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「演出」を意識した向山型授業の組み立て方に学ぼう
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 1 感動は演出で可能である
 
 向山洋一氏の「メイクアウイッシュ」の授業。ライブでは体験できなかったがビデオを見た。涙した。「なぜ感動させるのか」という理屈・理論以前に泣いた。
 かつて甲本卓司氏は

「授業には演出が必要だ」
 
と書いた。さらに、上海市実験学校での向山洋一氏の「俳句」の授業分析において甲本氏は

「授業の演出も教師の力である。」
 
とも述べた。向山型授業の組み立てには「演出」がなされているのである。だから感動を覚えるのだ。だから涙するのである。
 
 2002年1月、広島での入門向山授業づくりセミナーで甲本卓司氏のJVE模擬授業を受けた。「良ちゃん」の授業である。(授業の詳細・記録は小野隆行氏宛takayuki-ono@mri.biglobe.ne.jpに連絡を)セミナーでビデオ係を担当していた松本は授業を受けながら涙した。鼻水をすすりながらビデオ撮影をしたのだ。涙するほどなぜ感動を覚えたのか。「良ちゃん」自身の真摯」な生き方を知ったから感動した。これは大きな感動のウエイトを占める。さらに甲本氏の授業構成・語りによる演出力のウエイトも大きい。元の映像ではナレーター(番組の語り:NHK)が入っている。しかし、甲本氏はそれを使わない。教師自身が語るのである。全盲の良ちゃん運動会で生まれて初めて全力で走りきる場面。「良司、良司、良司・・・」と叫びながら先導する男の子の声を発するのである。教師の語りと間(静かに映像が流れる。)が絶妙な「演出」となるのである。このような「語り」は向山型授業には欠かせないパーツである。「メイクアウイッシュ」の授業場面でも向山氏の語りの占めるウエイトは大きかった。
 
 2 授業の組み立ては発問・指示が中心
 
 選びに選び抜かれた発問・指示も重要である。

1 目の不自由な人がこれはできないと言うことがあります。
  どのようなことですか。ノートに書いてみてください。
2 目の不自由な人は自転車に乗ることができるでしょうか。
 (目と閉じた片足立ちの体験活動)
3 大学に入ろうとする(全盲の)良司君には困難なことが待ち受けていました。
  それはどのようなことだったでしょうか。
4 6年生、最後の運動会。1回で良いから全力で走らせてやりたいとクラスのみ
 んなが相談した方法とはどのような方法だったと思いますか。
 
 映像を見せつつ語りで場面を把握させた以上のような発問・指示で授業を組み立てていくのだ。
 
 3 すべて示さない「演出」をする
 
 すべてを示さないからこそ重要な部分を示したときに「感動」を呼ぶ。これも「演出」である。良ちゃんが弁論大会でスピーチする場面である。良ちゃん自身から級友へのメッセージ場面である。すなわち良ちゃんから授業を受けている子供達へのメッセージだといえる。

共に生きたい。全ての人と。
 
 この部分だけは良ちゃんの生の声を入れる。映像プラス音声の演出である。英語でスピーチする良ちゃんの声。「共に生きたい。全ての人と。」という英語のメッセージ。
 
 映像と音声を使った組み立ての向山型JVE授業に「かすみちゃん」の授業がある。 これも甲本卓司氏の模擬授業で学んだ。
 目の不自由なかすみちゃんのためにさまざまな手助けをするお母さん。入学前に絵で触れば読めるようにと教科書を全て作成するお母さん。教師の語りで授業は進む。
 ところが、ある場面だけはお母さんの音声を入れる。「どんなお母さんですか?」と
それまで問われ続けていた子供達。「優しいお母さん」「どこまでも自分の子供のためを思うお母さん」という見方をがっらと変える場面となる。
 学校の教室などの配置場所を模型を使って教える場面。映像プラス音声が入る。母親の音声を聞いた子どもたちの認識はがらっと変わる。何と厳しい声なのか。「そこじゃないといってるでしょ!!」さらに母親の手が飛ぶ。この厳しさこそが実は母親の
優しさなのであるということも子供達は気づく。映像と音声の組み立てによる演出のなせる技である。
 
 小宮孝之氏の模擬授業「中村久子氏の生き方」を01年10月のセミナーで受けた。四肢切断という障害を受けた中村久子氏の生涯にな学ぶ授業である。この授業での演出はやはりヘレンケラーとの出逢い場面であろう。したがって子供達にはヘレンケラーの生涯についても事前に調べさせておく。しかし、授業はヘレンケラーとは全く違う日本人中村久子の生涯を追うのである。そんな中村久子が出会った人物の1人、ヘレンケラー。出会いの場面の語りはやはり教師による演出が必要であろう。三重苦といわれたヘレンケラーに「私よりも不幸な人、私よりも偉大な人」といわしめたヘレンケラーとの出会いの場面。以上の3つの授業は追試した。確かな感動と手応えを得ることができた。