<復刻 学級通信「いちのに!」あとがき>
 
■1年生入学時に担任した子供達を幸運にも6年生でも(2,4年生も)担任できた。
 卒業式練習の際、卒業していく子供達へ話をする機会があった。卒業式練習の際である。以下のような話をした。

 ここにひとつ、先生の宝物を持ってきました。
 (胸ポケットから出す)
 何か書いてあります。
 (何枚か読む。卒業生の名前を読み上げる。)
 これは入学したみなさんが初めて書いた自分の名前なのです。
 この世にたったひとつしかない大事な先生の宝物です。
 そんなみなさんとの入学式の前の夜、心配で心配でよく眠れません
でした。
 無事に入学式が終わり、先生の話のあとさよならをするときでした。
 先生とジャンケンをして勝った人から帰るのでした。
 「じゃんけんほい」「さようなら」「じゃんけんほい」「さようなら」
 負けた人はもう一度。
 ところが何回やっても負け続ける人があるではありませんか。
 すると横で見ていた今出君、「グーしか出さへんど。パー出せ。」
 何と頼もしくやさしい子達だと思いました。
 いっしょにがんばれるぞと心を強くしました。

 それから3年余り・・・今から2年前、4年生の2学期10月のこと
です。
10月の参観日は人に役立つ学習をしました。
目の不自由な人の役に立つ学習。
耳の不自由な人に役に立てる学習。
車いすの人の役に立てる学習。
その中で車いすの人への介助の仕方を勉強したときのことです。
「10センチメートル(高さを手で示す)の段差があっても車いすの人
 は自分で登れるでしょうか」という問題でした。
クラスは「登れる」「登れない」ほぼ半数に意見が分かれました。
教室には社会福祉協議会からかりた10台の車いすがありました。
「絶対登れる!!」体育の得意な井筒君が挑戦しました。
登れません。
「俺に任せろ」元気者高松君も挑戦しました。
段差を越えられません。
次々と元気な男の子、女の子が挑戦しましたが
誰一人登れませんでした。
車いすの人がどんなところで困っているか、
どんな手助けがいるのか身をもって学習できました。
そして、体の不自由な人に出会ったときには
「何かお手伝いすることはありませんか」と声をかけることを学びまし
た。
 卒業していくみなさん、
これからの人生で、もしも何か困っているっている人があれば
「何かお手伝いすることがありませんか」
と言える人であって下さい。卒業おめでとう。

 
 
■JVE実践はもちろん東京教育技術研究所発行(FAX03−5702−2384)の日本唯一のボランティア教育誌「ジュニアボランティア教育」誌に学んだ。
 松本のこの語りは向山洋一氏の追試である。
 しかし、原実践とはかなり相違があるだろう。
 また、「入学して最初に書いた自分の名前を持っておく」。
 これも向山氏に学んだ。
 向山氏に学んだことを忠実に実践しようとしながらその「思い」に「行為」が充分についていってなかった10年前の実践。(今でもそうだが)。
 多くの方からの御批評・ご批判をいただければ幸いである。
松本 俊樹