6/12(土)に港区麻布区民センターで、「企業再生〜熱い想いが企業を変える!日本を変える!〜」と題して、パネルディスカッションが開催されました。壇上には豪華なパネリスト陣、客席には200名近くの参加者の皆様。
会場は大変な熱気に包まれました。

 
基調講演
(株式会社カネボウ化粧品 取締役 代表執行役会長 最高経営責任者(CEO) 余語邦彦氏)

皆さんこんにちは。今ご紹介にあずかりました余語です。現在、株式会社産業再生機構の執行役員と、それから先月新会社としてスタートしました株式会社カネボウ化粧品の代表執行役会長兼CEOをしております。最初に、私の経歴についてどういう経緯で企業再生に関わるようになったかを簡単にお話をしたいと思います。

そもそも私、理科系です、東京大学の機械工学科の大学院を卒業して、それから科学技術庁に入って、次に人事院の留学でダートマス大学のタックスクールでMBAを取りました。その後、実ビジネスへの転向を決意し、経営コンサルティング会社のマッキンゼーに入って、大前研一さんの元でしごかれました。97年にマッキンゼーをやめてコンサルタントとして独立をしたのですが、その頃は丁度ベンチャーブームで、ITバブルがアメリカの西海岸から日本に飛び火してきた頃だったですね。当時の顧客企業の1社にニューヨークのインターネット証券の会社があり、IPO株をオンラインで販売するビジネスモデルでした。1998年ごろ三菱商事が米国で500万ドル投資し、それが半年後にはIPOしてかなりのキャピタルゲインを得た。その後、日本で三菱商事、トランスコスモス、光通信などをパートナーとして新会社をスタートさせました。当時インターネット投資の三羽烏というと、ソフトバンクとトランスコスモスと光通信、この三社だったわけでその内の2社を押さえていて、IPO株をインターネットで販売するというビジネスモデルを、これはいけるぞと思って、自分の会社をたたんで、その第一号社員になりました。そんな縁で、光通信の創業者で当時社長であった重田さんとも仲良くなりました。当時光通信は携帯電話の販売とインターネット関連のベンチャー投資で絶好調だったのですが、2000年の2月に、IRで躓いて、それがメディアにいろいろスキャンダラスに書かれたりして、ピーク時の株価が24万円だったのが、1ヵ月で50分の1まで落っこちた。その時重田さんに、私もコンサルタントとしてリスク管理の経験があるので手伝いましょうか、と言ったら、すぐ来てくれという話になりました。その時、入社の条件はどうしようか聞かれて、「とにかくあなたも創業社長で取り巻きも沢山居るだろうから、No.2を保証してくれなきゃいけない」、って言ったら、いいよそれで、すぐ来てくれ、って言う話になって、5月にジョインしました。結局、二年半光通信にいましたが、ご存知の通り光通信は、まだ生き残っています。あの当時は絶対に倒産するか、あるいは外資のファンドに買われるか、少なくとも社長の重田さんは辞めるだろうと、そこら辺のどれかが起こるだろうとマスコミが手ぐすね引いて待っていました。そういう状況だったのですが、そのどれも起こらずに、何とかなったということで、たまたまベンチャーの世界から企業再生の経験をした。

それで光通信が一段落したときに、こういう企業再生がらみの仕事をしようと決意して、かつてのお師匠さんだった大前さんもバックアップしてやるよということで、自分でファンドを立ち上げるのか、あるいは企業再生専門のコンサルティング会社を創業するかということを考えていました。たまたまその頃産業再生機構が立ち上がるということになって、お声がかかりました。去年の8月に産業再生機構に執行役員として入り、先月の頭に、急遽カネボウ化粧品のCEOということで着任したと、まあこういう経緯です。

今日の皆さんは非常にラッキーでございまして、私がカネボウ化粧品のCEOになった途端にいろんな講演の依頼が舞い込んでくるのですけれども、まだ成果が出る前の段階ですので、一切お断りしております。このMBAの会の講演については、カネボウ化粧品が決まる随分前から頼まれていましたので、お断りするわけにもいかないので来ている次第です。当初のご依頼通り、光通信の時の話を中心にということだったので、今日はその予定通り、産業再生機構の話はしないで、光通信の話をしたいと思います。

当時光通信がどんな状況だったかということですが、2000年の2月のピークのところで株価24万円で、時価総額が7兆円超えていた。当事、富士通とか、野村證券を超えて、こういう時価総額持ってたわけです。これが、その後急落していきました。その時何が起きていたかというと、光通信はそもそも携帯電話の販売をやっていた会社なのですが、携帯電話の市場に構造変化が起きていたんですね。当時、成人人口の約50%まで携帯電話が普及して、それまではJ-Phone、KDDI、Docomoとそれとツーカーがありましたから、その4社が激しいシェア争いをしていたわけです。で、コミッションを払って、とにかくシェアを取れば勝ちだと。赤字でもシェアを取るという、市場が急成長する時のセオリーですけども、まあそういうことで、どんどん販売店にコミッションを出してシェア争いをしていました。それが、成長期が終わって、成熟期に入り、コミッションを払わなくなった。光通信はそういうコミッションベースで仕事をしていたのが、急にコミッションが入ってこなくなったわけです。それで、業績の下方修正をしたのですが、その時の手際が少々悪かった。本業は大丈夫とインタビューに答えていたその一週間後に業績の下方修正をして揚げ足をとられてしまった。それがきっかけで株価が急暴落。それまであまりに急成長した反動で、数字の把握など管理体制が甘くなっていた。それと急成長企業に対するまわりの警戒感っていうのがありました。当時重田さんが世界で第6番目のお金持ちってことで、フォーブスの表紙に載ったりしていました。彼もそんなにメディアの前に出るのが得意じゃない方だったので、突然あまり世間に知られていない人が急に世界6番目の金持ちと報道され、そういう警戒感もあったのでしょう。

光通信に入って、私がやったことは三つです。「危機管理」と「財務リストラ」と「事業の再構築」です。まず「危機管理」ですが、何が真実なのか従業員、株主、債権者、取引先などのステークホルダーに正確に伝える。特に従業員、従業員も一体何が起こったのか分からない、自分達はインターネットの寵児ということで飛ぶ鳥を落とす勢いだったのが、急に世の中の悪の権化のように言われるようになっちゃった。一体何していいかわからない。しかも若い会社で、取締役の平均年齢が28才、そういう会社でしたから。それから二番目の「財務リストラ」。当時社債を含めて2,300億の負債がありました。一方、資産サイドでは、約1,000億円がベンチャー投資に、約700億円が販路の拡大に向けられていた。そのベンチャー投資をキャッシュ化して、社債を買い上げて債務を圧縮する、とこういうことを緊急にやったわけです。幸にして、光通信、かなり早い時期にベンチャー投資を始めていたので、すでに上場していた企業も多くあり、こういったものは直ぐに売却出来ます。クアルコムだとか、そういった良い会社に、特にアメリカで投資していました。インターネットバブルが一時調整に入ったのが2000年の4月なのですが、当時はまだまだIPOする会社もありました。そういう意味ではまだ流動性があったのですね。それを、2000年の8月までに一気に売却して、売却益が700億円、売却によるキャッシュインが1,200億円、という状況でした。で、その時予想していたわけではないのですが、2000年の9月にインターネットバブルが完全にはじけてしまった。もし株式売却を急いでやってなかったら、相当苦しい状況になっていたと思います。そうして得たキャッシュを使って、市場から社債を買い上げていった訳です。当時、社債残高が1,300億円ほどありましたが、当時信用不安で、額面100円の社債が40円で取引されていました。従って、それを市場から40円で買うことによって、100円の負債が圧縮されて60円の利益が出ると、こういう構造だったわけです。勿論通常ではこういうことって起こらないわけで、インフォメーション・アノマリティーというのか、実態とマーケットの評価が大きく乖離していたということです。ベンチャー投資を流動化して作ったキャッシュを使って、とにかく負債を削減していきました。おかげさまで、私が辞めたのが2002年、その頃にはもう負債の残高が800億円まで下がっています。もう順調に返せるって目途が立っていたので私もお役御免ということで辞めたわけですが、その後、昨年の12月末までには負債がなんと銀行借入と社債を合わせても、50億円まで減っちゃったと。こういう状況にまで光通信は回復しています。

三番目が「事業の再構築」です。まず、販売網のリストラです。先ほど言いましたように、携帯電話の市場が構造変化を起こしたということで、それまでは店舗をどんどんどんどん増やせ増やせということをやっていたわけですが、全部で2,300店ありました。これを一気に、その同じ年の8月までに約半分に減らしました。1,200店舗まで減らしました。それから当時傘下に系列の代理店が数百社ありましたが、これを大きく3グループに分けて、統合していきました。連結子会社化していったんです。先ほどふれた700億円がいろんな形で販路に投融資されていたのを回収して、また、実際に回収できない資金は株の形に変えて、いわゆるデット・エクイティー・スワップをして、系列の子会社を大きく3グループにしていったわけです。携帯電話の代理店の構造っていうのは、上位にKDDIとかJ-Phoneがいて、その下に光通信がいて、更に傘下の代理店がいる。1次代理店、2次代理店って言うのですけども、こういう構造になっていました。携帯電話業界も、こんな二重構造になっていてはやっていけない状況になっていました。優良な2次代理店を3社選んで、そこに小さいところを吸収していった。店舗を減らして、やっていけない代理店は大きな代理店3社にくっつけて、連結子会社化していった。勿論投下した資金のすべては回収できませんから、かなりの額を特損として引き当てました。当時2000年の8月、私が就任して3ヶ月後ですが、その時580億円の特損をこの店舗の統廃合で出しました。当時まだそういうリストラというか、将来のV字回復のために特損を出すっていうのはあまり無かったことなのです。

その他に「事業の再構築」として、不採算部門を思い切ってクローズして、本業だった携帯電話とそれからコピー機の販売、ここに絞り込みました。当時、光通信はインターネットのポータルサイトなど、いろいろな新規事業を立ち上げていましたが、ほとんどがまだ赤字でした。

もう一つ、リストラ、リストラっていうと、まるで私が人斬りマシーンで、どんどん人減らしたんじゃないかと皆さん想像するわけでしょうが、実は私、人減らしてはいないのです。私が入った時は約6,000人の社員がいたのですが、私が辞めたときもやっぱり6,000人の社員がいました。何を変えたかって言うと、直間比率の改善なのです。間接比率が当初28%あったのを、9%まで減らしています。ですから、事務職とか新規事業を減らして、営業に振り向けてったと、こういうことをやっています。

その結果、販売管理費が大幅に減り順調に利益が出るようになっていきました。営業キャッシュフローも2002年の3月にはこういう形でしっかり出るような状況にまで回復しています。お陰さまで今は売上高が、約1,460億です。当期利益が100億まで出る状況まで一応立ち直っています。株価も、回復していて、最低のところで800円くらいだったんですけども、5,000円に届くところまでに回復しています。

光通信の回復をまとめますと、まずラッキーだった点として、バッシングのお陰で拡大路線に急ブレーキを踏めたこと、です。もしあの時ですね、メディアバッシングが無かったら、ブレーキ踏めたかどうか分からないですね。それから光バッシングとITバブルの崩壊に6ヵ月のタイムラグがあったこと。私もその年の9月に、市場があれほど崩壊するとは予想もしていませんでした。だから先ほど言ったようなベンチャー投資を流動化するに当たっては、こんな良い会社、本当にこんな値段で手放しちゃっていいの、って議論を社内でしながら、でも行け、やれ、ということでやりました。その時に、私が就任した2000年の5月から8月の間に、株式の流動化進めてなかったら、多分相当厳しい状況になっていたと思います。それからもう一つは、オーナー経営者の決意、です。これは重田さんが、彼は営業の方は自分で自信ありましたから、営業のほうは自分がやるからいいよと。営業以外は余語に任せるから、ということで、財務の方とか組織のこととか、そういうことは全部私に任せてもらったのです。オーナーの決意があったということだと思います。

次に、残念だったことです。「縮小均衡で新しい成長の種がまだ見つかっていない」こと、です。ただ、結果としては、今のところ全くその他の事業には手を付けずに、携帯電話の販売と昔からやっていたOA機器の販売、この2つにフォーカスして、きちんと100億の利益を出すまでに立ち直ってきています。それから「一度バッシングを受けた企業に、世の中は極めて冷淡」、ということ。これは、かなり回復した後でも銀行はお金貸してくれませんでした。

それから、学んだこと。実はこの資料、かなり年齢の高い上場企業の社長さんだとか役員さん向けに作った資料だったので、ちょっとこういうような苦言を呈しました。「リストラは一度経験すると病みつきになる」、と。要するに、ある程度の規模の会社は、きちっと膿を出し切ると次はかなり楽になるのです。これは、2年位前に作った資料なのですが、その当時まだまだ日本企業が、過剰債務を抱えながらなかなか早い決断をしない。そういうことで私が書いた資料です。とにかくリストラって悪いことじゃないんだ。とにかく悪い膿は一気に出せ。トップダウンで一気にやれ。また、間接部門の、「これでは仕事が回らなくなる」という脅しには負けるなと、こういうことを言いました。私も光通信で、さっきも直間比率を一気に変えたという話をしましたけど、もう間接部門からブーブー、ブーイングの嵐でした。こんなことじゃ決算締められないぞと、毎晩掛け合われましたけど、それでも何とか決算は締まっているわけです。ですからこれで仕事が回らなくなるという脅しには負けるなと。今日のオーディエンスの皆さんは若い世代が多いですので、まだトップの経営者っていう感覚はないかと思いますけど。組織はずたずたにしても何とか回るわけです。とにかく組織は単純で、目標を明確にすること、です。そのなかで本人の責任とリワードの明確化をはっきりやること。これが私が光通信の一連の事業再生で学んだことでございます。

次に、ここからが昨日の夜作った資料なのですけど、「ターンアラウンドマネジャーの秘訣」っていうことでまとめてみました。一言で言うと「There is no magic !」 です。別に特段の秘訣はありません。当たり前のことを、当たり前に、早くやる。それから、「一人では何も出来ない」。如何に個々人の力を引き出して、組織としての力を出すかです。ですから社長がいくら危機感煽って騒いだって、組織は動きません。それを、如何に個々人の能力を引き出して、組織として危機感を持たせるか、っていうことです。もう一つは、「出来ると信じること」。やっぱり、世の中、特にメディアっていうのは、加速度で物事を判断します。ですから先ほどの光通信の時も、携帯電話の市場が構造変化を起こしたわけですね。確かに成長は止まったのだけれど、成長カーブが寝ただけで、市場が無くなったわけではないんです。その時メディアは、あたかも携帯電話のビジネスは成り立たない、市場は無くなった、このような表現をしました。また、私が光通信に入ったとき、外部のコンサルタントを雇って携帯電話事業の診断をしてもらいましたけども、3ヵ月後に出してきたレポートっていうのは、携帯電話の販売事業っていうのは永遠に黒字になりません、こういうレポートでした。でも先ほど言ったように、結果的に2年後には携帯電話の販売事業だけで80億の営業キャッシュフロー出している。ですから皆さん、加速度に惑わされないで、やっぱりきちっと本質を見て、出来ると信じることです。

今カネボウ化粧品で言ってる事というのは、3つのことしか言っていません。「分かり易い戦略と組織」、「明確な目標とコミットメント」、「スピード」。この3つです。この3つを繰り返し言っています。かなりの規模の組織になると、トップの指示一つ一つが、簡単で分かり易くないと組織は動かない。しかもそれが、組織が単純じゃないと底辺まで行き届かない。また、現場で起こっていることも、トップに返ってこない。とにかく戦略も組織も分かり易いこと。それで、分かり易い戦略と組織が出来たら、それをキーパーソンそれぞれに明確な目標に言い換えて責任を持たせる。そして、その目標に対してコミットメントをさせる。さらに、コミットメントした人には、ちゃんとリワードを約束する。こういうことだと思います。で、とにかくそれをすぐやれ、と。こういうことです。ですから私がいつも組織の中で言っていることは、色々質問して、分かり易く説明してください。分かり易くしてください。それが分かり易くなったならば、じゃあいつまでに何をやるのかを明確にしてください。それに対して、もっと早くやって下さい。まあ、この3つです。以上です。有難うございました。

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