・アンド・ライブランド、今のプライス・ウオーターハウス・クーパーズですね、そこのシカゴ事務所に転籍をしました。シカゴ大学のMBAに行く奨学金をいただけるということで、それにつられて転籍をしたということです。それで1985年からシカゴにおりましたので、当時は非常に日本の景気がよくて、ジャパン・アズ・ナンバーワンという時期でした。一方でアメリカの景気が非常に悪い、そういう時代でした。その時はM&Aが盛んにあった訳です。日本の会社が、アメリカの会社をどんどん買う、というような時代でございました。その後、ペプシコという会社に1992年に入ったんですが、1990年くらいって言うのはご存知のようにアメリカの景気が非常に悪いとき、今で言うアメリカ版の再生がさかんな時期でした。そこでいろんな経験を最初しました。それから日本に戻ってきまして、ペプシ・コーラの財務関係の仕事をやりまして。そのときも広い意味で言うと再生だったのかなという気がします。ペプシ・コーラ、決してつぶれそうな企業という訳じゃなかったんですが、コカ・コーラさんに圧倒的に押されていましたので、厳しい時代だったです。ただそのときに、ある意味で再生、将来を見据えた手をピシッと打てたと思います。まあサントリーさんに営業譲渡したんですが、それを経て、今ペプシコにとって日本は非常にいい市場になっていると思います。一方でコカ・コーラさんは、ご存知のようにですね、いろんな手を打って、今まさに改革をされようとしている、という状況だと思います。私自身は、98年からシスコ・システムズに入りまして、これはちょっと再生とは程遠いですが、非常に景気のいい時期を経験いたしました。ちょうど余語さんがお話になった時期でございますね。その頃ちょっと余語さんともお知り合いになる機会があったんですが、非常に良かった時であると同時に、その後のITバブルでドンと行くと。ただ、そうはいっても、シスコの場合は、マーケットのリーダーでございますので、事業全体、業界全体が悪くなるとかえって有利なんですね。圧倒的に悪い時代の中で、他が淘汰されていってしまうので、ナンバーワンの地位が更に確固としたものになるということです。それから2002年に、2年前にD&Mホールディングスに入りまして、まあ広い意味での再生だと思いますが、リップルウッドのポートフォリオ・カンパニーでございますので、そこで今仕事をしています。それについてはまた後ほどお話させていただきます。どうもありがとうございました。

池上 本多さん、どうもありがとうございました。どんどん行きます。では株式会社ヘルスケア・マネジメントの最高経営責任者であり、株式会社ヴィスクジャパン取締役会長であられる山崎様、お願いします。

次の頁へ
トップに戻る